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「からだにいい慶尚北道ツアー」 のFAMツアーに参加した後、飛行機の関係で後泊しました。
そのときの様子です…
マウルバスに乗って 「碑石文化村」 にやって来ています
こんなところまで入っていっていいのかなぁ?
番犬に 「ワンワン」 吠えられて、なんだか悪いことをしているみたい…
この辺りで韓国人のお子さんを連れたお母さん一家に遭遇。
そして、話し掛けられました。
彼女もさっきから同じところをぐるぐる回っているけど、
一体、どこを目安に歩けばいいいのか? なにかガイドブックはあるのかと
聞きたそうでしたが、仰りたいことは大体分かるものの、なんて答えていいのか
適当な韓国語が見つからず、「私は日本人です」 と答えを返すと、苦笑いされて何処かに行かれました。
う~ん、この地図じゃあねぇ~
壁画は、あちこちに続きます。
こんな交番を模した建物もありましたが、中に人はおらず…
この日は、日曜日だというのに、路地を歩く人はおらず、
先ほどからお会いしたのは、子どもさんを連れたお母さんご一行だけです。
この治安が大丈夫な路地も行っていいのか、行った方がいいのか…
この矢印は、進むべき方向を指しているのでしょうか…
何やら詳しく書かれていそうな案内板を見つけましたが、
これを丁寧に読んで訳する気にもなれず、そこまでの力もなく諦めてしまいました。
建物の土台になっている部分に、墓石らしき物を発見します。
家紋やら戒名が書かれているのが分かるかと思います。
いろいろ調べて見ると、碑石文化村で資材とされた墓石の数々は、
朝鮮戦争中から休戦直後にかけての極度の物資不足、かつ急斜面という劣悪な環境下で
避難民たちが命をつなぐため、やむにやまれず再利用したということが分かってきました。
いろいろ難しい問題ですが、植民地支配への恨みからわざと墓石を踏み石などに用いたとは
考えにくいです、この場に立つと…
そのような状況によって、それでも生き抜くためになくてはならない事だったのでは思えて仕方ありません。
以前、 「臨時首都記念館」 にお邪魔したとき、見せてもらったビデオ映像からも
この時代をどんな思いで生きぬいてきたか…
その終戦時に日本人が遺骨を持ち帰ったと伝えられますが、
すべてがそうというわけではなかったようです。
と、いろいろ考えながら路地を散策していると、バス通りに出て来ていました。
辺りをキョロキョロして、バス停を探します。
ここにいてもこれ以上、散策の資料を見つけることはできそうもないので、
また再訪することにして、もっとちゃんと下調べをしてから…
【비석문화마을 (碑石文化村)】
부산시 서구 아미동2가 213-39 (釜山市 西区 峨嵋洞2街 213-39)
Facebook → こちら
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「からだにいい慶尚北道ツアー」 のFAMツアーに参加した後、飛行機の関係で後泊しました。
そのときの様子です…
マウルバスに乗って 「碑石文化村」 にやって来ています
こんなところまで入っていっていいのかなぁ?
番犬に 「ワンワン」 吠えられて、なんだか悪いことをしているみたい…
この辺りで韓国人のお子さんを連れたお母さん一家に遭遇。
そして、話し掛けられました。
彼女もさっきから同じところをぐるぐる回っているけど、
一体、どこを目安に歩けばいいいのか? なにかガイドブックはあるのかと
聞きたそうでしたが、仰りたいことは大体分かるものの、なんて答えていいのか
適当な韓国語が見つからず、「私は日本人です」 と答えを返すと、苦笑いされて何処かに行かれました。
う~ん、この地図じゃあねぇ~
壁画は、あちこちに続きます。
こんな交番を模した建物もありましたが、中に人はおらず…
この日は、日曜日だというのに、路地を歩く人はおらず、
先ほどからお会いしたのは、子どもさんを連れたお母さんご一行だけです。
この治安が大丈夫な路地も行っていいのか、行った方がいいのか…
この矢印は、進むべき方向を指しているのでしょうか…
何やら詳しく書かれていそうな案内板を見つけましたが、
これを丁寧に読んで訳する気にもなれず、そこまでの力もなく諦めてしまいました。
建物の土台になっている部分に、墓石らしき物を発見します。
家紋やら戒名が書かれているのが分かるかと思います。
いろいろ調べて見ると、碑石文化村で資材とされた墓石の数々は、
朝鮮戦争中から休戦直後にかけての極度の物資不足、かつ急斜面という劣悪な環境下で
避難民たちが命をつなぐため、やむにやまれず再利用したということが分かってきました。
いろいろ難しい問題ですが、植民地支配への恨みからわざと墓石を踏み石などに用いたとは
考えにくいです、この場に立つと…
そのような状況によって、それでも生き抜くためになくてはならない事だったのでは思えて仕方ありません。
以前、 「臨時首都記念館」 にお邪魔したとき、見せてもらったビデオ映像からも
この時代をどんな思いで生きぬいてきたか…
その終戦時に日本人が遺骨を持ち帰ったと伝えられますが、
すべてがそうというわけではなかったようです。
と、いろいろ考えながら路地を散策していると、バス通りに出て来ていました。
辺りをキョロキョロして、バス停を探します。
ここにいてもこれ以上、散策の資料を見つけることはできそうもないので、
また再訪することにして、もっとちゃんと下調べをしてから…
【비석문화마을 (碑石文化村)】
부산시 서구 아미동2가 213-39 (釜山市 西区 峨嵋洞2街 213-39)
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