世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

チベット旅行 その6(カイラス山)

2019年03月17日 21時30分42秒 | チベット
■2011年2月8日

翌朝起きると、窓から明るい光がさしています。ガイドから「晴れてるよ」との言葉。
外に出てみると、まさかの快晴。


まだ早朝のため、ほとんど誰も外出しておらず、昨晩降り積もった雪が早朝の太陽で輝く美しい銀世界!
超テンション上がります。
やった!やったー!と跳ね回りたい気分。

しかも、町からカイラス山頂が少し見える!

カイラス山、、、なんと、神々しい姿なんだ・・・。
そして、なんて贅沢な朝のひととき・・・。しばらく、カイラスを見ながら佇みます。

宿に戻って、ガイドと今日の作戦会議。
ガイドいわく、晴れてるとはいえ、雪が積もっているから、コルラは無理とのこと。
まあ、それは仕方がない。少しでもカイラスを見れたことで、かなり精神的な余裕が出てきました。

しかし、カイラス山を近くに見れるところまでは行こう、ということで、ガイドと小トレッキングに出発しました。

登山ポイントまで車で少し走っている時に、四方360度何もない雪原に、突然現れた羊を放牧している人。

超ビビった。こんな最果ての荒野のような場所で放牧して暮らしている。チベット人ってまじですごい。

降り積もった雪のせいか、ガイドも道がわからないらしく、水を汲みに来ている地元の女の子に道を聞いていました。大丈夫か・・・?


小高い丘からタルチェンの町を見下ろす


誰もいない雪山をガイドと二人で登っていく。





そして、カイラスをかなり近くで見ることが出来ました。


間近で見るカイラス山は、まずその巨大な山容の迫力がすごいです。
圧倒されます。
そして、本当に神聖な佇まいをしており、神々しいという言葉がぴったり。
はるばるここまで来る価値はありました。
長時間のドライブをしてくれた、ドライバーとガイドに感謝。
そして、快晴の天気にも感謝。

カイラスとパチリ


周囲に誰もおらず、風の音だけがする中、カイラス山を堪能しました。


その後、宿に戻ってきて、この日は、タルチェンでゆっくりと過ごすことに。
終日天気が良くて、本当に素晴らしい一日。
これまでの旅でのモヤモヤが一気に晴れた気がします。
宿でおかみさんや、巡礼中のお坊さん、ガイドやドライバーたちとチベットのバター茶を飲みながら、のんびりと過ごしました。

お昼寝する犬の親子。可愛い。


泊まった宿のレストラン兼客室。このソファ席にガイド、ドライバーらと雑魚寝する、という斬新なスタイルの宿。前述した通りトイレなし。


宿に来ていた巡礼者のお坊さんと。

ガイドさんに通訳してもらって少し話をしたが、なんと、中国のチベット自治州(四川省のあたり)から、徒歩でカイラスまでやってきたそう。確かに、その風貌は、そういった激烈な巡礼の旅を経てきたことが納得できるような生命力に溢れるタフガイでした。

角がかっこいい羊がうろついていた。


この日の夜はビールで祝杯。ガイド、ドライバーだけではなく、宿を経営している家族達含めて賑やかな宴会に。


もちろん、言葉は通じないので、疎外感は感じつつも、宿の子供とおもちゃで遊んだりして、チベットに来て初めて、心が暖かくなった。



外に出てみると、圧倒的な星空。宿の子供とキャッキャ言いながら一緒に写真を撮った。

標高も高く、空気も澄んでいるので、星が瞬く様子が明瞭に見れた。





そして、この日の夜、この旅で最も印象に残る出来事がありました。
それは、前日夜は我慢していたトイレ(大)なのですが、ビールを飲んだこと、寒い夜空の下で長々と星空撮影をしたことで、どうしても我慢できないのではないか?というレベルまで、便意が高まってきたことから始まります。
何度も言いますが、この宿にはトイレが無いので、野う○こをしないといけないのです。
念の為、宿の人に再度トイレについて確認しましたが、野う○こしろ、との一言で一蹴されました。

世界一周旅行以来の野う○こ・・・。
世界一周では、途上国の現地人と変わらない風貌で変わらないライフスタイルを送っていた私ですが、日本に戻り2年間が経過し、まっとうな社会生活にすっかり馴染んでいた私が、まさかの野う○こ。数十万円のツアー料金を払ってリッチな旅行をしているはずなのに、まさかの野う○こ。

今日は晴れていて星空の明かりが素晴らしく、外灯のないタルチェンでも視界は良好です。しかも見晴らしの良いタルチェンの町なので、家や物置の影に隠れないと、丸見えの状態です。
しかも、雪が積もっていて、綺麗な純白の雪をオレのう○こで汚すなんて、絶対にイヤだ・・・。


しかし、ついに私の直腸は限界を迎えました。
お腹を押さえて「トイレに行く!」と切羽詰まった表情でみんなに宣言して、外に飛び出しました。
本当は誰からの視界にも入らない鉄壁の死角を探してからしたかったのですが、もはや我慢の限界に達していた私は、適当に宿の隣の建物の物置らしきものの物陰に隠れて、かろうじて宿からは死角になる場所を確保しました。
慌てる手付きでズボンとパンツを下ろし、急いでう○こを出しました。
すると、、、
なんと、さっきまで静かだったタルチェンの町に、犬の鳴き声が響き始めたのです。
それはだんだんと大きくなっていきました。
怖い!怖すぎる!
そして、気がつくと、私の周囲に野犬が7~8匹集まってきており、私と私のう○こに向かって、激しく吠え立てているのです。
チベットという辺境の国のタルチェンという最果ての町で犬に襲われる・・・。
もし噛まれたりした場合、ラサなどの町に戻って治療するまでに最低2泊はかかる・・・。
狂犬病とかになったら、どうなるんだろう・・・。

激しく吠えながら近寄ってくる犬を前に、私は恐怖でどうすればよいかわからず、混乱の極みに達し、思考が完全に停止しました。
すると、いつの間にか背後に迫ってきていた一匹の犬が鼻先を私の剥き出しのお尻にくっつけて来ました。
「ぎゃーーーーー!!!」
と私は叫んで、飛び上がりました!
そして、犬に向かって
「おらーーー!!!あっちいけ!ごらーーー!!!ころすぞーーーー!!!」
と力の限りに叫んで、睨みつけました。
考えるよりも先に体が動いていたのですが、おそらく気迫で犬を追い払おうとしたのです。
しかし、犬はあまり怯まない。
さすがチベットの野犬。しかも、多勢に無勢。
(過去、トルコやイランで、何度か野犬と向き合った時は、この方法で撃退できていたのですが・・)
瞬間的に一度は距離を取った犬たちですが、再度、ジリジリと距離を詰めて来ます。。。
絶対絶命・・・。












しかし、まさに、その時。









宿で一緒に遊んだり写真を撮ったりした子供が現れたのです!!



彼は、私を助けるために小さい体で棒を振り回したのですが、なんと、それで犬は退却したのです。
とはいえ、5メートルくらいのところでこちらを見ているのですが・・・。

その隙に私と子供は、急いで宿に戻りました。
途中で後ろを振り返ると犬たちは、私のう○この周りに群がっていました。目当てはそれか。。。

それにしても、彼の勇気と親切心には、本当に感謝です。あの小さな体と棒切だけで、野犬たちに立ち向かうなんて、凄すぎる。
彼は私にとってのヒーローです。
この出来事は、一時は震え上がるほどの恐怖の出来事だったのですが、最終的には最高の出来事として記憶されています。
(まあ、彼に私の野う○こ姿を見られるという恥ずかしさがあるので、若干マイナスはありますが・・・)

今夜のヒーロー


この日、私は、この旅で初めといってもいい良い気分で眠りにつきました。いや、むしろ最高の気分です。


私が寝る時間になっても、夜遅くまでテレビで「チンギス・ハーン」を見るチベット人達。


<続く>

チベット旅行 その5(サガ→タルチェン(大金))

2019年03月15日 15時56分23秒 | チベット
■2011年2月7日

いきなりトイレの話です。すいません。3年前に中国に来た時と同じく、チベットの田舎のトイレ事情もかなりエキセントリックでした。
写真の通り、懐かしの青空トイレ。ドアと天井が無い。壊れて亡くなったとかではなく、そもそも設計されていない。


紙も水も無い。





朝から移動開始。この日も特に観光することなく、ひたすら車で進む。
出発時は天気は快晴で気持ちよかったが、だんだんと風が強くなり、途中、砂嵐に遭遇。
午後からは、それが吹雪になりました。

カイラス山コルラの可能性が下がってきて、気分的に盛り下がる。
夕方には吹雪が激しくて景色が全然みえなくなり、ひたすら絶望的な気分に。。

雪雲や砂嵐が目前に迫ってきて、不穏な感じ(動画)


前方が雲で真っ白に。


道路も真っ白に


完全に雪景色に




17時半頃に、無事、タルチェン到着。道路上を白い煙のような何かが這い回りつつ、我々の車の前を漂っている。よく見ると、我々の進行方向に向かって漂っていて、まるで何者かが町に我々をいざなっているかのようでした。もの凄く不思議な光景で、なんとも言えない不思議な気分になりました。(動画)


やっと到着したが、まるでゴーストタウンのようなタルチェンの町。寒い。


カフェにいた元気な女の子。この子を見て、なんかホッとしました。


食事は、ヤク(チベットの牛)の干し肉をナイフで割いて、チリソースをつけて、ちびちび食べました。超ワイルドです。


こんな標高のクソ高い(4675m)クソ寒い村に、普通のネコがいて、なんかびっくりしました。



カフェで翌日の作戦会議。今日、雪が大量に降り積もったので、カイラスのコルラは断念ということ。覚悟はできていたが、やはり、残念・・・。
しかし、カイラス山を間近に見れるポイントまでは、雪が止んでいれば行けるかもしれない、とのことで、若干の希望を残しつつ、この日は眠りにつきました。
ちなみに、この宿はなんとトイレというものがそもそも無くて、外の適当なところで用を足すという、究極にエキセントリックなトイレ事情の宿でした。世界一周して、本当にいろんな宿に泊まったけど、そもそもトイレが無い、というのは初めてだわ・・・。びっくりだわ・・・。ということで、仕方なく、雪が降り続く真夜中に、外で用をたすことに。(幸い小さい方)めちゃくちゃ冷えるし、野犬が何匹もいて吠えてくるし、人生で最も苦痛を感じるトイレでした・・・。

※次回、カイラス山の観光は出来たのか???

チベット旅行 その4(シガツェ→サガ)

2019年03月13日 20時17分10秒 | チベット
■2011年2月6日 シガツェ発、サガ泊

先日の記事に書いたとおりシガツェでは公安でカイラス観光許可証をもらうという目的があります。午前中に公安に行きましたが、ガイドの不手際で書類が揃っておらず、また、公安のFAXが壊れているということで、いったんFAXのあるホテルに書類を取りに帰ってまた午後に来ることになりました。午前中が完全に無駄に。できるだけ早くカイラスに着きたいのにこういう事が起きて、ますます気分は下がっていく・・・。そういった手続きの間、することが無いので、しかたなく、カフェでダラダラと過ごします。

チベットの典型的なカフェ


カフェには必ずちょっとした祭壇のようなものがあり、エラいお坊さんの写真が飾ってある。


カフェには、たまに、オシャレな若い女の子も来るみたい。


ガイドさん(右)とドライバーさん(左)とおかずをシェアするタイプのランチ。典型的な中華料理。美味しい。


午後に、無事にカイラス許可証は取れましたが、グゲ遺跡は入れないらしくそちらは取れず。グゲ遺跡は、最悪行けなくても良いと思っていたので、あっさりと諦めました。

当初は午前中出発するはずが、14:30にシガツェを出発。この日は、サガという町を目指して観光せずにひたすら移動します。
カセットテープのチベット音楽とガイドとドライバーのチベット語会話をBGMにただただ車窓の景色を楽しみます。

標高はかなり高くなっており、気温は低く、川は凍結している。


たびたび放牧されている牛に出会う。のどかである。


大荷物を背負ってバイクを運転するチベタン・ライダーにもたびたび出会う。


道中の小さなカフェは静かで神秘的な雰囲気。



ひたすら孤独な旅。
すると、途中ダライラマを賛美する歌がかかりました。(「テンジン・ギャンツォ」というダライラマの別名を連呼しているのでわかった)
ガイドに「ダライラマは好きか?」と聞かれたので「好きだ」と答えたら満足そうでした。ドライバーも笑顔でうなずき満足そうでした。
中国当局の締め付けによりダライ・ラマについておおっぴらに語ったりするこを禁じられているそうなのですが、やはり、チベット人にとって、ダライ・ラマは大事な存在なんでしょうね。ガイドさんは、インドのダラムサラでダライ・ラマに会ったことあるとコソコソと言っていました。

チベット音楽と車窓の風景(動画)


日が沈んでいくけど、まだつかない・・・


サガという町には夜中21:30に着きました。とても小さい町です。標高が上がったこともありめちゃくちゃ寒いです。川も凍っているし。
ホテルの水道からは水が出ません。多分、水が凍っているからなのでしょう。水の入った大きなバケツとお湯の入った大きいポットをもらえるので、まあ、何とかなりましたが、ひもじい気分になるのは避けられません。
することも無いので、すぐに寝るのですが、高山病の症状(息が苦しい、動悸が激しい、など)があり、何度も目を覚ましました。過去のエベレストトレッキングで高山病には慣れているので、深呼吸して眠りにつきましたが、疲れは溜まっていきます。
明日、最終目的地のタルチェンに無事着けるのだろうか・・・。

(おまけ)チベット音楽のMV


<続く。次はいよいよカイラスコルラの拠点・タルチェンを目指します>

チベット旅行 その3(シガツェ)

2019年03月12日 20時26分42秒 | チベット
■2011年2月5日:ラサ発、シガツェ泊

朝8時にホテルのロビー集合。チベットは北京より随分西なのにもかかわらず北京時間なので、朝8時なのにまだ真っ暗です。(その代わり夜は遅くまで明るい)。チベット人ガイドのおじさんと、チベット人ドライバーのおじさんと対面。この日から、ガイド、ドライバー、自分の3人旅が始まります。移動は全てランドクルーザーです。


ラサ市街を抜けて山道をどんどん進んでいきます。いくつかの観光地を駆け足で巡りました。

ナムドゥク湖。標高4900M。


カレーっぽい食べ物を食べるガイドのおじさん


カロ・ラ氷河。なかなか雄大。




荒野。ひたすらこんな風景を眺める。




写真を撮っただけで素通りしたギャンツェという砦


ドライバーは英語を全く話せなくて、僕は中国語もチベット語も全く話せないので、僕はドライバーとはコミュニケーションをとることはできません。なので、英語を話せるガイドだけが頼りです。
しかし、ガイドとぽつぽつと英語で会話するのですが、どうにも会話が盛り上がりません。彼とはあまり気が合わない気がします。ガイドは、ずっとドライバーとチベット語で会話をするので、3人で行動しているけど、僕だけがのけ者・空気のような存在になってしまっています。特に車での移動中はずっとそういう状態。窓の外の景色が見たことのないような景色なので、気は紛れるけど、まあ、あまり楽しい時間ではないです。。。
そんな中、ひたすら車で移動して、チベット第二の都市のシガツェに到着。シガツェではタシルンポ寺を観光しました。

シガツェの町


タシルンポ寺


楽しそうなお坊さん。お坊さんはシガツェに400人しかいないそう。100年前には3000人以上いたそうですが。


この日は何かセレモニーがあるらしく、地元に人たちが集まってきていました。
491、492



セレモニーでは、何かを燃やしていました。意味は不明。


火を熱心に見る地元の子供


シガツェには、寺の観光だけではなく、公安にてカイラスとグゲ遺跡観光の許可証をゲットするという重要な目的がありますが、この日は公安は休み。元の予定では、この日はラツェという町まで行くはずだったけど、シガツェに足止めされることになりました。仕方なくホテルにチェックインし、ガイドと夕食。

トゥクパというチベットうどん。肉入り。おいしい。この旅行中本当に頻繁に食べた。


この日泊まったホテル


ガイドから、給料が安くて困っている、という話を突然されてうんざりした気分に。とはいえ、この後のツアー数日間を気持ちよく過ごすために、自分から、「カイラスをコルラできれば後でチップ払うよ」とインセンティブを与える方向で会話をしました。すると、「今はカイラスの巡礼者はいない」とか、「最近カイラスで中国人が亡くなったらしく警察からの許可が出ないかも」とか、「山の天候はとにかく予測不能だ。コルラはできないかもしれない」とか、ネガティブなことを散々言ってくるので、さらにうんざりしました。。。
やれやれと思い、宿に戻って寝ようとしました。
しかし、この旅行に対するネガティブ思考が頭にはびこってなかなか寝れない。オレは、なぜ、バカ高いお金を払って、こんな苦労をしてまでカイラスに行こうとしているのか・・・。

<続く。次はサガという町を目指します>


チベット旅行 その2(ラサ)

2019年03月11日 18時31分13秒 | チベット
■2011年2月3日:北京からラサへの移動日

7時50分発のラサ行きの飛行機に乗るために、6:05にホテル前発のバスを予約。5時半にモーニングコールをかけて起こしてもらうが、ボンヤリした頭で準備をしていて、バスの時間に少し遅刻。バスに満載されていた他のお客さんを待たしてしまう・・・。ごめんなさい。
飛行機には無事間に合い、重慶空港で乗り換えてラサ行きの飛行機へ。
重慶-ラサ間の飛行機の窓の風景がまた素晴らしかったです。人間の気配が全くしない厳しい山の景色が延々と続いていました。僕の座席は窓際だったのですが、窓際に座っていた中国人のカップルがわざわざ席を替わってくれました。おかげで、下記の素晴らしい光景を堪能できました。



窓からの光景






ラサ空港。まさに荒野にポツンと存在する空港。


昼過ぎにラサ着。天気は快晴。高地特有の濃い青色の空。ここは標高3650m。ほぼ富士山と同じ高さ。日本語ペラペラのチベット人女性ガイドが迎えてくれました。名前はダチョンさん。
カイラスホテルという名前のホテル(名前が良い!)で、明日以降の予定を打合せる。
※今回の旅行は日本でカイラス巡礼の予定を全てツアー会社に依頼してセッティングしてもらっていたのでした。
彼らが言うには、現在、カイラス山の近辺は相当に寒いらしく、念願のコルラ(山歩きの巡礼)は難しいらしい。気持ち的に相当へこんだけど、可能性は0では無いらしいので、行くだけ行ってみようということになりました。
町を少し散策。チベットでも旧正月(春節)を祝うらしく、どこか祝祭ムード。真冬で観光シーズンではないので、欧米人や日本人の観光客はほとんどいない。中国人ツアー客がちらほらいるくらい。祝日なので店は大半が閉まっているが、ジョカン寺というチベット仏教最大の寺へ参拝に来ているチベット人が多くて街に活気はあった。体が高地順応できていないので、歩いているとすぐに疲れて眠くなった。軽く夕食を食べて部屋に戻る。部屋の暖房が効かなくて寒い。気持ちがさらに落ちる。。ホテルなのに寝袋にくるまって寝る。

【ラサ市街の写真】
夜景1


夜景2


活気のある町


めちゃくちゃ袖の長い服を来た渋いチベット人


サングラスかけて渋いお坊さん


可愛いけど、強い眼差しの店番の女の子


牛の骸骨が店の飾りつけ。かっこいい。



■2011年2月4日:ラサ観光

この日は、ガイドのダチョンさんと、その親戚の男性と3人でラサを観光する日。ダチョンさんは、昔、大相撲の白鵬と日本で会ってチベット語で話をしたり一緒に写真を撮ったりしたことがあるらしい。白鵬が若い頃、チベット仏教の寺(川口慧海(※後述)も修行したセラ寺)に修行に来ていたことがあるそう。何かの本でモンゴルはチベット仏教が盛んだと聞いたことがあるような。地理的には間に中国をはさんでいるし、距離的にめちゃくちゃ離れてるのだけど不思議ものです。

まずは、チベットの象徴ポタラ宮を観光。すごく広くて、回るのに時間がかかった。とても壁が白くて綺麗なのだが、毎年10月に塗り直しを行うらしい。
ポタラ宮


続いて、白鵬や河口慧海が修行したセラ寺へ。河口慧海(かわぐちえかい・1866~1946)は、「チベット旅行記」という旅行記を残した宗教家・冒険家です。私が、チベット旅行にここまでこだわったのも、彼の旅行記を読んでめちゃくちゃ熱くなったからです。彼は、19世紀当時、外国人が入国できない純粋な意味での秘境だったチベットに、日本人で初めて入国した人です。しかも、山賊などとの遭遇を生き延びつつ、中国人だと偽って・・・。詳しくは「チベット旅行記」を読んでほしいのですが、その行動力・発想力は常識はずれで、本当に刺激的で感動できる物語です。その彼が、修行していた場所として、セラ寺に行ったのですが、厳かな雰囲気は感じたものの、彼の痕跡のようなものは一切分からなかったので、そこまで印象には残らず。。。また、未だに残っているチベット独特の習慣である鳥葬を見学したかったのですが、残念ながら見学禁止でした。

セラ寺の外観。重厚な雰囲気。


セラ寺の内部。チベット寺特有の赤い内装。お坊さんはいなかったけど、めちゃくちゃ厳かな雰囲気。


この日の夕食は、一人でハンバーガーを食べて、油っこさにやられて、腹痛に・・・。眠りも浅く、何度も夜中に目をさますことに・・・。

ライトアップされたポタラ宮




<続く(次は、チベット第二の町シガツェへ向かいます)>