九州・大分県の内陸部、水清く緑豊かな豊後竹田から発信。
エンジェルファームNEWS
ヤマガラ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/bc/824c725f5f01afc95924c6004b29f6bd.jpg)
いつもの林の散歩にカメラを持って出かけたら
ヤマガラの群れに出くわしました。
連写モードを使ってみることを思いついて
それから鳥や蝶を撮ることができるようになりました。
動きが素早いものは十数枚、何十枚か連写してみる
まぐれ当たり作戦です。
あまり上等なカメラではないので、できるだけ近づいて撮るんですが
そうすると逃げられてしまうことが多いです。
でも、この鳥はもっと近寄ってもいい
この蝶はこれ以上近寄ると逃げてしまうということがわかって
面白いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/6e/c901cbe58f2879045b86b6eb45f210aa.jpg)
冬の林の小径は本当に静か。
耳をすましていると鳥たちの声が聞こえてきますが
この季節は鳥たちも静か・・・
これから春が近づいてくると
急に鳥たちのさえずりが賑やかになる時期がやってきます。
冬の沈黙の季節から、急に百花繚乱の季節になっていく・・・
そうするとこの林の小径も一変します。
今はこの静寂の季節を楽しみたいと思います。
ヤマガラには特殊な学習能力があって
平安時代から芸をしこんできた歴史があるみたいです。
この動画は戦後流行ったという「おみくじ芸」。
野性的な鳥のこんな能力をひきだす、驚きです。
ジョウビタキ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/f9/0211ab876a0e804b07202916b7c37406.jpg)
裏山の柿の樹の枝にとまる渡り鳥のジョウビタキ。
声がコキコキッとかカカカッというふうに聞こえます。
この音が火打石を打ち合わせる音に似ていることから
「火焚き(ヒタキ)」の名がついたという。
ジョウ(尉)は炭火の白い灰となったものを意味し
転じて銀髪を意味する・・・ジョウビタキのシルバー頭です。
火打ち石とか、炭火の白い灰とか
日本人とこの渡り鳥との長いつきあいを感じさせる名前です。
ゆっくり近寄ると3mぐらい近寄っても逃げません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/64/0390a7071669b92f8990b9acc22499f6.jpg)
「かわいい姿を撮らせて」と心でメッセージを送って
ゆっくり近づいていきます。
鳥たちは素晴らしい眼をもっていて
こちらの様子をよく観察しています。
僕に何か危険な乱暴な気配を感じたら
すぐに逃げさるでしょう。
驚かさないようにゆっくりゆっくり近づいていきます。
そうするとシャッター音で逃げないときもあります。
今日のこの写真のように。
シロハラ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/da/3e47aa25ab884731f110c609555e6fbf.jpg)
渡り鳥・シロハラを初めて撮りました。
あまり明るいところに出てこないうえに地味な色です。
たまに見つけてもカメラを持ってくるうちにいなくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f0/e5e7a88d95acc3d248fa80a7e0142c14.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/b1/1084be409d54b8eb73637935c7701ad1.jpg)
ふだんはこういうところでカサコソ餌を探しています。
冬でもこういう雑草や落ち葉のなかに虫やミミズがいることを知っていて
小さなからだなのに東アジア(中国・朝鮮・ロシア)から
はるばる日本海海上をはばたく長距離の旅をしてきました。
Welcome to Angel Farm!
裏山のクリの大木
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e2/11e32435e72c9d4de5a3c6acce41b224.jpg)
昨夕、撮りました。
画面右下から伸びている落葉樹は裏山のクリの大木。
クリの右横の落葉していない樹はカシ(葉が黒く写っています)。
左下の尖った山は天孫降臨伝説の祖母山。
クリは縄文時代から食べてきた長い歴史があります。
土器をつくり土器で煮たきものをする文明、縄文時代は1万5千年まえに始まりました。
実は日本の文明は非常に早く始まっているんです。
青森県の大平山元遺跡で見つかった土器は「世界最古」であると騒がれました。
驚くことにこの文明は紀元前4世紀まで続きました。
稲作を特徴とする弥生時代までです。
日本は約1万3千年という途方もなく長いあいだ縄文時代だった。
それは日本人が遅れていたとかバカだったせいではなく
非常に幸せだったからではないかと僕は思っています。
2013年に東京の大森貝塚を訪ねたとき、このブログでそのことを書きました。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/56bdf00a67d7799d9716052824de11da
魚、貝、イカ、タコ、エビ、山菜、木の実、シカやイノシシ、タヌキ、ウサギ等の動物、昆虫・・・
豊かな食べ物に恵まれており、島国なので外敵の侵略の恐れもない。
ある意味、楽園生活だったのではないでしょうか。
強大な権力、武力、蓄財、宮殿、神殿が必要なかった。
立派な神殿や神像、ピラミッドを築く文明からみたらバカに見えるでしょう。
東京の高層ビルに住んで、夜景を見下ろすことが文明だと思っている人々にとっては
縄文の幸福はバカにしか思えないでしょう・・・
観照の小径
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/07/bf0a8476a1a2e64bb9d31e2783bed560.jpg)
ほぼ毎日、この林の小径を散歩します。
誰とも出会うことがない・・・
けれど野鳥たち、風の音、こんな夕陽に出会います。
呼吸も感じます。からだの微妙な感覚も感じます。
観ている意識のなかにくつろぎます。
沈黙のなかにいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/63/514caaa647d80147e8f07d21861945d1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/e8/2d7fece3d28bbc26f22bd95bf1d9db55.jpg)
青空の月
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/df/e5335bdcf21b65482511fb4e80a74fd1.jpg)
裏山から撮りました。東の空、3時7分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/72/b8988c6300c29cc5477f814fa7021da2.jpg)
4時10分、庭から見上げました。
子供のころ、青空に浮かぶ月が不思議でした。
太陽は昼の世界、月は夜の世界のものなのに
なぜ明るい昼の世界に太陽と一緒に月が浮かんでいるのだろう・・・
しかも月はどこまで行ってもついてくる。
歩くとどんどん風景が変わっていくのに
月は遠ざかっていかない。家までついてくる。
なんと不思議なお月さま・・・
夕陽がきれいね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e5/4359dc5c3ee9768bae458561dfaa976a.jpg)
夕陽がきれいね、と窓から見てヴィラモが言った・・・
すぐに庭に出てこれを撮りました。5時46分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/2a/563d300b2a4a40768616b57521e1d904.jpg)
そして今、これを撮ってきました。6時23分。
特別な夕暮れではない、ふだん通りの景色ですが・・・
地球に恋して
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d2/a9bc4cb82442444c55e348cbc65a4b2f.jpg)
今日、裏山から見た祖母・傾山系の連山。
右下の尖った山が天孫降臨伝説の伝わる祖母山。
祖母さんの向こうが高千穂。
たまたまティク・ナット・ハン老師の
『Falling in love with the Earth ~ 地球に恋して ~』 と題された
素晴らしい声明を見かけたので、ちょっと長いけれど
シェアさせていただきます。
地球温暖化問題に取り組む国連気候変動枠組条約に基づく締約国会議(COP)事務局の
求めに応じたものだそうです。
https://www.beloved-community.net/reading-peace-%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80/%E6%B3%95%E8%A9%B1-falling-in-love-with-the-earth-%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%AB%E6%81%8B%E3%81%97%E3%81%A6-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF-%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%88-%E3%83%8F%E3%83%B3/
『Falling in love with the Earth ~ 地球に恋して ~』
ティク・ナット・ハン
恵みにあふれ、命を産み出す、私たちが地球と呼ぶ、この美しい惑星。
この惑星から命を授かった私たちは、すべての細胞の内に地球を宿しています。
<We and Earth are one ─私たちと地球はひとつ>
私たちの母なる地球は、どんな瞬間も私たちを養い、守っています──
地球は私たちに呼吸するための空気、飲むための新鮮な水、食べるための食物、
そして病にかかれば治癒のための薬草を捧げています。
私たちが息を吸うたび、この惑星の窒素、酸素、水蒸気、微量元素を呼吸しているのです。
こうした対象に意識を向けて呼吸していると、自分自身が地球の精微な大気、
あらゆる植物、そして光合成という奇跡を起こす太陽とまでも、
相互に依存しながらここにあることを肌で感じることができます。
呼吸のひとつひとつが私たちにとっての聖体拝領であり
命の神秘に触れさせてくれるものです。
私たちの物の考え方や見方を改めなければなりません。
地球は単なる「環境」ではありません。
地球は私たちの外に存在するものではないのです。
呼吸にマインドフルになって、自分の体を静かに深く見つめるとき、
自分とは地球そのものであることが分かります。
自分の意識とはまた、地球の意識であることが分かります。
あなたの周囲を見渡してみてください──あなたが目にするもの。
それは「環境」ではなく、「あなた自身」なのです。
<Great Mother Earth ─偉大なる母─『地球』>
わたしたちがどんな国籍や文化に属していようと、そして信仰する宗教にかかわら
──仏教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、無神論者であろうと ──
地球とは無生物や不活性の物質ではないことは明らかです。
地球はそれ自身が大いなる存在であるばかりか、他の数々の偉大なる存在──
仏たち、菩薩たち、預言者たち、聖者たち、神の御子ら、そして人類──をも産み出しました。
地球とは愛に満ちた母親であり、あらゆる人々と生物を差別することなく守り、支え養っているのです。
地球が自分の「環境」よりも、ずっと大きな意味をもつ存在だと気づくと、
わたしたちは地球を自分自身と同じように大切にしようと心動かされるのです。
こうした自覚と覚醒が私たちには必要です。
地球の未来は私たちがこうした洞察を培えるかどうかにかかっているのです。
地球とそして地球上のあらゆる種が危機に瀕しています。
しかし、わたしたちが地球との親密な関係を築くことができれば、
この命がたどりゆく道筋を変えるのに充分な愛と強さ、そして覚醒を得ることが出来るのです。
<Falling in love ─恋に落ちて>
地球のすばらしい調和と優雅さ、美しさを理解すると、
わたしたちは皆、地球への深い敬愛を覚えます。
桜のほんの一枝、かたつむりの殻、コウモリの羽。
どれもが、地球のみごとな創造力の証しを宿しています。
科学的進歩による一つ一つの解明が、
この奇跡に満ちた星へのわたしたちの尊敬とと愛を深めていきます。
私たちがほんとうに地球に触れ、そして地球を理解するとき、
愛が私たちの胸に生まれます。私たちはつながりを覚えるのです。
一体となること──これが愛の意味です。
わたしたちがもう一度地球と恋に落ちるとき、
崇敬と互いの繋がりへの洞察が、私たちを行動へと駆り立てます。
でも、私たちの多くが未だ地球から疎外しています。
迷い、孤立し、孤独のままです。
働き過ぎ、忙し過ぎる人生を送り、落ち着きなく、
気の散ったまま、消費に我を失っています。
でも地球はいつでも、私たちの滋養と癒しに必要なすべてを捧げながら、
私たちのために存在しているのです。
奇跡のようなとうもろこしのひと粒。
英気を養うさわやかなせせらぎ、芳しい森、荘厳な冠雪の山頂。
歓喜に満ちた夜明けの鳥たちの歌。
<True Happiness is made of love ─ほんとうの幸せは愛でできてる>
私たちの多くが、お金や権威や権力を手に入れなければ、
幸せにはなれないと考えています。
そして富や、権威、権力を夢中で追い求めるあまり、
すでに存在するあらゆる幸せの条件を無視しているのです。
そして必要もない程のモノの購入と消費に我を失い、
自分と地球というこの身体に重いかせを背負わせているのです。
それなのに、私たちが飲むもの、食べるもの、観るもの、読むもの、聴くものの多くが有害で、
自分の心と身体を暴力や怒り、恐れや絶望で汚染しているのです。
二酸化炭素(CO2)が物質的にわたしたちの環境を汚染することを論じるように、
人類の精神的な環境においての汚染についても論じられるべきです。
有害で破壊的な風潮が、わたしたちの消費の仕方によってつくり出されています。
消費とは、私たちの真の平和と幸せを持続可能にする方法で行われるべきです。
私たち自身が人間として持続可能になって初めて、この文明社会は持続可能となるのです。
わたしたちはいまこの瞬間に幸せになることができるのです。
幸せになるために、たくさんの消費は必要はありません。
ほんとうはとても簡素な暮らしで充分なのです。
気づきが共にあれば、どんな瞬間も幸せの瞬間へと変わるのです。
呼吸をひとつ味わって、ただ立ち止まって鮮やかな青空を深く見つめる瞬間、
または愛する人の存在を心一杯に感じる瞬間、わたしたちはすでに充分過ぎるほど幸せです。
一人ひとりがもう一度、自分自身へ、愛する人たちへ、
地球へと帰り、つながりを取り戻すことが必要なのです。
お金や権力や消費がわたしたちを幸せにするのではありません。
私たちを幸せにするもの。
それは、この胸に抱く愛と理解なのです。
<The bread in your hand is the body of the cosmos
─あなたが手にするパンは 宇宙そのもの>
わたしたちの思いやりを育み続けることのできる消費の仕方が必要です。
しかし多くの消費が非常に暴力的な方法によるものです。
何百万もの人々が飢えで命を失っていく中、
肉牛を育てたり、酒類の製造のために森は切り払われます。
肉と酒の消費量を5割削減することは、自分自身と地球、そして仲間への愛の行動です。
思いやりをもって食べることは、地球が直面する事態を改善し
私たち自身と地球が調和を取り戻すことを助けるのです。
<Nothing is important than brotherhood and sisterhood
─お互いの兄弟・姉妹としての愛ほど大切なものは何もない>
私たち一人ひとりの内から起こる革命が必要です。
朝起きたらすぐに私たちが地球と恋に落ちることが必要です。
私たちは永い間、ホモ・サピエンス(ラテン語で「賢い人」の意)として生きてきました。
これからは、ホモ・コンシウス(気づきの人)へと進化を遂げるのです。
地球への愛と尊敬の思いには、私たちをひとつにし、
どんな境界も分裂も差別をも取り除く力があるのです。
何世紀にもわたる個人主義と競争は、膨大な破壊と疎外をもたらしました。
私たちはもう一度自分自身と、地球、
同じ母の子同士であるお互いの間で真のコミュニケーション──
真のコミュニオン──を取り戻す必要があるのです。
新技術だけでは、地球を守るのに十分ではありません。
真の共同体と協調が求められているのです。
どんな文明も無常であり、やがては終焉の日が訪れます。
しかし私たちが今の針路が変えなければ予想よりもずっとはやく、
この文明社会が滅びることは明らかです。
地球が癒え、その素晴らしい調和と美を取り戻すまでに何百万年もかかるでしょう。
地球は回復を遂げても、私たち人間と多くの生物たちが姿を消すことになるでしょう。
この地球がふたたび未来に私たちを再び新しい形態を持って産み出す条件が整えることができるまで。
文明社会が永続しないことを、平和をもって受け容れるとき、私たちは怖れから自由になります。
こうして初めて、私たちはお互いと一体になる為の力と覚醒、愛を得ることができるのです。
この貴い惑星地球を愛しみ、恋に落ちることは義務ではありません。
これは個として、そして集合体としての私たちの幸福と生存についての問題なのです。
梅の枝に雪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/46/ce8d19051de362353beb4e1765d76c14.jpg)
昨日、エンジェルファームの梅の枝にジョウビタキの後ろ姿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b4/62149aa67e7bc9de0ecefcfdbaef8715.jpg)
冬は無音の季節。シャッター音に驚いて飛びたつジョウビタキ。
去年1月25日のブログに、梅の花8輪を見つけたことを書いています。
今年もつぼみはふくらんできていますが
まだしばらく咲きそうな感じではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c0/0c94a21be56bd393851ab1e162129a22.jpg)
今朝、この梅の樹に雪。
僕が平安歌人なら梅の花が咲いたと詠うところでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ec/4ef419969205afc2b40967858a69f026.jpg)
玄関前のヒメシャラの枝。
水分が多い雪だったのと気温がそれほど低くないので
午後から溶けつつあります。
あたりまえがスピリチャル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/5c/2777f04b0c2d5634a3230a194c39fc16.jpg)
去年の年末、あるかたのFacebookの投稿で
OSHOの下記の発言を知りました.
たいそうな体験など
必要ないのだ。
愚か者だけが
たいそうな体験をする。
そして
たいそうな体験などというものは
みなどこか自我指向だ。
たいそうなという、
まさしく
その観念からして
自我の投影にほかならない。
本物の体験というのは
ただのあたり前の体験、
ごくあたり前の体験だ。
人はそういうものを
無視しがちだ。
だが、
そういうものこそ
本当の体験なのだ。
ちょっと
シャワーを浴びていると、
平和な感じになる。
庭で働いていると、
雲が晴れて太陽が顔をのぞかせ、
気分が良くなる。
何もしないで
ただすわっていると、
その一瞬今ここにいる。
人は天国にいる。
楽園が出現した。
だが、
そんなのは
たいした体験じゃないし、
人に話すような物でもない。
話しても
「何を言っているのかね。
そんなものは
話したってしょうがない。」
と馬鹿にされるだけだろう。
しかし、
実はそういうものこそ
本当の体験なのだ。
そこにこそ、
本物の
スピリチュアルな体験がある。
ごく当たり前だ。
人々が口にするような
並はずれた体験は、
何かの自我の投影にすぎない。
それに気をつけなさい。
あたり前でいるがいい。
そうすれば、
けっして
不幸せにはなるまい。
そんな
だいそれた体験や、
だいそれた悲劇も
味わうことにならない。
バランスの取れた
地面の上を歩く。
けっして
絶頂はないが、
谷間もない。
だから、
とても良い。
ただ
自分の静かな体験を
楽しむがいい。
OSHO
以前にも「あたりまえ」を話題にしたことがあります。
癌で亡くなった井村和清医師の「あたりまえ」という題の詩です。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/c729cea9fd22c320edd6f6e39f982263
今日の写真はエンジェルファームで育てているハーブや薔薇を
以前ヴィラモがオリーブオイルや酢で漬けたとき撮りました。
私たちは食べること、食べるものを育ててみること
そんなあたりまえのことを大切にしてきました。
今夜この写真も載せて
スマホ版Webサイトのトップページをアップしました。
実は僕たちふたりともガラケーです。
スマホできれいに見えるかどうか・・・
↓スマホ版の試作です。
http://angelfarm.jp/mob.html
すべてが奇跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/f8/460ba6b669143700fed7fc058d6a98a0.jpg)
エンジェルファームの裏山。
北国だと考えられないと思います。
針葉樹ではないのに落葉しない葉がこんなにあります。
ここに座ると大地の底知れないちからと静寂を感じます。
アメリカ合衆国で広がるマインドフルネスの源流と称賛される
ベトナムの禅マスター、ティク・ナット・ハンはこう語っています。
人は普通、水の上や空中を歩くのを奇跡だと考える。
だが、ほんとうの奇跡とは、水の上を歩くことでも
空中を歩くことでもなく
大地の上を歩くことだと私は思う。
私たちは毎日、自分では気づきもしない奇跡に従事している。
青い空、白い雲、緑の葉
子供の好奇心に満ちた黒い瞳・・・
自分自身のふたつの目。
すべてが奇跡なのだ。
Thich Nhat Hanh,The Miracle of Mindfulness.
最近ハン師の声の入った下の動画を知って
「お気に入り」に入れ何十回も聞きました。
目のまえの奇跡と神秘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/19/382e11365b94eac3f998dd4b10d64777.jpg)
2016/12/31 エンジェルファームの庭から見た曙光。ソテツの葉と重なっています
ホームページをまったく新しくする作業をしています。
残したいページについては改訂版をつくっていきます。
2006年11月に「大地・地球・自然」という題名でつくり
2010年8月に「目のまえの奇跡と神秘」という題名に変えたページは
今回写真を新しくしたり文章も見直して改訂版をつくります。
そのページはこんなふうに始まります。
--------------
すばらしい朝だ
くり返しくり返し太陽は昇る
しかしいつも新しい
けっして古くなることはない
・・・毎日私は見ている
それは常に新しい
なにひとつ古くはない
・・・今朝もまた、存在の奇跡だ
あらゆる瞬間に奇跡が起こっている
OSHO『ゴールデンチャイルドフッド』
現代インドの禅師OSHOの、ある朝の言葉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/c6/2e77d731ea3c9507ae00ff9cb6797cc5.jpg)
2016/01/01 エンジェルファームの裏山から見た曙光
インドのソクラテスと讃えられたJ.クリシュナムルティの
1983年4月18日の日記にもこんな表現があります。
そして一日は始まった
すばらしい日だ
こんなにも新しく
こんなにも新鮮で生き生きとし
美しさに満ちている
どんな過去の思い出もなく
他に訪れるものもない
新しい一日だ
・・・この途方もない光に圧倒されてしまう
はじまりも終わりもないないように思われるこの創造
ずるがしこい思考によらない
新しい朝という創造
それを見まもっていると不思議な気持ちになる
今朝は、これまでけっしてなかったほど明るく澄んでいる
青色の丘は下界を見おろしている
今までになかった新しい一日が生まれる
J.クリシュナムルティ『最後の日記』
あるインド人男性がこんなことを言いました。
「クリシュナムルティ先生、どうか奇跡を見せてください
あなたならできるはずです」。
クリシュナムルティはこんなふうに答えました。
あなたがそこにいて、私がここにこうして座っている。
これが最大の奇跡だ。
その男性は、例えば空中浮揚とか
何か固いものを念力で曲げるとか
腕時計や金粉などを手のひらに生み出したりするとか
病人を瞬時に治す力を見せて欲しいと思ったのでしょう。
ところがクリシュナムルティは、奇跡はすでに起きている
あなたの目の前に途方もない奇跡が起こっているではないかと言うわけです。
宇宙という奇跡、私たちが意識を持って存在するという途方もない奇跡。
その奇跡は過去形ではなく、今この一瞬一瞬に起きている。
宇宙のどこかに巨大な男の人がいて
過去に「光あれ」と言ったから光があるのではなく
今この瞬間に光が創造されている。
観照の小径
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/2d/49303b340720a76e953f4e4a6f395bce.jpg)
柴犬アミをつれて毎日散歩する林の小径に立つコナラの樹。
右下の緑の葉は冬に落葉しないカシの樹。
誰ひとりこの小径を通るひとはありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/04/0e2d6391c47d4e55025d7d347ecb12e6.jpg)
右下の道です。
京都の「哲学の道」とは大違い。
京都の画学生だった若い日、水路わきのあの道をよく歩きました。
京都の哲学者・西田幾多郎がひたいに油汗して沈思黙考した道。
もともとは「思索の小径」といわれていた。
急に有名になって観光コースになり
たくさんのお店ができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/5d/b345e37f7749c4c6f2a058067b9302ff.jpg)
散歩コースのこの小径はお米を作る季節には
小さな溝が田をうるおす農業用水路になります。
今は一部、ちょろちょろと流れています。
その小さな水音を聞きます。
鳥のさえずりも聞こえます。
風の音も聞こえます。
アミの四本足が落ち葉をかさこそ踏む音も聞こえます。
この小径を歩くときは思索しません。
思索するとこの季節のこのときにしかない美しさ豊かさを
見過ごしてしまうから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/4a/31239b33e98e59cc41403fec25cfc42e.jpg)
小径の水路にたまる落ち葉。
呼吸にも気づきます。
呼吸は意識のベクトルを内側に向けるきっかけになります。
そのとき鳥のさえずりが聞こえたらそれにも気づいています。
この小径は「哲学の道」ではありません。
僕たちにとって「観照の小径」です。
春にやあるらむ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/48/65bbc3cef2c15b2a4cd787fdd414aa58.jpg)
目が覚めると雪景色でした。
手前は薔薇の枝。まだ冬剪定ができていません。
古今和歌集の冬歌に清原深養父(きよはらのふかやぶ)の素敵な歌があります。
清少納言のひいお爺さんにあたる歌人です。
雪の降りけるをよみける
冬ながら空より花の散りくるは
雲のあなたは春にやあるらむ
冬だというのに、空から花が降ってくる
雲のむこうは、春なのだろうか?
雪を桜の花に見立てて春を想っています。
以前にもこの歌を話題にしました。
2012年02月28日
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/b1aff049964238063f2e54877deeb754
2011年02月11日
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/eaba63b2b919977b6b0c642c6aa7a9bb
2008年02月03日
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/84cc232207d8c77cb17645b2bd52a2f6
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/4f/1e825338fc1cc29071fbe1e2daa9d008.jpg)
ナンテンの実。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/41/04b9bca2adef6283c05e1f3f5c91bb13.jpg)
サザンカの花。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/96/9c38366608ad1a298714abfb10963706.jpg)
コデマリの枝。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/18/61e45e27a15e11c80316f467e2c04474.jpg)
梅の枝。
つぼみがふくらんできています。
去年は暖冬で1月に開花しましたが、今年はどうでしょう。
まずは梅の開花を待ちます。
冬の宝石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/01/20b46fc30d7a89df963ae3ef78f8743f.jpg)
冬枯れのエンジェルファームの庭や裏山で集めた宝石。
ナンテン、クチナシ、野バラ、ドッグローズ(ロサ・カニナ)
カラスウリ、マンリョウ、トキワサンザシ、アオキ。
こういう実が鳥たちに一気に食い尽くされてしまわないのが不思議でした。
なぜ無くなってしまわないのでしょうか?
鳥たちは、食べ物が一気に無くならないように
自分たちが飢えないように少しづつ食べているのでしょうか?
でも海外から飛んできた渡り鳥が見つけて
一気に食べてしまうかもしれません。
ナンテンの実に関しては微量の神経毒が含まれていて
鳥たちはそのことがわかっていて一気に食べないそうです。
たくさんの鳥に少しづつ食べさせ
いろんな地域に種を運んでもらいたいナンテンの戦略なんですね。
他の実もそれぞれの戦略があるかも知れません。
植物は移動できないので鳥を利用する。
「鳥のみなさん、私たち食べごろですよ」と
実を赤くして鳥を引き寄せます。
そのなかで右上のアオキの実だけ黄緑色。
ほとんどの実が食べつくされる3月中旬ごろにルビー色に熟します。
アオキの実は大きくこれを食べるのはやや大型の鳥、例えばツグミです。
渡り鳥のツグミはそのころ北方に旅立ちます。
ツグミが旅立つタイミングで熟せば彼らに食べてもらうことで
種が遠くに移動できるかもしれません。
またそのころになると他の植物の実はほとんど食べつくされるので
アオキの実は注目のまとになるでしょう。
赤くなる時期をずらすことで確実に鳥たちに食べてもらえる。
これらの実、ただカワイイ・キレイなだけでなく
そうとうな知恵者です。
« 前ページ |