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帰り道、信号待ちをしているとどこからかいい香りが。傍らの花壇に菜の花が無造作に咲いていました。
ああ、もうそんな季節なんだと、あまりにもあわただしい毎日をちょっと後悔してしましました。
3月は、柔らかな日差しと桃色の空気が春の訪れを感じさせてくれます。
学校でも、卒業式の準備で大わらわです。毎年のことながらこの時期になると、なんだかすぐに胸が熱くなってしまいます。1年間のことが走馬灯のようによみがえってきます。
今は、卒業式の答辞と送辞の作成で、その代表者と2年間を振り返って話をしています。
それに、卒業式後の祝賀会は在校生が企画運営してくれるので、その準備も大変そうです。ビンゴゲームの景品を買いに行ったり、出し物を考えたり、これまで一緒に学んできた先輩、仲間を送る準備をしてくれています。
この時期は、人が動きます。そのときには、いつも「ありがとう」の言葉が行き交っています。もうしばらく会えないかと思うと、やはりそれまでのその人との関係に感謝の気持ちが芽生えてくるのですね。この人と関わりあえて、こんな発見をした、こんなうれしい気持ちを味わえた、こんなに私を大事にしてくれた。「ありがとう。ありがとう。」感謝の気持ちを表現したくなるのです。
学生との関わりはわずか1年または2年のことですが、私たちの仕事は、この学生たちがいてくれて始めて成り立つ職業です。はじめに教師ありき、ではなく、はじめは学生のみんな、なんです。
学生と毎日、言葉を交わしたり、時には腹を立てたり、うれしくて抱き合ったり、悔しくて一緒に涙したり、そんな毎日が、私たちの仕事の核なんだと思います。
私自身の仕事としては、学生との関わりが極端に少なくなって、ちょっと寂しいときもあります。他校のある先生は、定年までずっとクラスの担任をやっていきたい、とおっしゃっていました。「学生とかかわっていきたいんです。」とも言われていました。
今の私は、それとは少し違う方向に進んでいるような気がしますが、この仕事の醍醐味は、1年や2年という短い期間でも、学生たちが大きく成長する姿を目の当たりにすることができるところです。こんなに大人として振舞うことができるようになった、こんなに周りの人を気遣うことができるようになった、そのことが形として見えたときは、本当にうれしいものです。
この学生の変容は、どうして起きたのかというと、それは教員の指導というより、周りのクラスメートや、ライバルだけど声を掛けてくれる仲間の存在だと思います。
ある学生は、クラスの中で周りとまったく話さない人に、毎日おはようとあいさつをし、休み時間には、何かしら声を掛け続けていました。何にも話さなかったその人は、1年後、みんなに混じって体育館を走り、スポーツも一緒にし、溶け込んでくれました。それは、学校や教員の指導ではなく、クラスメートの優しい思いやり以外の何ものでもありません。
今年、私の一番うれしかった出来事でした。
先日実家に行ったら、3年前、娘が就職したときに植えた梅の木が、背丈は1メートルくらいなのに、去年よりももっとたくさんの花をつけていました。今年もまた一回り大きく成長したんだなと、社会人3年目の娘の姿を思い浮かべながら、「ありがとうございます。」と思わず言ってしまいました。
そして、私も、若い人のように、まだまだ成長したいなと思いました。
来週はいよいよ卒業式。声を掛け続けたその学生は、公務員試験でも最多合格で最優秀賞をもらうことになっています。
photo by mizutani
ああ、もうそんな季節なんだと、あまりにもあわただしい毎日をちょっと後悔してしましました。
3月は、柔らかな日差しと桃色の空気が春の訪れを感じさせてくれます。
学校でも、卒業式の準備で大わらわです。毎年のことながらこの時期になると、なんだかすぐに胸が熱くなってしまいます。1年間のことが走馬灯のようによみがえってきます。
今は、卒業式の答辞と送辞の作成で、その代表者と2年間を振り返って話をしています。
それに、卒業式後の祝賀会は在校生が企画運営してくれるので、その準備も大変そうです。ビンゴゲームの景品を買いに行ったり、出し物を考えたり、これまで一緒に学んできた先輩、仲間を送る準備をしてくれています。
この時期は、人が動きます。そのときには、いつも「ありがとう」の言葉が行き交っています。もうしばらく会えないかと思うと、やはりそれまでのその人との関係に感謝の気持ちが芽生えてくるのですね。この人と関わりあえて、こんな発見をした、こんなうれしい気持ちを味わえた、こんなに私を大事にしてくれた。「ありがとう。ありがとう。」感謝の気持ちを表現したくなるのです。
学生との関わりはわずか1年または2年のことですが、私たちの仕事は、この学生たちがいてくれて始めて成り立つ職業です。はじめに教師ありき、ではなく、はじめは学生のみんな、なんです。
学生と毎日、言葉を交わしたり、時には腹を立てたり、うれしくて抱き合ったり、悔しくて一緒に涙したり、そんな毎日が、私たちの仕事の核なんだと思います。
私自身の仕事としては、学生との関わりが極端に少なくなって、ちょっと寂しいときもあります。他校のある先生は、定年までずっとクラスの担任をやっていきたい、とおっしゃっていました。「学生とかかわっていきたいんです。」とも言われていました。
今の私は、それとは少し違う方向に進んでいるような気がしますが、この仕事の醍醐味は、1年や2年という短い期間でも、学生たちが大きく成長する姿を目の当たりにすることができるところです。こんなに大人として振舞うことができるようになった、こんなに周りの人を気遣うことができるようになった、そのことが形として見えたときは、本当にうれしいものです。
この学生の変容は、どうして起きたのかというと、それは教員の指導というより、周りのクラスメートや、ライバルだけど声を掛けてくれる仲間の存在だと思います。
ある学生は、クラスの中で周りとまったく話さない人に、毎日おはようとあいさつをし、休み時間には、何かしら声を掛け続けていました。何にも話さなかったその人は、1年後、みんなに混じって体育館を走り、スポーツも一緒にし、溶け込んでくれました。それは、学校や教員の指導ではなく、クラスメートの優しい思いやり以外の何ものでもありません。
今年、私の一番うれしかった出来事でした。
先日実家に行ったら、3年前、娘が就職したときに植えた梅の木が、背丈は1メートルくらいなのに、去年よりももっとたくさんの花をつけていました。今年もまた一回り大きく成長したんだなと、社会人3年目の娘の姿を思い浮かべながら、「ありがとうございます。」と思わず言ってしまいました。
そして、私も、若い人のように、まだまだ成長したいなと思いました。
来週はいよいよ卒業式。声を掛け続けたその学生は、公務員試験でも最多合格で最優秀賞をもらうことになっています。
photo by mizutani