(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−191(吉田郡山城戦)
戦国の石見−4(続き) 61.2.吉田郡山城戦 大内、尼子が石見で攻防戦を演じている間に、 安芸国では大内方の毛利氏が強固な地位を固めつつあった。 ...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−190(大内−尼子−毛利)
61.戦国の石見−4 61.1.大内−尼子−毛利 61.1.1.大内義隆 大内義隆の概歴 ・永正4年(1507年)生誕〜天文20年(155...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−189(塩冶興久の乱)
60.4.塩冶興久の乱 塩冶興久は尼子経久の三男である。 興久は、出雲源氏の嫡流である塩冶氏の養子となり、塩冶興久と名乗った。 経久は、興久に3000貫の領地を与え、米原小平...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−188(高橋興光の滅亡)
戦国の石見−3(続き2) 60.3.高橋興光の滅亡 戦国時代における石見高橋氏の所領は、久光の時代に石見国邑智郡の阿須那・出羽、安芸国の北半分、山県郡の東部にまで及び...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−187(大内義興と尼子経久)
60.戦国の石見−3(続き) 60.2.大内義興と尼子経久 大永4年(1524年)尼子経久は西伯耆に侵攻し手中に収めた。 一方大内義興は、この隙を狙って安芸に攻め入...
物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−186(毛利元就、弟を討伐する)
60.戦国の石見−3 60.1.毛利元就、弟を討伐する 家督を相続した毛利元就は、大永3年(1523年)8月10日、 多治比猿掛城を出て安芸の吉田郡山城(安芸高田市吉...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−185(大内の安芸侵入)
59.戦国の石見−2(続き) 59.4.4.大内の安芸侵入と尼子の石見侵入 大内と尼子は和睦したが、その安穏な期間は長くは続かなかった。 ...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−184(尼子経久の石見侵入)
59.戦国の石見−2(続き) 59.4.尼子経久の石見侵入 59.4.1.大内義興帰国前後の情勢 永正14年(1517年)10月、安芸山県郡の有田で戦死した武田元繁...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−183(安芸守護代武田元繁)
59.戦国の石見−2(続き) 59.3.安芸守護代武田元繁 59.3.1.安芸武田氏 安芸武田氏は甲斐武田の5代武田信光の時代に起こった承久の乱(1221年)の戦功...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−182(高橋元光の討死)
59.戦国の石見−2 59.2.高橋元光の討死 59.2.1.石見高橋氏 高橋氏は、古代氏族の大宅氏から出て、駿河国高橋光盛を祖とする。 高橋光圀のとき、備中高梁...