安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

鬼は外!

2021年02月04日 | 月刊ブログ

 今年の節分は、恵方巻を予約するのを忘れ、当日はもうお店にはなく、仕方なく豆まきの豆だけを買って帰りました。ひとりで一粒二粒と摘まんでいると夫が帰ってきて、やっぱりやろうということで、二人で豆まきをしました。なんとも笑える光景でした。

 今年は、124年ぶりに2月2日が節分になり、その翌日が立春になりました。実は節分の日が変わるのは37年ぶりのことだそうです。(37年前は2月4日だったそうです)

 こんなに寒い日が続いているのに、暦の上では、もう春です。節分の日の全国ニュースでこのことを詳しく説明していました。

 立春は二十四節気でいうところの春の始まりを指す日。季節の変わり目に起きやすい災難や病気などを鬼に見立てて節分の豆まきをするという文化が始まったそうです。

 二十四節気は太陽の周りを地球が通る1周分の軌道(黄道)を24に分けてできたものです。地球が太陽を1周する時間を1年に決めていますが、厳密にいえば365.2422日だそうです。それでこの誤差をいろいろと調整するために閏年を設定したり立春の日を変えたりして帳尻を合わせているのですね。

 来年はまた2月3日が節分になりますが、今後はしばらくの間4年おきに2月2日が節分になるそうです。

 

 日本昔話には、鬼たちがたくさん登場します。すぐに思い浮かぶだけでも三つはあるでしょう。桃太郎、一寸法師、こぶとり爺さんです。

 節分では「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまきますが、『節分の鬼』という昔話では、貧しく寂しい暮らしをしていたおじいさんが、ヤケになって「鬼は内、福は外」と豆を蒔いたところ、節分で追い出された鬼たちがたくさん集まってきて、一人ぼっちのおじいさんは鬼たちが持ってきたお酒やお料理をいただきたのしく過ごしたというお話です。鬼たちは、また来年も来るよとおじいさんに言って帰りました。生きる気力もなくなっていたおじいさんでしたが、それから節分が楽しみになって長生きをしたというお話です。

 いつも鬼は「勧善懲悪」を題材にした昔話では悪役が多いのですが、時折憎めない愛嬌のある鬼がいて、その言動が子供にも愛着を持たれるのでしょうか。

 悪役の鬼にも、魂があり、家族があり、情けもある。手を差し伸べてあげたいときも、物語の中では感じられます。

 悪は悪として憎むべきものではありますが、全否定しない所が、昔からの人を育てる心得みたいなものではないかと思いました。相手を認め許すための心の余裕や優しさが必要だということを、今の私は感じることができました。今の「鬼滅」ブームもそんなところでしょうか。

 

 学校では、卒業の認定が出ていない学生たちは、学校に来て欠課オーバーの分の授業を消化していっています。もちろんサボった学生が悪いのだけれど、その個人を否定するのではなく、そこに至る心の弱さや行動を少しでも改善させて卒業させたいものです。

彼らなりの言い分もあるのでしょうから、しっかり話を聞くところから始めたいと思います。

 

 2月になり、年間の授業が全て終わり、春休みに入りました。学校は閑散として、私たちもゆっくりと次年度へ向けての準備を進められる時間となっています。

 卒業式は、コロナ禍の中、密を避けて感染予防しながら実施する予定ですが、その後の恒例の祝賀会は昨年同様中止となる予定です。今年度の学生には、学校生活が制限され、本校の特徴であるいろいろなイベントや体験がほとんどできないまま卒業となってしまいそうです。それでも、ここで学んだこと、友達との会話など忘れないでくれたら嬉しいなと思います。

 

 今月の写真は、ジンチョウゲ(沈丁花)です。小さな肉厚の花をたくさん咲かせる低木です。花が咲く時期には、枝先に鞠がついているような、華やかな姿を堪能できます。春が近づくにつれて花開き、甘い香りを漂わせます。遠くからでも香りを感じられ、甘く華やかな香りは人々の心をとらえます。まるで、私はここにいます!と主張しているようです。

 

 Photo by Mizutani


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