12月の声を聞くと、やはり寒さも冬らしくなってきました。クリスマスのイルミネーションや商店街に流れるクリスマスソングは、なぜかしら例年のようなワクワク感もなく、毎年クリスマスイブには、家族と食事に出かけているのに、今年は「やっぱりやめておこうか、コロナだから」と、1年で一番テンションが上がる時期に、今年はトーンダウンです。
学校では、今年度公務員試験で、初中級の就職年次生の1次合格率が100%を達成しました!苦しい時間を乗り越えた数字です。これまで私たちも学生たちに、自分を信じてくじけないように励ましてきました。まだ、2次試験や最終内定の結果は出ていない所もありますが、みんなよく頑張ってくれました。今は学生たちは、いよいよ社会人になるのだなと期待でいっぱいですが、緩む気持ちを引き締めて日々の生活を送るように促しています。また楽しい思い出も作ってあげたいなと、コロナ禍ですが、職員で思案中です。
さて、来年は丑年です。牛は昔から食料としてだけでなく、農作業や物を運ぶときの労働力として人間の生活に欠かせない動物でした。勤勉によく働く姿が「誠実さ」を象徴し、身近にいる縁起の良い動物として十二支に加えられたようです。十二支の2番目の干支であることから、子年に蒔いた種が芽を出して成長する時期とされ、まだ結果を求める時期ではなく、結果につながる道をコツコツと作っていく基礎を積み上げていく時期とされます。なんだか、公務員になるための夢を掴む行程に似ています。黙々と目の前の自分のやるべきことを行うことが将来の成功につながる、と考えるのです。
また、仏教が生まれたインドでは牛は神様として大切にされています。牛には神に近い尊いイメージがあるようです。
インドのお釈迦様の話にとても興味深いものがありました。菩薩(お釈迦さまの前世)は牛として生まれ変わり、ガンダーラ王国のあるひとりのバラモンに養われ、ナンディという名前をつけられて息子のように大切に育てられました。大きくたくましく成長した牛は、大変世話になったこのバラモンに、役に立つことを何かしなくてはいけないと思いました。自分の体力を使ってお金でも入るようにしてあげれば、バラモンの貧しい人生が豊かになるだろうと思いました。
そして、千金を賭けて重い荷を引く競技を提案したのですが、バラモンは思わず我が子同然のナンディに「行け、根性なしめ! 牽け、根性なしめ!」 と叫び、乱暴な言葉を浴びせてしまいました。ナンディにとっては、あまりにもショックでした。
菩薩である牛は、「この人は、根性なしではない私を『根性なし』という言葉で、乱暴に呼びつける」 と思うと、四本の足が柱のように硬直してしまって、動かせずに立ち止まってしまい、結局バラモンは、千金を失ってしまうことになりました。
牛は、「お父さん、私があなたに言われた躾を、ひとつでも破ったことがありますか?あなたに気に入らないことを、ひとつでもやったことがありますか?」と問いました。
「いいや、そんなことはなかったよ」
「では、どうして私を『根性なし』という侮辱する言葉で呼びつけるのですか。生まれて初めて侮辱された私は、ショックで硬直してしまいました。(賭けに負けたのは)あなたの蔑みの言葉のせいです。
むごい言葉というものは、動物たちですら嫌うのです。ナンディの背中をやさしくさすりながら、「賢いナンディくん、がんばれ、負けるな!」と、励ましました。
その後、お釈迦さまは、
「快い言葉こそ語りなさい。不快な言葉は決して語ってはならない。
実に、快い言葉を語る人のために 牛さえも重荷を運び、財貨をもたらす。
しかも、それ(快い言葉)によって 人々は、幸福な者となる。」という言葉遣いに関する新しい戒律を作られたということです。
デリケートな人の心は、耳から入る言葉や目から入る相手の表情によって、心地よい気持ちもなり、落ち込んでしまうこともあります。時には怒りや反目の感情さえ抱くこともあります。
学校では、特に受験前の学生たちに話をするときは、叱咤激励するときも追い詰めないように、すこし余裕を持たせた表現にするように心がけていました。
お釈迦様の教えのとおり、新しい年も、相手に対する思いやりや感謝の気持ちを忘れずに、相手を心地よくする言葉で幸せを招き入れたいと思います。
今月の写真は、シクラメンです。クリスマスとお正月、華やかに1年を締めくくり、明るい1年を迎えたいものです。
Photo by mizutani