安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

新しい記憶

2021年12月15日 | 月刊ブログ

 冬物の準備が追い付かないまま、一気に寒くなりました。

 先日は、家族と一緒に佐世保市民文化ホールで開催された「童謡コンクール」に行ってきました。人が大勢集まる場所に行くのは、本当に久しぶりでした。佐世保の子供たちの透き通った歌声や元気な笑顔がすばらしく、このようなイベントがやっと公に開催されたことに、少しずつ以前の日常が戻ってきたことを実感しました。

 

 年齢を重ねると、物忘れが多くなって、それが重なると自分に自信がなくなってきます。それを防ぐために、最近は自宅に小さな白板を置き、買い物する物を書き留めています。記憶力は年齢に関係なく若くても、忙しすぎると記憶のキャパがオーバーしてパンクしてしまいそうになります。また程よい緊張感が記憶力を支えることもありますよね。

 

 新聞で「シモニデスの場所法」という言葉を見ました。よく知られているそうですが、私は初めて聞いた名前でした。場所法という記憶術は、古代ギリシャの詩人・シモニデスの伝説で知られています。

 あるとき、宴会に出席していたシモニデスが席をはずしたそのときに地震が起き、出席者の多くが天井の下敷きになって亡くなりました。遺体は激しく損傷していて、判別できません。しかし、シモニデスは出席者が座っていた場所を正確に覚えていたため、遺体の位置から、どれが誰か見極められた、というものです。

 これをきっかけに、シモニデスは「場所とリンクした情報は記憶に残りやすい」と発見し、場所法を生み出したのだそうです。場所法は、何千年も前から受け継がれてきた記憶術です。場所法の優秀さは、認知神経科学の専門家の研究でも示されています。

 

 原始時代は帰るべき場所がなければ、生物に襲われ生きていくことができなくなってしまいます。そこから生物には帰巣本能があり、生物にとって場所を覚えるということは自らの生死に関わる重要なことであったことから、もっとも忘れにくいものだと言われているのです。

 例えば、小学生の時に通った通学路を頭に思い浮かべてみると、今でも、鮮明に当時のその帰り道を思い出すことができます。

 

 最近は、この学校から送り出した卒業生のことをよく思い出します。その姿は必ずいろいろな場面と一緒に浮かんできます。朝の教室であったり、校外清掃の公園であったり、または結婚式での満面の笑みだったりします。

 

 先日、市南部の高校から職業理解の講話を依頼され、公務員の仕事の内容や、やりがい、適性などを話に行ってきました。1年生の生徒たちの真剣な眼差しに、少しでも進路選択のヒントになれるよう、これまでの知識や情報を話してきました。

 終了後、進路指導室に伺い、その高校から本校に入学した学生が公務員に合格したことを報告し、また3月をもって休校することをお伝えしました。すると帰り際、いつも取り次いでくださる事務の女性の方が玄関まで出て来られて、「うちの卒業生を育ててくださってありがとうございました。」と何度も何度もおっしゃって、「これが最後だと思うと本当に残念です。」と目頭を押さえていらっしゃいました。何年も通った馴染みのある高校でした。本校を信頼して毎年学生を送ってくださっていました。私も胸が熱くなって、「こちらこそ」と深くお辞儀をして学校を後にしました。有難いことだな、といただいた言葉を嚙み締めていました。

 

 たくさんの高校や大学を訪問してきましたが、学校の名前を聞くだけでその場所の景色や匂いまでも思い出します。私は人の顔を覚えるのは得意ではありませんが、その建物の雰囲気や窓から見える景色などはよく覚えています。

 

 記憶にキャパがあるのなら、楽しい記憶だけを残したいです。しかし、この学校で出会った人たちのことは決して忘れたくありません。忘れることは、自分がたどってきた道を忘れることになるからです。

 コロナ禍で会えない母と、昨日、久しぶりに電話で話をしました。声だけが頼りですが、元気そうな声に安堵しました。認知症で今の記憶は飛んでいるのに、昔のことはきちんと記憶してくれています。新しい記憶は、母にとって不要なのかもしれません。

 

 今月の花は、ハッピーベリーです。真珠の木とも呼ばれます。ツツジ科の植物で、春遅くに吊り鐘状の白い美しい花を咲かせ、秋から冬にかけ小さい真珠のような実をたくさんつけます。これからのクリスマスやお正月の寄せ植えにも合いそうですね。
 

photo by Mizutani


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