各地に大洪水や崖崩れなど被害をもたらした梅雨もすっかり明けて、夏らしい入道雲がにょきにょきと盛り上がっていきます。小学校の時の夏休みの、何とも言えない期待感、倦怠感を思い出してしまいます。
今月の花は野菜の花、生命力あふれるとうがらしの花です。
当校の1階にカレーショップがオープンしました。その名も「公務員合格カレー」!
学生達の空腹を十分に満たすボリュームたっぷりの大盛りカレーを、公務員試験の勉強に励んでいる学生に食べてもらおうとオープンしました。料金は300円。先着30名には温泉卵が付いています。今は、当校学生のほか、公務員夏期講座に来ているたくさんの高校生たちや、また、国の施策としての職業訓練の方々も来られていて、カレーショップは大盛況です。お腹をすかせた学生達には大盛りで食べてもらいたいです。一般の外部の方も来られていて、少しでも地域の方に利用していただければと思っています。
最近、なぜか、小学校の教科書に載っていた詩をよく思い出します。何年生の時に習ったかはよく覚えていなかったのですが、記憶を頼りにインターネットで調べてみると、それは小学校1年生の教科書の一番最後に載っていたものだったのです。題は「小さい白いにわとり」です。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。「この むぎ、だれが まきますか。」ぶたは、「いやだ。」と いいました。ねこも、「いやだ。」と いいました。犬も、「いやだ。」と いいました。小さい 白い にわとりは、ひとりで むぎを まきました。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。 「この むぎ、だれが かりますか。」ぶたは、 「いやだ。」と いいました。ねこも、 「いやだ。」と いいました。犬も、 「いやだ。」と いいました。 小さい 白い にわとりは、ひとりで むぎを かりました。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。「だれが、こなに ひきますか。」ぶたは、「いやだ。」と いいました。ねこも、「いやだ。」と いいました。犬も、「いやだ。」と いいました。 小さい 白い にわとりは、ひとりで こなに ひきました。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。「だれが、パンに やきますか。」ぶたは、「いやだ。」と いいました。ねこも、「いやだ。」と いいました。犬も、「いやだ。」と いいました。 小さい 白い にわとりは、ひとりで パンに やきました。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。「この パン、だれがたべますか。」ぶたは、「たべる。」と いいました。ねこも、「たべる。」と いいました。犬も、「たべる。」と いいました。
さて、このあと、小さい白いにわとりは、なんと答えたのでしょう?
この詩がいつも頭から離れず、この結末がずっと気にかかっていました。インターネットで調べてみると、この詩のことを覚えている人がたくさんいることがわかりました。今も「光村ライブラリー」から出版されていて、この詩を自分の子供にも読んであげたいなどコメントが書いてありました。私は、小学校高学年の時のものかな、と思っていたのに、筆者は、というか編集者は小学校1年生に、何を教えたかったのでしょうか。
私は今、4人の家族で生活をしていて、みな成人している大人ばかりですが、今までの習慣でどうしても家事全般は私の仕事になっています。しかし、みな仕事をしていて条件は同じなのに、と考えていたときに、この詩を思い出したのかもしれません。
いつも私は、子供たちに、一日に一つ家族のために何かをしなさいと言っています。そうすることがお互いへの思いやりになり、家族の一員として生活することだと思うからです。
でも、本当は、私が家族のために食事の支度をして、おいしいと言って食べてくれたり、家族が快適に生活できていることが私の大きな喜びであり、ストレス解消であり、仕事と家庭との両立の秘訣でもあるのではないかと思うようになりました。
働く喜び、誰かの役にたつ喜びを、まだまだ頭の柔らかい小学校1年生に教えたかったのかもしれません。これが中学生や高校生のときならば、きっとまた全く違った解釈でこの詩を読んだことでしょう。この小さい白いにわとりの最後のページの挿絵には、みんなでパンをたべている様子が描いてあったそうです。
私も、自分の喜びのために家族のために何かをすることにします。そして、職場でも、学生たちの公務員になる夢を実現させるお手伝いをしていこうと改めて思っています。相手が自己実現することがそのことが私の自己実現であるような気がします。他己実現という言葉がありました。
思いは相対的ではなく、自分自身が納得する絶対的なものであることを小さな白いにわとりは気づかせてくれました。
photo by mizutani
今月の花は野菜の花、生命力あふれるとうがらしの花です。
当校の1階にカレーショップがオープンしました。その名も「公務員合格カレー」!
学生達の空腹を十分に満たすボリュームたっぷりの大盛りカレーを、公務員試験の勉強に励んでいる学生に食べてもらおうとオープンしました。料金は300円。先着30名には温泉卵が付いています。今は、当校学生のほか、公務員夏期講座に来ているたくさんの高校生たちや、また、国の施策としての職業訓練の方々も来られていて、カレーショップは大盛況です。お腹をすかせた学生達には大盛りで食べてもらいたいです。一般の外部の方も来られていて、少しでも地域の方に利用していただければと思っています。
最近、なぜか、小学校の教科書に載っていた詩をよく思い出します。何年生の時に習ったかはよく覚えていなかったのですが、記憶を頼りにインターネットで調べてみると、それは小学校1年生の教科書の一番最後に載っていたものだったのです。題は「小さい白いにわとり」です。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。「この むぎ、だれが まきますか。」ぶたは、「いやだ。」と いいました。ねこも、「いやだ。」と いいました。犬も、「いやだ。」と いいました。小さい 白い にわとりは、ひとりで むぎを まきました。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。 「この むぎ、だれが かりますか。」ぶたは、 「いやだ。」と いいました。ねこも、 「いやだ。」と いいました。犬も、 「いやだ。」と いいました。 小さい 白い にわとりは、ひとりで むぎを かりました。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。「だれが、こなに ひきますか。」ぶたは、「いやだ。」と いいました。ねこも、「いやだ。」と いいました。犬も、「いやだ。」と いいました。 小さい 白い にわとりは、ひとりで こなに ひきました。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。「だれが、パンに やきますか。」ぶたは、「いやだ。」と いいました。ねこも、「いやだ。」と いいました。犬も、「いやだ。」と いいました。 小さい 白い にわとりは、ひとりで パンに やきました。
小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。「この パン、だれがたべますか。」ぶたは、「たべる。」と いいました。ねこも、「たべる。」と いいました。犬も、「たべる。」と いいました。
さて、このあと、小さい白いにわとりは、なんと答えたのでしょう?
この詩がいつも頭から離れず、この結末がずっと気にかかっていました。インターネットで調べてみると、この詩のことを覚えている人がたくさんいることがわかりました。今も「光村ライブラリー」から出版されていて、この詩を自分の子供にも読んであげたいなどコメントが書いてありました。私は、小学校高学年の時のものかな、と思っていたのに、筆者は、というか編集者は小学校1年生に、何を教えたかったのでしょうか。
私は今、4人の家族で生活をしていて、みな成人している大人ばかりですが、今までの習慣でどうしても家事全般は私の仕事になっています。しかし、みな仕事をしていて条件は同じなのに、と考えていたときに、この詩を思い出したのかもしれません。
いつも私は、子供たちに、一日に一つ家族のために何かをしなさいと言っています。そうすることがお互いへの思いやりになり、家族の一員として生活することだと思うからです。
でも、本当は、私が家族のために食事の支度をして、おいしいと言って食べてくれたり、家族が快適に生活できていることが私の大きな喜びであり、ストレス解消であり、仕事と家庭との両立の秘訣でもあるのではないかと思うようになりました。
働く喜び、誰かの役にたつ喜びを、まだまだ頭の柔らかい小学校1年生に教えたかったのかもしれません。これが中学生や高校生のときならば、きっとまた全く違った解釈でこの詩を読んだことでしょう。この小さい白いにわとりの最後のページの挿絵には、みんなでパンをたべている様子が描いてあったそうです。
私も、自分の喜びのために家族のために何かをすることにします。そして、職場でも、学生たちの公務員になる夢を実現させるお手伝いをしていこうと改めて思っています。相手が自己実現することがそのことが私の自己実現であるような気がします。他己実現という言葉がありました。
思いは相対的ではなく、自分自身が納得する絶対的なものであることを小さな白いにわとりは気づかせてくれました。
photo by mizutani