峠という漢字は日本で生まれた。険しい坂をやっと上り詰める。ふと立ち止まり、来た道を振り返る。下る先を思い描く。山ひだに分け入って暮らしてきた日本人のにおいが染みこんだ文字といえようか。
しばしば人生や時代の節目に例えられる。「峠は決定をしいるところだ/峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている」。真壁仁の詩の一節である。希望も不安もあるが踏み出してこそ明日が来る。昔の旅人には特別な思いにひたる場所だった。
超える山が高いと道も曲がりくねる。広島、島根県を隔てる赤名峠は旅人泣かせの難所。かっては人や荷が盛んに行き交い、江戸期には馬300頭で石見銀を運んだという。だが東京五輪の年にトンネルが出来て用済みに。峠道は草むらに埋もれた。
峠のにぎわいを思い起こしてみよう。県境を挟んだ住民たちの「国盗り」イベントもある。古道のてっぺんで綱引きし、勝てば境の立て札を向こうに寄せる。平成の大合併で県境は「辺境」の色を濃くする。手を取り合って盛り返したい、との思いがこもる。
峠の語源は道の神に祈る「手向け」という。大勢で歩いて峠に立ち、そこから何かをたぐり寄せたいと願う人々。通り過ぎる車に無視されてきた道の神もきっと歓迎してくれるだろう。(中国新聞天風録から)
今日の写真 胡蝶蘭

