「卒業生、退場!」「拍手でお送りください。」
会場内に司会者の声が響き、笑顔で退場していく卒業生に、私たちは、手が痛くなるほど大きな拍手を送りました。
令和2年度卒業式が終了しました。
この瞬間に、私の緊張がすっと融けていきます。無事に式が終了した安堵感と、短い期間だったけれど一緒に過ごした時間を思って、胸が熱くなりました。
1年間のすべての行事が終わり、また新しい年度に向かって歯車が動き出します。学校の新しい1年へとバトンが渡されるのです。
この3月11日は東北大震災から10年を数える一日でした。今でも当時テレビ越しに見る光景に、自然の驚異と恐怖を感じたことを忘れることができません。
海岸から数百メートルしか離れていない小学校の生徒90名が、教職員の先生方の誘導で全員命を落とさずに済んだことが、改めて報道されていました。当時の校長先生は、津波の第一報では5メートルと放送されていたのが、数分後には10メートルと再放送されて、校舎の2階に避難していた子供たちを屋上の倉庫に避難させたそうです。寒さと恐怖の一夜を過ごし、一人の犠牲者も出さずに、翌日自衛隊から救出されたということでした。
当時、小学生だった姉妹がテレビの取材を受けていました。今でも津波の音の夢を見ると言っていました。小学生の幼い心と体には受け入れがたい大きな衝撃だったことが分かります。ただ、こうやってその時のことを話せるようになったことは、気持ちが少しだけ回復しているのかもしれない、とも解説者が述べていました。助かったのは、津波のことを想定した避難訓練を、ちょうど前日に行っていたからだとも報道されていました。
この自然の中で生かされているちっぽけな私たち人間は、その文明や技術や国力を、決して奢ることなく、自然を敬い共存していかなくてはなりません。それはこれから先もずっとそうなのです。
「あの日ですべてが変わりました。」と当時を振り返って取材に応じた福島原発事故の被害者もいます。地震と同時に原発の爆発での放射能漏れという危険にさらされた地域の方々は、それまでの生活を捨て避難せざるを得なかったといいます。地震から一度も自宅に帰ることができないまま、一家の生活の拠点を大阪に移した家族のことが報道されていました。
この震災で、地震、津波、原発事故といういくつもの災害に遭った方々には、この10年がどのように過ぎて行ったのか、物理的な面だけでなく心の問題としても、計り知れないことです。しかし、当事者ではない私たちにできることは、このことを風化させず次につなげていくことではないでしょうか。
原発事故では、世界中が「FUKUSHIMA」という言葉で、放射能の脅威を伝えていました。これをきっかけに、ドイツのメルケル首相は、原発の早期廃止の検討にいち早く着手しました。脱原発の市民運動の広がりと地方選挙での緑の党の躍進も後押しとなり2022年までの脱原発を決めました。再生エネルギーを軸とした電力供給へと切り替えを進めているのです。この英断に多くの国と人々は驚きと尊敬の念を抱いたことでした。
世界での平和を脅かす出来事も、同じことのように私には思えます。そのことを知ること、そのことについて考えることが、ひとり一人は無力でも、私たちが続けていかなければならないことではないかと思うのです。
ここは、公務員試験合格のための学校ではありますが、世界や地域へ目を向け、いろいろなものを後世へ伝えていけるような視野の広さや、正義感や、一人ひとりの役割をも、学生たちに気づいてもらうための期間として、私たちは努めたいと思います。
学校では、今日から令和3年度入学生の「事前学習」が始まっています。全員参加ではありませんが、一日も早くこの学校に慣れてもらうための勉強会です。
3月は別れの時でもありますが、出会いの時でもあります。
先日、桜の名所だという公園に行ってみましたが、まだ、蕾は硬く開花までは数日の時を待たなくてならないようです。気候が緩んでこの蕾がほどけるころには、この学校にも賑やかな声が戻ってきます。新しい出会いが待ち遠しい3月です。
今月の花は、「ヒマラヤユキノシタ」です。早春のまだ寒さが残る時期に、やさしいピンクの花を咲かせ、花壇を明るく彩ります。太い根茎が横に伸びて樹木のような形になり、年数を経るごとに風格も増していくそうです。地中でどれだけ根っこを張れるかが、人としても大事なことなのでしょうね。
Photo by Mizutani