真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

気質

2019年08月22日 | 安全な食品

ニンゲンの気質というものがある。

今日は、奈良から義妹がダーリンを訪問してきた。私は仕事で出ていて、話もできなかったが、ダーリンが実の妹と何を話して何をしたのか、伝えてくれた。



※今日の仕事は大阪市内で昼となった。

天神橋2-1-18(天神橋商店街1丁目 入って天六へ向かう、アーケードに入ってすぐ)に天神 土山人 という蕎麦屋があった。

なんと、すごい、うまい、気が利いている。

写真は食べ始めたが、これはお知らせに値すると、スマホを取り出しました。

ふつうはそういうお行儀が悪いことはしません。

つゆも、紅塩も、もちろんそばも、一流だ! 890円はすごくお得!

蕎麦湯もOKだった。

芦屋で見かけたことがあった屋号で、どうもそのあたりが本店かな。



※食べログみたいなことになってしまった(笑)





お互いに踏みつけにしたらしい(笑)


 

写真は山内先生です。

 

 

 

義妹は「楽健法」というのをやっていて、我が家にくればダーリン(姉)や、 私(義兄)をうまずたゆまず、踏んでくれます。

これが実に気持ちよく、健康に大いに貢献してくれます。


話の中で、気質という話題があったそうで、引用したタイプはいかにも当てはまり、なるほどな~となりました。

私は,胆汁質(火)で間違いありません(笑)

暴君です(爆)


基道館にはいろんな人がいて、気質も様々、ついてこれない人が出ても仕方ないということがわかりました。


私は怒涛のように進み、振り返らない、信念は揺るがない、きつい言葉を平気で使う、ガキ大将でした。

ただ、ダーリンが言うには、

壁があればぶち破るのがあなたでしょう?といったが

私「壁を壊そうと思っても、しんどい時はぐるりと回ってきて切れ目から通ることも知っているよ」と答えました。

 

以下転載



                       気質を知ろう 
                     私とあなたを知るために



1、 気質とはなんでしょう?
 仲正雄氏の講演録に「気質というのは性格判断とは違います。気質に目覚めることで人間と自然(四大要素 火、風、水、土)との中には共通した力が働いているという意識が持てるようになるのです。」と述べられています。また、「気質への認識は自分に出会いたい。自分を変えたい。そういう時には必ず役に立ちます。そして何よりも、自分と自分以外の人を理解するきっかけを作ってくれる大切な鍵となってくれるのです」と。血液型は変えられないけれど、気質は固定性がある上で流動性もあるので状況に応じて変わるものだといわれます。気質は年齢によっても変わります。また、季節によっても一日の中でも変わるものなのだと。

2、気質にはどんなものがあるのでしょう?
(憂鬱質-土)
 ・身体が重く自分が石のようになってしまう人です。
 ・ものごとをコツコツする人です。
 ・字を書けば活字のようにきれいな字を書きます。
 ・整理整頓がきちんとできます。
 ・数につよいです。
 ・何か言われると傷つきやすいです。
 ・昔あったことをよく覚えています。
 ・しゃべり方はゆっくりで硬いです。
 ・外の世界から自分の世界へ入ってくるものをあまり楽しいとは感じません。
 ・食べることがあまり好きではありません。

(多血質―風 血が多いのではなく血をたくさん使うという意味)
 ・一箇所にとどまっていられない風のような人。
 ・外にすぐに反応する人。
 ・食べるのが好きです。
 ・部屋を片付けるのが苦手です。
 ・オッチョコチョイで軽はずみなところがあります。
 ・色んなところへ行きたがります。
 ・あっちにもこっちにも興味がいきます。
 
 (粘液質―水)
 ・風船の中に空気の代わりに水を入れたようなイメージ。
 ・外との関係がゆっくりしています。(ゆっくりという意味では、憂鬱と同じですがゆっくりの質が  違います。)
 ・食べることが好きです。ゆっくり味わって食べます。粘液の人は水をあまり飲みません。すで  に体のなかに水分がたくさんあるからです。
 ・外から入ってくるものは楽しいけれどゆっくり、じっくり味わいます。
 ・外の世界に関心はありますが、一つのところにとどまってしまいます。
 ・長い時間かけてすることが好きです。

(胆汁質―火)
 ・外との世界の関わりが激しい人です。
 ・好き嫌いも激しいです。
 ・声が太くて力があります。
 ・断り方もきついです。
 ・自分の言いたいことを押し通します。
 ・自分のやりたいことを外に出していきます。
 ・革命家のような人たちです。
 ・力があります。
 ・食べるのも早いです。
 ・わがままでやんちゃでガキ大将タイプです。

 あなたはどのタイプですか?
入間カイ氏の「四つの気質から身体の理解へ」という本の中で、
こんな詩の紹介がありました。

                四つの気質と途上の石
                           ハインリヒ・パイトマン
        石の上を元気に軽々と飛び越えるのは多血質。
       つまずいたところで気にもとめない。
       胆汁質は、鼻息荒く力強い足で石をどけ、
       うまくいけばその目はきらめく。
       粘液質は歩調を適度にゆるめ、
       「お前がどかないなら回り道をしよう。」
       しかし、石の前にじっとたたずむのは憂うつ質。
       その顔には果てしない不運への嘆きが浮かぶ。


#天神橋商店街蕎麦 #楽健法 #真剣道 #基道館 #気質 


オーガニックコーヒーを飲むために

2019年08月20日 | 安全な食品

 

3日に一度ダーリンは、ブラジルの品評会でオーガニック&手作業で史上初めて金賞になった生豆を焙煎してくれる。

これは「安全な食品オルター」が安価に提供してくれている。

 

フェアトレードのペルニーニョさんの豆は1kg 3000円

1杯に使う粉を10gとして(多いし,濃い)  計算すれば単価は30円

これは、素晴らしいコーヒの飲み方です

 

もちろん手作業で細心のタイミングを求められる。

これが、ものすごい煙と焙煎匂を伴う。

 

50m離れた地点でも焙煎していることはすぐわかる。

 

天神山に転居し、1週間がたったころ、ダーリンは以前の任地である某大学の寮に住み着いて、連れてきた野良猫(くろ)を抱いて散歩に出た。

すると見慣れない風景に慌てたくろは逃げ出してしまった。

以降10日戻らなかった。ダーリンの後悔,心痛は、悶えるばかりで見ていて気の毒なばかりか、病気になると思った。

 

でも、コーヒーは焙煎する

 

ある日、ニャーニャーと声がするではないか。

おそらく猫のにおいもついていない新居でも、コーヒーの焙煎は「ああ、大学でもこのにおい」と思い出してくれたに違いない。

 

やせた、くろを抱いたダーリンのほっとした顔は、ぼさつ様かと思った。

 

現在は 幸せかどうかはくろに質問できないので、休題とするが、ごらんのとおりです

 

 

 


中島町営汽船

2019年08月20日 | 転換点

中島町が松山市になった。

温泉郡という名前はどこかに行ったのだろう

 

皆さん〇温印のミカンは 温泉郡のトレードマークでした。

ご存じのとおり、温泉郡は松山市を取り囲むようにありました。旧道後も 温泉郡道後村です。

さみしいですね。

ところで、1980年ごろまで、中島町営汽船はフェリーの中の売店には「進和コーヒー」のうまい本物を売っていた。

 

 

これに乗って大浦に行ったものだ。別に高速船というのもあった。

中島には吉木に福島さんという初めてネーブルを育てたお方がいて、当時の私の会社日興繊維の顧客でした。

また、大浦には池田さんという顧客がいて、月に一度中島を訪問していました。

吉木から峠を超えて大浦に徒歩で向かう、後ろから農協の軽トラが来る、おにーちゃんどこ行くの?

大浦です、それじゃあ乗せてあげるけん、あしも行くところじゃ(古い松山では一人称 あし)

途中で、「ここ見るけん、座っとき」と農協の親切な人はミカン畑に入った、帰ってくるとミカンを手にしている

「あしは、味見をする役もあるけん、あんたも食べて意見を言うたらええ」

1970年代のお話です

 

その絶品のうまさは今では願うべきもない。

 

 

 

今日民間になった中島汽船に電話した。

 

 

現在フェリーの売店ではコーヒーは何を売ってますか?

バリスタです

 

そうか、中島 怒和から出て、一代で四国を制圧した進和コーヒーは、忘れられたか。

陸軍士官で生きて帰ったその人も忘れられたか。

当時の中島の人たちは、それを誇りに思いせっせと飲んだに違いない。

 忽那水軍のきずなは強かったのですが・・・・・

 

電話のねーちゃんは めんどう、という態度だった。

無理もない 中島の思いは民営化にはかなわない。

 

ポンポン船が懐かしいこの頃です。


花遍路 特別編 「春子の人形」

2019年08月19日 | 詩篇

まっすぐな道でさみしい  山頭火

普段はTVなど見ない。


しかし、早坂さんの「花遍路」は特別で、その慈愛に満ちたストーリーは、松山人としてはすごく好きなお話です。

昨日のダーリンと息子たちの写真も、北条鹿島の水晶が浜手前で撮影しました。


桃井かおりさんが主役のころ、桃井フアンの私たち夫婦は必ず見ていたドラマでした。

早坂さんの「うつくしむ」という言葉も初めて聞きました。実にきれいな、そして深い言葉が日本語にはあるものですね。



話の中で、お大師様がなくなるとき、大勢のお弟子さんが一緒に逝きたいと訴えたところ、お大師様は「手を合わせ,南無大師遍照金剛と唱えよ、私はいつもあなた方と一緒だ」というお話に涙が流れました。

会いたい人がいる、その面影を胸に抱いて、お遍路になるとき、かならず会いに来てくれる。

じつにニンゲンの深さを知る言葉です。


だれしも、近欲に翻弄される、それも業でしょう。

私は10年先 100年先にまで枯れない「居合のはな」を植えたいと思っている。

自分にできることを自分に科している。

お遍路の笠に「同行二人」と書いてあるのは、お大師様と二人連れという意味です。

私もお大師様に助けてもらって居合遍路の道を歩きます。

私の場合は同行四人、お大師様、斎藤先生、村上先生が導いてくれるはずです・

おっと、ご先祖様もいてくれるでしょう。



自分を愛してくれた人の言葉は、60年たっても忘れていない。

小学校に上がる春、祖母に手を引かれお参りした石手寺、お大師様に手を合わせた。

私は祖母を見上げて尋ねた「ばあちゃん、何をお願いしたん?」

「あんたが勉強できるようにおねがいしたけん」

被差別民ながら高等小学校を出た祖母の優しい言葉だった。

私は、その経験から、差別する人は嫌いだ、人種であれ、身分であれ。

ニンゲンには尊厳がある。それをどんな人も見下すことはできない。

の宣言に「人の世に熱あれ」という力つよい言葉がある。


 

註 大正生まれの祖母は被差別に生まれた、当時は民は教育など望むべくもない。字が読めない人が大半だった。


勉強ができる(学校へ行くことが可能である)という意味は彼女にとりどれだけ大きな意味を持っていたのか後年になり理解できた。

 

ところが、忽那水軍の血脈をうけた祖母は相当に賢かったらしく、北条にあった村の親族一同は食べるものも倹約して彼女を支えたという。

 

そして、若くてきれいで賢い彼女は、松山一の植木職人と呼ばれた「植浜」と結婚、彼女の才覚で、御宝町にあった私の生家みるみる頭角を現したそうだ。

 

裕福になった「植浜」に私の父は養子にもらわれた。つまり祖父母と血縁はないが、大好きなおばあちゃんだ。いまでも彼女を思い出すとありがたさに涙がこぼれる。


註2

尋常高等小学校(じんじょうこうとうしょうがっこう)とは、日本において国民学校令施行される前の学校のうち、尋常小学校教科高等小学校の教科とを一校に併置した小学校のことである。国民学校令の施行とともに国民学校に改組された。

実質的には、尋常小学校と高等小学校が一校となっているものである。ただし、尋常小学校は義務教育の実施校であったが、高等小学校は義務教育の実施校でなかったので授業料を徴収していた。


 

父のことはまた書くこともあるでしょう。これにも忽那水軍のドラマがしこたまあります。





 


 





 

 


基道館 大発展の兆し

2019年08月18日 | 基道館活動記録

幹部会が招集された。

私は先の幹部会で「宗師範を辞する、そのかわり月影会を復活してほしい」と述べていた。

幹部たちはそれは大変な決断だ、従いますと言ってくれた。

 

ご存じの方も多いだろうが、寝屋川在住の時(寝屋川市は京都大阪の半分からやや大阪より)大阪の南の端(阪南市はもう少し行くと和歌山)にある月影会に必ず参加していた。午後3時出発、帰宅は深夜12時になることがあったが、「道のため来たれの呼び声」は私を奮起させて何とかその1年半の任期は継続した。

 

ところが、事情があり稽古日が変わったので、行けなくなった。私も仙人ではないから霞を食って生きてゆくわけにはいかない、仕事がある。ダーリンもにゃんこも養ってゆく責任がある。

月影会に行けないことになったが、月影会は中身が薄くなってしまった。ごたごたが起きる。考え違いの人が出てくる。

そこへ師範の無学庵が仕事であちこちに飛ばされる。 琵琶湖の近く、今度は明石という風に仕事ができるばかりに新店の指導を振られることになった。

これも仕方ない。

 

そこで、解散となった。

私は心の中では、イオンカルチャーに参加した軽い気持ちの人々でも「私の直門」だから申し訳ないと思っていた。

 

それを引き受けた無砦庵(現在の有城斎〉はこのことを見越してか、月影会は「預かり」としてくれていた。

 

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今夜の幹部会では、規約の改良、今後の指針などが話し合われ、近代的な姿を明文化することで一致した。

月影会は復活、各師範も支援することで落着。

 

おまけに、うれしいことに、風向きが変わったことが報告され、無有庵師範が質問した。

「先生、例えば同じ連盟の違う流派の道場に見学に行ってもいいですか?」

「いいに決まっている、自由にいけばいい、友誼を深めるのもいいことだ」

「同じ英信流でもいいですか」

「いいよ、私の筋を通す役目は終わった、時代が180度転換したのだ、大いにやってください」

 

つまり、真剣道基道館が打って出るチャンスが来たというわけだ。

 

規約にある通り、「英信流中核とならん気概を保持する」この通りではないか!

 

真剣道基道館ここにありと、やってくださいね!

 

高速回転の独楽に弾き飛ばされた人には気の毒だが,有城斎師範が良い言葉を述べた。

ごたごたしましたが、ここにいる幹部は「真剣道基道館」を絶対に守る人たちです。

是!