ギリヤークとオロチョン
ギリヤーク人って知ってる?ギリヤークでネット検索すると、必ずギリヤーク尼ヶ崎が出てくる。舞踏の大道芸人だ。全身白塗りで、たった今墓穴から出てきましたって風情でくねくね踊る。インパクト抜群、子供が見たら引きつけを起こして3日は泣きやまない。一度どこかの路傍で見たことがある。何十年も前の話だ。どこでどんな状況でギリヤーク尼ヶ崎のおっさんに遭ったのか全く覚えていないが、あの白塗りクネクネは鮮明に覚えている。彼は母方にギリヤーク人と欧州人の血が混ざっているそうだ。
「ギリヤーク」はロシア語風に訛ったもので、もともとは「ギリミ(吉里迷)」といった。「漕ぐ」に由来し、「大きな舟に乗る人々」がその意。現在は「人」を意味する「ニヴフ」という自称を用い、ニヴフ民族と呼ばれている。樺太と対岸のアムール川下流域に住み、古くは狩猟・魚猟をしていた。また近世には日本と清の貿易の仲介もしていた。なかなか才覚のある人達だ。
現在多くはロシア領内に住む(総人口約5,300人)が、第二次大戦前に日本領だった南樺太に居住して、日本国籍を持っていた者は網走市などに強制移住されたり、進んで移住したりした。1966年時点で網走3世帯、函館2世帯、札幌3世帯で30人。
吉里迷はモンゴルの遠征に屈し服従した(1263年)。そして元は吉里迷の要請を受け、骨嵬(クイ)と于里于(イリウ)を攻撃する。骨嵬(苦夷、蝦夷とも)はアイヌを指している。亦里于は不明だ。これが「北からの蒙古襲来」(1264年)で、日本の元寇(文永の役、1274年)より10年早い。
間宮林蔵が樺太西岸のニヴフ集落を訪れたのは1808年と1809年、アムール川下流域に入ったのは1809年であった。林蔵はニヴフを「スメレンクル夷」と記した。これは樺太アイヌ語の「sumari(キツネ)」と人をいう「クイ」が合わさった「キツネびと」を意味するらしい。
ギリヤーク人の他に、樺太にはアイヌからオロッコ(Orokko)と呼ばれる少数民族がいた。ウィルタとも呼ばれる。現在ロシア国内にいるウィルタ族の総人口は推定346人。ウィルタも南樺太から敗戦後に日本に移住した家族が、1978年の時点で網走市に6世帯13人いたという調査がある。最後のモヒカン族、ならぬ消えゆくオロッコ族だな。
ではオロチョン族はどうだろう。北海道にはオロチョンラーメンがあるが、オロチョン族も日本に移住したのか?答えは否。オロチョン族はヤクート族などと共に狩猟とトナカイの遊牧で暮らしている。広くはツングース系のエヴェンキ族に入る。民族がピラミッド状に裾広がりになっている。ツングース系といえば、中国で金王朝を築いた女真族も、清を築いた満州族も、渤海国も含まれる。森の勇壮な民だ。しかしこのオロチョン、樺太には住んでいなかったので、近代日本との直接の繋がりは無い。
では何故北海道にオロチョンラーメンがあるのか。単に語呂が良かったというだけらしい。ジンギスカンと同じだね。
ギリヤーク人って知ってる?ギリヤークでネット検索すると、必ずギリヤーク尼ヶ崎が出てくる。舞踏の大道芸人だ。全身白塗りで、たった今墓穴から出てきましたって風情でくねくね踊る。インパクト抜群、子供が見たら引きつけを起こして3日は泣きやまない。一度どこかの路傍で見たことがある。何十年も前の話だ。どこでどんな状況でギリヤーク尼ヶ崎のおっさんに遭ったのか全く覚えていないが、あの白塗りクネクネは鮮明に覚えている。彼は母方にギリヤーク人と欧州人の血が混ざっているそうだ。
「ギリヤーク」はロシア語風に訛ったもので、もともとは「ギリミ(吉里迷)」といった。「漕ぐ」に由来し、「大きな舟に乗る人々」がその意。現在は「人」を意味する「ニヴフ」という自称を用い、ニヴフ民族と呼ばれている。樺太と対岸のアムール川下流域に住み、古くは狩猟・魚猟をしていた。また近世には日本と清の貿易の仲介もしていた。なかなか才覚のある人達だ。
現在多くはロシア領内に住む(総人口約5,300人)が、第二次大戦前に日本領だった南樺太に居住して、日本国籍を持っていた者は網走市などに強制移住されたり、進んで移住したりした。1966年時点で網走3世帯、函館2世帯、札幌3世帯で30人。
吉里迷はモンゴルの遠征に屈し服従した(1263年)。そして元は吉里迷の要請を受け、骨嵬(クイ)と于里于(イリウ)を攻撃する。骨嵬(苦夷、蝦夷とも)はアイヌを指している。亦里于は不明だ。これが「北からの蒙古襲来」(1264年)で、日本の元寇(文永の役、1274年)より10年早い。
間宮林蔵が樺太西岸のニヴフ集落を訪れたのは1808年と1809年、アムール川下流域に入ったのは1809年であった。林蔵はニヴフを「スメレンクル夷」と記した。これは樺太アイヌ語の「sumari(キツネ)」と人をいう「クイ」が合わさった「キツネびと」を意味するらしい。
ギリヤーク人の他に、樺太にはアイヌからオロッコ(Orokko)と呼ばれる少数民族がいた。ウィルタとも呼ばれる。現在ロシア国内にいるウィルタ族の総人口は推定346人。ウィルタも南樺太から敗戦後に日本に移住した家族が、1978年の時点で網走市に6世帯13人いたという調査がある。最後のモヒカン族、ならぬ消えゆくオロッコ族だな。
ではオロチョン族はどうだろう。北海道にはオロチョンラーメンがあるが、オロチョン族も日本に移住したのか?答えは否。オロチョン族はヤクート族などと共に狩猟とトナカイの遊牧で暮らしている。広くはツングース系のエヴェンキ族に入る。民族がピラミッド状に裾広がりになっている。ツングース系といえば、中国で金王朝を築いた女真族も、清を築いた満州族も、渤海国も含まれる。森の勇壮な民だ。しかしこのオロチョン、樺太には住んでいなかったので、近代日本との直接の繋がりは無い。
では何故北海道にオロチョンラーメンがあるのか。単に語呂が良かったというだけらしい。ジンギスカンと同じだね。
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