(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−105(足利尊氏叛乱−6)
34.足利尊氏叛乱 34.8. 湊川の戦い 34.8.1. 正成と義貞の会見 5月24日、正成は兵庫に着くと新田義貞と会見した。 義貞は自分の心境を正成に語った。 「昨年...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−106(足利尊氏叛乱−7)
34.足利尊氏叛乱 34.9. 叡山の陣 34.9.1. 後醍醐天皇叡山臨幸 官軍の総大将義貞はわずか六千余騎になるまでに討たれて湊川から京に帰ってきた。 京中は大騒ぎとな...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−107(足利尊氏叛乱−8)
34.足利尊氏叛乱 34.9.叡山の陣 34.9.4. 尊氏の誘い(和睦の提案) 叡山も坂本も益々兵糧が乏しくなって兵士たちの不安も増してきた。 孤立した官軍から抜けていく...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−108(南北朝時代へ−1)
35. 南北朝時代へ 建武3年/延元元年(1336年)10月10日後醍醐天皇は尊氏の講和申し入れを受け入れて下山を決意、皇太子恒良親王に譲位した。 この新帝は新田義貞と共に越前...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−109(南北朝時代へ−2)
35.南北朝時代へ 35.2. 金ヶ崎城の戦い 後醍醐天皇が吉野に行幸し、近辺の武将が馳せ参じていることが伝えられると京都は狼狽し、諸国の武将は落ち...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−110(南北朝動乱・石見編−1 石見の武将、益田氏、三隅兼連)
36. 南北朝動乱・石見編 建武2年(1335年)11月に足利尊氏が反旗を揚げると、石見国に於いても宮方軍と足利方軍の戦いが始まった。 翌年の建武3年/...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−111(南北朝動乱・石見編−2 石見小笠原氏)
36. 南北朝動乱・石見編 36.1. 石見国の武将(続き) 36.1.4.石見小笠原氏について 益田氏と小笠原氏の関係は古い。 史料によると、益田氏の第3代益田兼時は阿波...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−112(南北朝動乱・石見編−3 動乱のはじまり)
36.南北朝動乱・石見編 36.2.動乱のはじまり 中世の美濃郡(現益田市)は、おおよそ益田荘(凡そ益田川以東)と長野荘(凡そ高津川下流周辺)という2つ...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−113(南北朝動乱・石見編−4 攻防戦)
36.南北朝動乱・石見編 36.3. 攻防戦 36.3.1. 横山城の戦い 建武3年(1336年)5月10日上野頼兼に率いる足利方の軍勢は、美濃郡上黒谷の横山城(黒谷城)を攻...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−114(南北朝動乱・石見編−5 戦線の拡大 桜井庄)
36.南北朝動乱・石見篇 36.4. 戦線の拡大 建武4年/ 延元2年(1337年)3月、越前(福井県)の金ヶ崎落城し、 恒良親王が捕えられ、尊良...