久しぶりに孫を連れて次男夫婦がやってきた。
狭い団地のドアを開けて入ってきた次男の後から孫は「恥ずかしい」と言いながら入ってきて・
「こんにちわ」と明瞭にあいさつした。
靴を脱ぐと自分でそろえて、きちんと置きなおした。
3歳の幼児でもこれくらいはできるのだ。
その後は楽しい団らんだ。
驚いたのは、漢字の苗字を見て
「これはお父さんの名前だ」といったことだ。
ご存じのように私の姓は字数が多い。
孫に説明した。
これは家族みんなが使う名前で、お父さんも大城戸、私も大城戸、〇〇君も大城戸、なんだよ。
オーガニックで育った孫はおいしいものを知っていて、とても元気だった。
稀に見るオモシロイDNAを受け継いだ孫の成長に期待したい。
松山商 野球部 黄金期に主将であった私の父と親友のラクビー部沢田氏
沢田氏は近年までお元気で、松山商近畿同窓会に招いていただいた。
同窓会では皆さんが(大先輩方)ええ、あれの息子か!!
たいそう喜んでくれた。
何事かでも世間様のお役に立てるような人に育ってほしい。
余談だが、次男が大学生のころ、ガタイの大きな不良3人組に路地に連れ込まれたことがあったそうだ。
すれ違いざまいきなり殴られたとのこと、次男は細くて優しく見える。
数分後出てきたのは次男、あとは地面に転がってうめいていた3人組。
全員肩を外されたのだろう・・・・
道場でその話をしたら全員が「○○さんに本気で攻撃されたらおそろしい・・・」といった。
次男はほどほどのレベルの高校に1年生在学中には文化部に所属、けれど柔道部に出入りし柔道部員相手に稽古をやっていた。
剣道、柔道、合氣道、居合、心身統一道をこなせるから素人が相手になるはずもない。
手首を折るなどというのはあっという間だ。肩を外すというのは、複数と格闘し自分を守りながら相手のダメージが少なく痛い方法を選んだのだろうと思う。
不当な暴力に対する自己防衛のための力は必ず必要である。
次男防具組になった記念写真 40年くらい前だろうか。
誤解がないように補足すると、子供たちは暴力的には育ってない。
ダーリンが優しく育て上げて、彼らは母から大きな声で怒られたことなどない。
彼女は、子供たちへの厳しすぎる私の「しつけ」(折檻もあったがそれにも抗議してくれた)に対し身を盾に子供たちをかばった。
一体どんな人が若いころの私の「暴力」に対抗できただろう。
今となってはダーリンに頭が上がらない。
さらに補足、長男は臨月近くに破水し、緊急入院となった。
難産でダーリンは7日ほど陣痛室にとどまる、あちこちで苦しい、痛いと悲鳴が上がる陣痛室
彼女は一切、痛いとも、苦しいとも言わなかった。私のほうが参るような難産でした。
ダーリンには母となる「覚悟」があったのです。