安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

当たり前の幸せ

2014年08月07日 | 月刊ブログ
 夏休みになると、入道雲を見ながら海水浴に行きたくなります。
 今年の夏は、梅雨が明けたと思ったらずっと雨ばかりで、海に出かける機会がありませんでした。もう子育てが終わった私は、海水浴とは縁遠くなってしまいましたが、周りの子供たちは、心待ちにしていたことでしょう。私も子供が小さいときは、ひと夏に何回海に行けるか挑戦したことを思い出します。土日限定になると泳げる日は少なく夏は短いですね。
 
 佐世保校では、今年公務員試験を受ける近隣の高校生や大学生が「夏期講座」に来ています。夏限定のこの講座で学校全体がさらに活気付いています。
 先日は、公務員試験2次試験で課される作文の練習をしました。高校生が書いた作文の一節が心に残りました。
 「当たり前のことは当たり前ではない」
 食べたいものを食べて、ほしいものはほとんど手に入る。そんな日常が当たり前だと思っていたけど、そうではなかったと気が付いたと書いていました。
 
 今、国の発展度合いを測る指標として、経済活動のGDP(国内総生産)に代わって、人類が最も重要視する「幸福度」というものを用いるようになりました。国民が自分たちは幸福だと思っているかの指標です。しかしながら、2010年のある調査によると日本の幸福度は81位だそうです。アメリカはもっと低くて、100位を超えています。
先進国の指標としては、意外な結果でした。
 また、5年後の将来の幸福度を、日本人はどのように思っているのかも調査したそうです。
 
 今の自分が幸福なのかと、自分のこととして考えると、特に不幸の要因はないような気がします。しかし、ついつい他の人と比べてみると、不満が出てきます。
 本当は、贅沢でなくても毎日ご飯が食べられて住む家があり、質素でも着るものがあり、働く場所があって家族がいること。これ以上何を望むというのでしょうか。
 つい、周りの目や外見、社会的価値にとらわれ、本当の幸福に気づかずにいます。毎日当たり前に何不自由なく暮らしていけることは、本当は当たり前ではなく、家族や周りの支えてくれる人たちのお蔭なのだと、そしてそれは当然ではないことを、私たちはちょっと考えてみる必要がありそうです。他人ばかりを羨んでいてはいけません。そして、質素な外見でも、中身が豊かであれば、最上の幸福であるはずです。
 相田みつをさんの、「しあわせはいつも自分の心が決める」という言葉を思い出します。私の座右の銘です。
 もともと、客観的幸福は存在しないのかもしれません。

 5年後、幸福でいられるかという調査では、やはり加齢が一番のマイナス要因です。主観的健康と世帯収入が多い、子供の数が多いほど幸福感を感じるという結果でした。
今、多くの人たちのお蔭で、平和で当たり前の生活ができていることに、私も感謝しようと思います。

 ここ長崎では8月は、祈りの月です。もうすぐ原爆記念の日が訪れます。当たり前だった生活が一瞬にして失われた不幸を、絶対に忘れないよう祈る時間を共有するのです。
その時間にこそ、今の自分は幸福なのだと、目を閉じて深く感謝をしてほしいと思います。

 Photo by mizutani

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