2007/2/4-7 ナイロビへの道
アジスアベバでの快適な宿・おいしいイタリア料理・その他もろもろの文明の力に、泣く泣く別れを告げて、ケニアのナイロビを目指して移動を開始しました。しばらくは、悪路との戦いが続きます。
ちなみに、エジプト~南アフリカの東アフリカ縦断ルートでは、エジプト、スーダン、エチオピアの北東部分だけが治安上問題が無い国とされています。実際に旅をした感じでも治安はとても良かったです。しかし、ケニヤから南アフリカまでの国々(つまり、この後僕が通る国)は全て治安上の問題があるそうです。その上、マラリアという健康上の脅威もあるという。。。こういうことを考えていると、行くのが嫌になってきますね。。。でも、行くと言ったからには行かないと行けないので、仕方なく行きます。ああ、怖い。。。
2月4日 アワサへ移動
アジスアベバからは首都だけあってバスが頻発しているので、朝5時半にバス駅に行く必要がありません。これはありがたいです。朝9時ごろ、まだ客があまり乗っていないバスに乗り込み、前の方の2列席の窓際をゲットしました。(エチオピアのバスは2列と3列の座席があり、2列の方が楽なことが多いです)しかし、だんだんと客が増え、荷物が増え、満席になってもまだ客を入れようとしています。そして、結局僕の席は2列席に成人男性3人が座り、しかも大きい旅行カバンが足元に置かれるという、拷問のような状況に。ただでさえ、エチオピアのバスは座席が小さく、前後の間隔も狭く、しかも前の座席の後ろには金具が飛び出たりしていて膝があたると痛い、という定員乗車でもキツイ状況なのに。道が舗装されていて揺れが少なかったことが唯一の救いです。
アワサは思ったよりも随分と発展した町で、大きな液晶テレビがあるレストラン・バーで美味しいピザを食べました。
アワサ湖。
2月5日 国境の町モヤレへ移動
この日は、また前までのように朝5時半に真っ暗の中バス駅へ。モヤレへの直通バスは無く、まずはディレという町までミニバスで行って乗り換えろと言われ、仕方なくディレへ。(ちなみに、このバスでも2人席に3人で座りました。)しかし、ディレに着いても、「モヤレ行きは無い。ヤベロまで行って、そこで乗り換えろ」と言われてしまいました。この時点でかなりがっかりしたのですが、エチオピア人に「そうがっかりするな。きっとヤベロからすぐモヤレに行けるよ。神様がついてるよ。」などと言われ、渋々バスへ乗りました。ヤベロには、16時頃着きました。
ヤベロまでの車窓の風景。原始時代か?
本当にバスがあるかどうか不安になりながら、モヤレ行きのバスを待つエチオピア人達と、ガソリンステーションとホテルがそれぞれ一軒ずつある以外は何も無い場所で、ひたすら、いつ来るかも本当に来るかもわからないバスを待ちました。1時間後ようやくバスが来ました。やった!と思いながら乗り込みました。しかし、発車間際になり、なぜか突然乗客全員が降ろされてしまいました。バスは無情にも空の状態で去って行きました。同じくモヤレ行きのエチオピア人達と途方に暮れました。暗くなっていく空に不安になりながら、ヒッチハイクでもしようと思いながら、車を待ちました。幸い車は15分ほどですぐに来ました。小型トラックです。座席も何も無い剥き出しの荷台にエチオピア人達とぎゅうぎゅうになりながら、詰め込まれました。この際、贅沢は言えません。
トラックはすごいスピードで走るので、揺れと風がきついです。揺れの衝撃ははダイレクトにお尻に衝撃を与えます。次第に空は暗くなり、街灯も何も無い未舗装の道をひたすら走ります。見上げると満天の星空です。途中木材の積込みなどがあり、ほとんど座るスペースの無い過酷な環境になりながらも、ひたすら耐えること3時間半。ついにモヤレに到着しました。
エチオピア最後の夕食は、食あたりになって以来拒否反応が出るインジェラです。この町では、それ以外に選択肢はありません。残った精神力を使い切り、吐き気と戦い、なんとか半分ほどを胃に詰め込みました。しかし、やはり翌朝下痢になってしまいました。
この先に待つモヤレ~ナイロビ間が最もきついと言われているのに、その前日に僕は疲れ果ててしまったのでした。
2月6日~7日 ナイロビへ
翌朝、徒歩で国境を渡りケニアに無事入国しました。出国審査も入国審査も僕以外に旅行者がいないのであっという間に終わりました。ケニアに入ると早速バスやローリーの客引きや、闇両替屋が押し寄せてきました。そいつらが言うにはナイロビ行きのバスがあるというではないですか。この悪名高きモヤレ~ナイロビ間には3つの選択肢があります。1.バス、2.ローリー(荷物を運ぶトラックのこと)の助手席、3.ローリーの荷台、の3択です。もちろん3番がダントツで最もきついので、1か2がいいのですが、事前情報でエチオピア・ソマリア間のいざこざの影響でバスが無くなっていると聞いていたのです。闇両替屋をやりすごして、銀行で両替をしたのですが、なんとも手際の悪い銀行で30分ほど時間がかかりました。なんと、その間にバスは行ってしまっていました。がっかりです。最後の頼みのローリーの助手席もケニヤ人で満席です。客引き達は、猛烈な勢いで「早く荷台に乗らんか!」と急き立てて来ます。客引きはうざいのですが、この全く何も無い町でもう一泊することはしたくないので、ローリーの荷台に仕方なく乗り込みました。ローリーは、僕が乗り込むとすぐに出発しました。出発は午前10時でした。
ローリーの荷台
初めは荷台の上の枠組みの上に座りました。下のほうが断然楽そうだったので下にいたのですが、上にいるケニヤ人達に「上にあがってこいよ!」と言われたので、登ってみたのですが、これはきつかったです。まず揺れが凄い。道は未舗装で、めちゃくちゃでこぼこです。振り落とされないためには、かなり真剣に枠組みにつかまらないといけません。そして、顔面に砂混じりの風が強く吹き付けてきます。前を向いて目を開けているのがきついです。しかし、目をつぶっていると、ちょうど乗客の顔の高さにある木の枝がたまに現れるので顔面を激しく打ち付けられてしまいます。ただナイロビに行きたいだけなのに、なぜこんな命がけの冒険をしなければいけないのでしょうか。30分で我慢できなくなり、荷台の中に降りました。荷台の中は体勢は楽なのですが、砂埃が凄いです。あっというまに全身が砂まみれです。暑いので汗をかいているので、泥だらけです。
昼食休憩の時にケニア人におごってもらった豆御飯。久しぶりの米に歓喜の涙が出そうになりました。
こんな道をひたすら走ります。
ナイロビまで3分の1進んだマルサビットという町に夕方5時ごろ到着。ここまで7時間。まだまだ先は長いなあ。
ここで乗客がどどっと増えました。今までは広い荷台を一人で独占状態だったのが、人も荷物も増えて、ぎゅうぎゅう詰めです。なんとか足を伸ばせるスペースを確保できましたが、激しい揺れのためまったく寝れません。気温も凄い勢いで下がっていきます。昼間は確実に暑かったのが、今ははっきりいって寒いです。揺れ、寒さ、砂埃、さらに昨日から続く下痢、それらとひたすら戦うこと12時間、深夜3時にイシオロという町に到着しました。
ここでローリー荷台の乗客がみんな降りて行きます。これで荷台のスペースが増えてうれしいなと思っていると、仲良くなったケニア人がローリーの外で僕を呼んでいます。なんと、ローリーはナイロビまで行くそうなのですが、荷台の乗客はイシオロで全員降りなければ行けないそうです。ナイロビ行きのバスは朝7時発だそうです。3時間の休憩のためだけにホテルに泊まりました。他のケニア人たちはホテルに泊まらずにバスの発着所(といっても屋外。ベンチもなし)でひたすらバスを待つそうです。すごいなあ。ケニア人は。20時間の移動の間ずっと荷台の上の骨組みのところにつかまっているし、その後でホテルの休憩も必要としないし、僕には超人のように思えます。
2時間ほどホテルで寝てナイロビ行きのバスに乗りました。バス移動の快適さは、エチオピアとは変わりました。車体は古くて座席は狭いのですが、定員以上の人を詰め込まないし、指定席をみんな守るし、ラジオ放送は英語だし、独特の体臭もしないし、違う国に来たという実感が湧きました。
バスは12時にナイロビに到着しました。バスを降りたとたんに、タクシーの客引きが押し寄せてきました。初めはバスを使おうと思ったのですが、あまりに疲れていたのと、ナイロビの治安にびびっていたのとで、タクシーでホテルの前まで行くことにしました。しかし、この客引きの争いには困惑しました。客引き同士が、「こいつは悪い奴だ。」「こいつこそお前をだまそうとしている。」などと言い争い、周りの通行人も混じって「こいつを信じろ。」「いや、こいつのいうことを聞かないとお前はひどい目にあうぞ。」などと言ってきます。なんなんだ、いったい。もう、何も信じられません。頼むから静かにしてくれ。客引きが連れてきたタクシードライバーのうち、老人のドライバーを選びました。何かあっても逃げれそうなので。タクシーに乗っている間は、どこか人気の無いところに連れて行かれないだろうか、と内心めちゃめちゃ警戒してたのですが、無事目当ての宿に着きました。昼の12時半です。前日の朝9時に宿を出てから27時間半。長かった移動がようやく終わりました。
とにかく僕は疲れました。
しかし、安心は出来ませんよッ!
オレが滞在してたときは、宿前のマタトゥ乗り場で暴動がしばし起きてましたよ。
まずは、日本人倶楽部で栄養補給をしましょう!
体力回復後、危険に巻き込まれない程度にナイロビ
レポート待ってます。なんとなくいってみたい所
ベスト5(根拠なし)に入っていたナイロビですが、
、、、、怖えーな。
それにしてもホントにタフやね アフリカって・・・
野生の動物たちをみて癒されるシーンとかってでてこないの?
鋼の剣は手に入らないけど
知恵と勇気と根性でこの先のデンジャラスゾーンもがんばってや
垣根涼介『ワイルドソウル』のブラジル移民の方の当時のシーンをすこし思い出しました。(面白い小説でした)
とりあえず全身全開で南アフリカまで駆け抜けてください。野生の六感にめざめるかも。
ついでに後進の方のために、『アフリカ人(?)のよい人悪い人の見分け方(人相編)』でも書いてください。よろしくお願いします。
さすが!!よくぞ、写真がニューケニアロッジだと気づいてくれたね。ミラクル向けに写真アップしたので、突っ込んでくれてうれしいで。
幸い、俺が居たときは暴動のような物騒なことはおきなかったけど、外国人が狙われるような殺人事件はおきてたらしい・・・ああ、こわ。
2みん
ナイロビはサファリツアーに行かなきゃ、ただの危ない都会でした。ああ、こわい。
ナミヘイサーフ
レベルがあがってたらいいけど、HPは減る一方やわ。しかし、新しい呪文を覚えたいわ。ルーラとかベホイミとか。悪者向けにベギラマも使いたいね。
yorifujiさん
ありがとうございます。全身全開でがんばります。人相の見分け方ですか。難しいですよねー。僕は基本的に話しかけてくる現地人は常に疑っています。そのくえにおごってくれたりされると、ついつい警戒が解けておごられちゃいます。そのうち痛い目にあわなければいいのですが。。。