唐津市近代図書館のイベント情報

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寺沢氏と唐津焼…「寺沢氏二代と今井家展」 (5月5日まで!)

2014年04月20日 | 展覧会
現在開催中の「寺沢氏二代と今井家展」、5月5日(月・祝)までとなっています。

近代図書館・相知図書館は、4月29日(火・祝)、5月3日(土・祝)・4日(日・祝)が休館ですが、
近代図書館美術ホールの「寺沢氏二代と今井家展」は開催しています。
16世紀末~17世紀の唐津焼30余点を展示した
「中里家寄贈品にみる 唐津焼と寺沢氏」のコーナーもありますよ。
中心市街地で開催される「唐津やきもん祭り」とあわせて、ぜひご覧ください!


●寺沢氏と唐津焼

 波多氏の改易後、唐津藩初代藩主となった寺沢広高もまた、朝鮮出兵の際に陶工を連れ帰ったといわれます。広高は産業振興にも力を注ぎ、陶工を優遇し、唐津焼を奨励しました。唐津焼には、焼成効率の良い「登り窯」や轆轤(ろくろ)技術など、朝鮮半島の先進技術が導入され、大量生産も可能となりました。唐津焼の代名詞ともいえる絵唐津や叩きの水指などの優品を製作する甕屋の谷窯や焼山窯などの窯が、松浦川中流の川原地区(伊万里市大川町)に集まって、全体として大きな窯場を形成し、唐津焼は当時の陶器の一大生産地の瀬戸・美濃と肩を並べるまでに急成長します。
 慶長7年(1602)に古田織部(ふるたおりべ)の茶会で唐津焼が取り入れられたのを境に、茶道具としても普及していきます。また、大坂や京都などの都市部の最新の流行を反映した絵唐津の茶碗や皿などが数多く焼かれ、慶長・元和(1596~1624)の時代に唐津焼は全盛期を迎えました。
 また、広高の妻は、陶器生産の先進地・美濃を領地とする妻木氏の出身で、美濃で織部焼を焼いた窯として有名な元屋敷窯は、唐津の窯を参考に築いたという伝承があります。唐津焼や美濃焼をはじめとする国内の陶器は、最新技術や技法、デザインや流行などの情報交換をしながら、発展していったと考えられています。

 寺沢広高は、戦国武将の例に漏れず茶の湯にも通じ、千利休や古田織部とも親交があったようです。
 古田織部が茶の湯の道具として唐津焼を取り入れはじめたころに、広高は古田織部の茶会に招かれており、その数日後の慶長8年(1603)4月29日の古田織部の茶会には、堺衆と呼ばれる有力商人が参会しています。その日の道具立ては、茶碗や水指、花入にいたるまで唐津尽くしとなっており、有力商人に対するお披露目の機会であった可能性も指摘されています。
 また、広高が薩摩藩重臣に贈ったとされる絵唐津の茶碗は、一見ゆがんだ、焼け損ないのようなものだったようで、唐津では、当時流行の最先端を行く「織部好み」の沓茶碗(ゆがんだ茶碗)をすでに製作していたことがわかります。またそれを贈ることによって、藩主自ら、トップセールスを行っている姿が窺えます。
 しかし、元和元年(1615)の古田織部の自刃と時を同じくして、1610年代に有田で磁器の生産が始まると、絵唐津は急速に衰えて行きます。唐津藩内で陶器製作の中心は椎の峰(伊万里市南波多町)へと移り、玉子色の呉器手碗(ごきてわん)などが作られるようになります。
 正保4年(1647)、二代藩主堅高の死により寺沢氏は改易となりますが、唐津焼は、窯数や生産量は減少するものの、幕末まで藩の伝統産業として続いていきます。
(展覧会パンフレットより)

○「寺沢氏二代と今井家展」チラシ(表)

○「寺沢氏二代と今井家展」チラシ(裏)


【とき】

  5月5日(月・祝)まで 入場無料
  午前10時-午後6時(入場は午後5時30分まで)
  ※ 4月29日、5月3日・4日の祝日は美術ホールのみ開館

【休館日】

  月曜日
  ※ 5月5日(月・祝)は開館

【ところ】

  唐津市近代図書館 美術ホール

【主催】

  唐津市教育委員会

【問い合わせ】

  唐津市教育委員会 生涯学習文化財課
  TEL 0955-72-9171



■唐津市近代図書館■
TEL (0955)72-3467
〒847-0816 佐賀県唐津市新興町23番地(JR唐津駅南口すぐ)
ホームページ http://tosyokan.karatsu-city.jp/


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