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残照



昨夕の日没。
騎牟礼城址に上がって撮りました。







チビコの成長



お母さんに見守られて、よく食べ、よく動きまわるチビコは
最近急に大人の羽に生え変わるようになりました。




いつもお母さんのマネをしていた時期は終わり
自分の食べたいものを食べるようになりました。
外界の様子もよく観察しています。
空のカラス、横切るネコ・・・ちょっとした物音にも反応します。




けれども、やっぱりお母さんの羽のなかは暖かくて落ち着くなあ・・・

漆喰と無垢材







黒の外観。
でも、内部は白い漆喰壁と無垢材の内装。

昨日、離れ屋の最終チェックがありました。
一部手直しがあったけれど、ほぼ完成。
28日には荷物を運び込める予定です。



工事の進行状況



離れは足場が撤去されました。




離れの内部。
南面の大きな窓から冬場はこんな感じで
陽光が入ることを確認しました。




壁は白くなる予定。
まもなく完成です。




母屋北面、蔵との連結部の進行状況。




初めて蔵に手がつけられました。
外装の古い杉板が撤去。

ヒヨコの歌



あそびたい ピヨピヨ
あまえたい ピヨピヨ
おなかがすいた ピヨピヨ
ちょっとねむたい ピヨピヨ
ピヨピヨ ピヨピヨ ピヨピヨ


黒の外観



先日、塗装も終わり、離れの外側は
雨どい以外、ほぼ完成。




外観が黒の建物というのは、めったに見かけません。
黒は夜の色です。
異様な印象を受けるひともあるでしょう。
広い面積に黒が用いられるのはお葬式の黒幕です。
黒は死を連想させる色でもあります。
昼間の日常世界の世俗的な雑多な色を飲み込む根元的な色・・・
黒の外観は、設計のアルカイックさんの提案でした。
ずいぶん大胆な設計だと思いますが、感謝しています。


チャボの親子



お母さんの羽に包まれたチビコ。
一日中、動きまわってたくさん食べて
満腹したり疲れたら、お母さんの羽のなかでひとやすみ。




お母さんも満腹してウトウト。
チビコは好奇心があって、こちらを見ています。

男池



想像していたより、はるかに素晴らしいところでした。
なぜ男の池、男池(おいけ)と言うのでしょう。
思い立って久住山系の原生林にある男池園地を訪ねました。

音を立てて水が湧いています。小さな池です。
なぜこんな色がでるのでしょう。
絵の具だとターコイズブルーが近い色かな。
味は優しくまろやかでした。軟水系でしょうね。




大樹の下に立つのは香山桂子。
ここは、こんな樹の樹海です。
人に踏み荒らされていない無垢な森です。
男池園地に入るとすぐ静寂・沈黙を感じました。
ピリピリする波動が非常に強くて驚きました。
こんな森でこそレイキの実習をやりましょう。
ウスイ先生が京都・鞍馬でそうしたように。




上の大樹のすぐそばに、岩を抱え込んだこんな樹がありました。
このあたりの岩、桂子が強いパワーを感じるというので
触れてみると揺るぎのない、ずしっとした底知れない力がありました。




帰り道は遠回りして、大分県九重町に最近できた「日本一の吊り橋」を
渡ってきました。こんなに揺れる橋とは思わなかった。
まあ、田舎のジェットコースターですね。
歩いて渡るのですが、ジェットコースターと同じ恐怖があります。
ジェットコースター以上に恐いかも知れません。

創造



母屋南面。先日、窓ガラスが入りました。
太陽の光がたっぷり入る開放感のある贅沢な窓。




同じ窓を室内から撮りました。
昨日、桂子と一緒に可能なところから床下に竹炭を入れました。
一部、大理石も入れました。




母屋北側。裏庭から撮りました。
築明治元年という古い建物を、単に再現するというのではなく
それを生かしながら現代的な実用的なシャープな建築を
新たに創造するというような設計だったのだということがわかります。
“リフォーム”というような次元ではありません。
古い建物の面白さを生かした全く新しい創造です。
日々、不思議な空間が生まれつつあります。

チビコ



桂子は「チビコ~」と言います。
チビコは何でもお母さんのマネをして
玄米・野菜・雑草・ヌカ・配合飼料等何でも食べて
すくすく育っています。
この季節、ふつうなら何らかの暖房がなければ
ヒナにとって過酷でしょう。
電球で温度を高めたりしてヒナを育てるのが普通ですが
こうしてお母さんがいるので必要ありません。
お母さんが羽のなかに入れて守り、暖めます。
夜はふんわり暖かい羽毛のなかで安心して眠ります。




毎日活発に動いて、活発に食べて
足腰がしっかりしてきました。
ここまでくれば安心。

キリシタン洞窟礼拝堂



『波千鳥』の引用を続けます。

 キリシタンの隠れ礼拝堂は竹田荘(ちくでんそう)の近くです。
 竹やぶの奥の岩壁に彫りこんで、かなり広い洞窟です。
 サンチヤゴの鐘には、1612 SANTIAGO HOSPITAL の文字があります。
 竹田の昔の領主がキリシタンだったのです。

写真の左下が洞窟礼拝堂。
右下が洞窟です。
例によって、ひっそりとしています。




9万年前の阿蘇大噴火で降った火山灰土が堆積して固まった
阿蘇凝灰岩の地層を彫った小さな小さな礼拝堂。
幅3m、奥行き3m、高さは3m50cm。
14世紀ローマの洞窟礼拝堂に似ているという。

「藩主中川久盛(二代)の家老古田重治は
この洞窟にひそかに神父ペトロ、パウロ、ナバロ及び
フランシスコ、ブルドリノの二人を保護していた」
と書かれた古い標識が立っています。

昨日ご紹介しました古田家のお屋敷から
歩いて2分程度のところに洞窟はあります。
それにしてもこの小さな町で、異人さんを隠すなんて
どうしても不可能だと思います。
すぐにばれるはずです。

藩主中川久盛公もキリシタンだったし
多くの人々がキリシタンでした。
キリスト教が禁じられたあとも、この町では
1万5千人ものひとが隠れキリシタンだったという話もあります。
だから家老古田重治が、かくまっていたのではなく
町ぐるみでかくまっていたのでしょう。




内部の祭壇です。
先日の竹楽の祭のとき設置された竹がそのままになっていました。
こういう十字の仄かな照明、この町のひとの
遠い記憶にあるものかも知れません。




小さな礼拝堂の右手にある洞窟の内部から撮りました。
当時はもっとこの孟宗竹がうっそうと茂っていたかも知れません。


『波千鳥』は『千羽鶴』の後編ですが
全編通して、何か微妙にキリスト教的な表現が見られます。

 「ゆるして。ああっ、おそろしい、なんて罪深い女なんでしょうねえ」
と、登場人物の太田夫人に語らせています。

 「おれを罪人にするのはなにものか」とか
 「あこがれというのは、罪人の言葉でしょうから・・・」
と、主人公・菊治に語らせます。
菊治の心象をこんな風に表現したりもします。

 ゆき子の静かな寝息とほのかな匂いだけで
 甘い赦免を感じた。
 それは身勝手な陶酔なのだろうが、
 しかし女だけが極悪の罪人にもゆるしてくれる恵みであった。
 一時の感傷か麻痺かもしれないが、異性の救済だった。


 罪人の手がそっと聖処女を抱いたのか、
 菊治は不意に熱い涙を目に感じた。

文子が菊治に宛てた手紙にはこんな表現も使われます。

 私の愛は行きつくところまでゆきついて
 一つは死、ひとつは罪でした。


 もののまぎれなどと自分で言えるでしょうか。
 また、他人のしたことをはたから見ても
 もののまぎれなどと言えるでしょうか。
 神か運命かが人間のしたことを赦す時に
 もののまぎれというのでしょうか。

 
 紅葉の色の濃い山は、ステンドグラスでも見るようです。
 そうして私は大きい自然の天堂にいるようです。

 松かげにじっとあなたを思っていて
 ここが屋根のない天堂なら
 このまま昇天しないものかと
 私はいつまでも動きたくありませんでした。

久住の紅葉をステンドグラス
雄大な久住を天主堂つまり大自然の教会と見立てているわけです。

古田織部

豊臣秀吉に切腹を命じられた千利休。
徳川家康に切腹を命じられた古田織部。
織部は利休の弟子、利休七哲の一人と言われています。
二人の偉大な茶人が、時の最高権力者の命令で切腹した・・・




川端康成の小説『波千鳥』の引用を続けます。

 竹田荘(ちくでんそう)の庭に織部燈籠がありますが
 少し上りの小路を右に折れると竹田荘の石垣、
 それを反対の左に折れたところの屋敷に、
 古田織部の子孫が住んでいるとかで、
 その前を通るのにも、胸がどきどきしました。
 むかし、古田織部の子が竹田へ来て住みついたと言いつたえです。
 たしか上殿町という、昔の武家屋敷の町です。

写真の中央、土壁の立派な塀があるのが古田家の屋敷です。
今も子孫が住んでおられて「古田」の表札が、かかっています。
あのとき織部も織部の息子たちも切腹させられたのですが
孫が竹田の岡藩主中川公の家老職についたのだといいます。

古田織部の妻は関西の茨木城主であった中川清秀の妹でした。
中川公と古田織部は、もともとそういう縁があって
切腹させられ断然させられたはずの古田家は
九州内陸部の豊後竹田で続いていたのです。

中川神社



昭和28年ごろ、川端康成は久住高原に滞在して
小説『波千鳥』の原稿に向かっていました。
登場人物・文子は久住の高原で自分の心を見つめていきます。

 私は大きい自然の天堂にいるようです。
 ・・・ああ、来てよかった。
 と、私は声に出して言いました。
 私は涙を流して、すすきの穂波がなお銀の光にぼやけましたけれど
 悲しみをよごす涙ではなく
 悲しみを洗う涙でした。
 私はあなたを思い、そして別れるために
 この高原にも父の古里にも来たのでした。
 あなたを思うことに、悔いや罪がつきまとっては
 私はお別れ出来ません。
 また私の出発を新しくできません。
 遠い高原まで来て、なおあなたを思うことをおゆるし下さいませ。
 お別れするために思うのです。
 草原を歩きながら、山をながめながら、
 私はあなたを思いつづけさせていただきました。
 松かげにじっとあなたを思っていて、
 ここが屋根のない天堂なら、このまま昇天しないものかと、
 私はいつまでも動きたくありませんでした。
 私はうっとりとあなたの幸福を祈りました。
 ・・・ゆき子さんと結婚なさいませ。 
 私はそう言って、私のうちのあなたとお別れしました。
 あなたを忘れるはずもありませんけれど、
 この後どのように醜く濁った心で思い出すことがあったにしても、
 私はこの高原であなたを思った時に、お別れ出来たのだと考えます。


文子は久住高原の大自然のなかで癒されていきます。
小説では、文子の「父の古里」がここ豊後竹田という設定です。
康成は竹田も歩いています。

上の久住高原の写真は11月5日に撮ったものです。
 



今朝、ふと思い立って中川神社に登りました。
これは登り口。まだモミジがこんな景色でした。




もうこれが見納めでしょう。
ひとの姿はなく、ひっそりとしています。
竹田はどこでもそうですが・・・




『波千鳥』は続きます。

 私はあなたのことを思いながら、父の町を歩きました。
 父の故郷は私にはもう見知らない町ではありません。
 昨日の夕方着いた時は、わかりませんでした、
 今朝になってみると、ほんとうに小さな町です。
 どちらに向いて歩いても、岩の壁に突きあたってしまいます。
 私も四方が岩山の「なかに置かれて」いるような気がします。
 昨夜、伯父が使っていました宿屋のマッチ箱に
 「山紫水明、竹田美人」と印刷してありましたので
 ・・・京都のようですね。と私が笑いますと、
 ・・・ほんとうだよ。竹田美人と言ったものだ。
 お琴だとか、お茶だとか、昔から遊芸がさかんなところだ。
 水もきれいで、町なかの軒下を流れる小溝をここでは、
 井出(いで)というが、文子のお父さんが小さいことは
 その井出で朝は口をすすいだし、茶碗も洗ったものだ。

 人口がわずか一万ほどの町に、寺院が十幾つあったり
 神社が十近くあったりするのも、小京都なのかも知れません。

   (略)

 田能村竹田の旧居、田伏屋敷跡のキリシタンの隠れ礼拝堂、
 中川神社のサンチヤゴの鐘、広瀬神社、岡城址、魚住の滝、
 碧雲寺などの名所も、半日足らずで歩けました。
 
   (略)

 サンチヤゴの鐘には、1612 SANTIAGO HOSPITAL の文字があります。
 竹田の昔の領主がキリシタンだったのです。

豊臣秀吉の命令で、関西から竹田に左遷された中川公は
当時キリシタン大名でした。1612 SANTIAGO HOSPITAL の鐘は
今は竹田歴史資料館にあります。

ダリアたち



12月が過ぎたというのに、まだ咲いているダリアがあります。
エンジェルファームの菜園のダリアです。




12月1日の霜のせいでかなり傷んだとはいえ
カンナもまだ存在感があります。




矮生のカンナは、こんなツボミをつけています。
強い霜さえなければ咲きそうな勢いです。
暖かかったことがわかります。




エンジェルストランペットの様子。
花が枯れてきたとはいえ、カンナ同様、存在感があります。

初めてのリース



香山桂子が初めて作ったリース。




右下部分です。




熊本県南小国町のアップルミントさんで指導を受けながら作ったのです。
楽しい1時間だったと、桂子は言っています。
エンジェルファームの裏山にはツルがたくさん自生しているし
リースの材料になりそうな植物がいろいろあります。
今後はそういうのも使って楽しんでみたいと思います。
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