いよいよオリンピックが始まります。複雑な思いでこの日を迎える方も多いと思いますが、出場される選手の皆さんと関係の皆様が、その成果を存分に発揮され、開会期間中にコロナ感染などによって、競技が妨げられませんように祈るばかりです。
学校では、9月、10月の公務員試験に向けて、夏期特別授業に入りました。
限られた時間の中、悔いのないように一生懸命取り組むしかありません。指導する側としても、緊張が増してきます。祈りと共に、一人ひとりにどのような対策が必要か、考える日々となります。
来週からは、外部高校生向けの夏期講座も開催します。私たちは今その準備で大忙しです。
夏期講座のお申し込みの中に高校球児がいました。甲子園の夏予選が各地で行われ、彼らは、2年越しの甲子園出場を目指していました。しかし、願いかなわず、予選で敗退したその夜に、家族で今後のことについて話し合いをされたそうです。そして、これまで野球一筋だったけれど、これからは、消防士、警察官などと新たな目標を定めて挑戦すると決意して、夏期講座のお申し込みに来られました。長い野球人生だったけれど、今度は自分の将来のことを考えなければならない時が来たのです。これまで野球に打ち込んできた体力と精神力は、目前に迫る公務員試験や、これからの仕事人生でもきっと大きな力になるに違いありません。
私たちも、短い期間ですが、全力でサポートしていきたいと思います。
夏休みになると、あちこちから卒業生が来てくれます。今年は、コロナ禍でもあり、遠方からの来訪者はいませんが、彼らも長期休みをもらえて気持ちにゆとりがあるのか、この学校のことを思い出してきてくれるのでしょう。
私もこの夏、節目のときを迎えます。この学校で学生と共に公務員合格を目指すようになって、多くの時間が流れました。
初めて公務員試験の受験対策に携わった年は、毎日、翌日の授業の準備で、家族が寝静まった後、夜中まで勉強をしていました。まるで自転車操業です。その時の体力や情熱が懐かしく感じます。思えば、受験生である学生たちと同じような生活をしていたのですね。
いかに楽しくてわかりやすい授業をするかが、いつも私の課題でしたが、試験日が決まっていて残された時間が迫ってくる日々では、なかなか理想の授業はできませんでした。毎日が試行錯誤で未完成な日々だったことを学生に申し訳なく思っています。
しかしそんな中でも、学生たちとの関わりは、家庭と職場の両立でくたびれていた私のひと時の安らぎでもありました。今では卒業生も立派な社会人となって、その卒業生の子息が入学してくることもあります。長年、この場所でこの学校が愛されてきたことが伺えます。そして私もその学校の一員であったことに誇りを感じます。
先日の文学史の授業で、アンドレ・ジイドの『狭き門』という作品が出てきました。一見、若い男女の恋愛物語のようですが、実はキリスト教に身を捧げた宗教愛の濃い小説です。その中に引用されている「狭き門」は、「新約聖書―マタイ伝・七」に記されてる「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」となっています。本来は、神の救いを得るためには、それ相応の努力をしなければならないことを指すことばです。
敢えて、苦しい道を選んでひたすらに努力している学生たちは、今、狭き門より入り、自分の目標のために苦しい努力を重ねています。しかし、そこから繋がる未来は、きっと、素晴らしく輝くものになるはずです。
学校のエントランス内にある「合格神社」に、全員が合格しますように、と毎朝お願いしています。祈りも大きな力になるのではないかと思うのです。
今月の花はダリアです。たくさんの品種がある中で、異色を放った一輪です。
ダリアは15世紀頃のアステカ帝国(現在のメキシコ)で神聖な花として栽培されていました。日本には江戸時代の天保12年(1842年)にオランダ船によってもたらされたと言われています。日本に入ってきた頃は天竺牡丹(テンジクボタン)と呼ばれ、ごく一部の地域で栽培されていました。一重咲きと同じように、外側に平らな花弁が1周します。花の中心部に筒状の花びらが密集する華麗で豪華な品種が一般的で、魅了されてしまいそうです。
Photo by Mizutani