青空Green倶楽部

時々意の趣くままに・・ミヤンマ―・国際・政治・経済・温暖化or寒冷化・限界集落etc

人生の機微(きび)

2024-03-12 12:28:23 |  ドキュメント


 誰にも人生には機微(きび)があります。機微とは表面にはあらわれない微妙なおもむきの事です。地震など気象災害、諸々の病気や事故や詐欺や殺人、傷害事件など日常生活の中に潜んでいるのです。遭遇(そうぐう)するかしないかは細心の注意と目に見えない微妙な運命、おもむきがあるのです。

 今まで国内では大きな危機の経験はありませんが海外の仕事旅で3度遭遇しました。ブリチィシュエアー120人乗りのロンドン-マドリード便で推定1000mの急降下で死をも覚悟しました。それでも何とかマドリードに着陸したのです。それとタイ、バンコックでの軍事クーデターの勃発です。夜12時以降は射殺命令、怒涛の戦車の行軍が迫りくる中11時55分にホテルに避難できたのです。それにミヤンマ―のサイクロン災害です。

 ミヤンマーのベンガル湾沿いにはほぼ未開発のハワイのワイキキビーチよりきれいなビーチがありました。Chaugth(チャウンタ)Ngapali(がバリ)Ngwesaung(グエンサン)です。写真はミヤンマーのベストビーチと言われるチャウンタビーチです。15㎞もある素朴で閑静で広々として馬車やバイクも埋まらない真っ白で硬い細粒砂で遠浅のビーチです。

 ビーチ沿いのホテルや土産店の土地は旧軍事政権関係者の所有でした。ビーチから5分位の小島の裏側の開発許可を頂いたのです。民主化後の外国人観光客の増加を期待しました。ゲストハウスやカフェ、土産店やタイのカオサン等の海外観光客やヤンゴン市内のホテルの客をピックアップバスで集客しビーチ直行バスの運行も計画しました。

 開発予定の島には約30家族が居住し農漁業を営んでいました。軍関係者と島の僧侶に挨拶をし日本に資金調達のため一旦帰国したのが4月30日でした。その2日後の5月2日-3日に今までインド、バングラデシュ側に行っていたサイクロンが暴風雨を伴なってミヤンマ―を襲ったのです。推定で死者7万2千人、行方不明者5万6千人で国連では死、行方不明者、負傷者34万人とも推定するほどの大災害でした。

 急いでミヤンマ―に直行し仕事をまかせていたミヤンマ―の息子(元日本留学生)から事情を確認したのです。ビーチの小島の住民も壊滅し流され顔や手足損傷した死体の山の写真を見せられ海の恐ろしさを痛感したのです。幸運にも2日違いで災難をまぬがれたのです。被害に遭遇された方々のご冥福を祈りミヤンマ―での後始末をし日本の母の介護もあり帰国したのです。

 今も時々美しいビーチの写真や人生を省みて健康で楽しく生活ができている事を神仏に感謝し人生の機微をかみしめています。

 

 
 
 

 

 

 



 

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1 コメント

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感激しました (ラン)
2024-03-14 21:34:06
本日はご訪問有難うございました
おふくろが世間話の締めくくりに
「それが運命よ」
と話してくれたのを思い出しました。
子供達に説教するときの常用語でした。
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