源為朝とは、保元の乱(1156年)の争いでやぶれ、伊豆大島へと流された
平安時代の武将である。為朝にまつわる伝説は、沖縄にたくさん残されている。
この伝説はまんざらでもない。
伊豆大島を抜け出ようとした為朝が、航海の途中で嵐にあい、運を天に
まかせて漂着したところが現在の今帰仁の「運天港」だった。
運天港の地名の由来といわれている。
上陸後の為朝は、沖縄各地を旅してまわり、南山城の領土で大里按司の妹と
出会う。そこで二人は恋仲になり、めでたく夫婦となって男の子をもうけた。
また、二人が逢瀬を楽しんだ場所が「わたきな(和解森)」で
今でも南山城跡近くで恋物語伝えている。やがて望郷の念にかられた為朝は、
妻子を連れて帰国しようとする。ところが嵐のために船進めることができない。
「女人の同船で海神が怒っている。」との船頭の言葉に、為朝は妻子を港に
残して旅立った。
妻子は「3年後戻る。」との約束を信じて、その帰りを待ちわびたが、為朝は
とうとう帰ってこなかった。為朝の妻子が、3年間が暮らした場所が
牧港テラブのガマ(洞窟であり、牧港の地名は「待ちわびた港」に由来する。
「待つ港」→「牧港」そして為朝の子供が「尊潡(そんとん」で、のちに舜天と
名を改め、浦添を都とした。
沖縄最初の王統である舜天王統を起こすことになったと伝えられている。
歴史は面白い。
そして宮古島には平家がおちのびてくる。