旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

縄文人、補 

2016年06月06日 17時49分58秒 | エッセイ
縄文人、補   

 1万2千年前、最後の氷河期には日本と大陸は地続きだった。人々はナウマン象や大角鹿を追いかけて自由に行き来していた。ところが海岸近くでのんびりしていた連中が、満ち潮で岩場の先がいつの間にか島になってしまったように取り残された。縄文時代は、あれれ帰れないや、のドジな人たちによって始まり、2千年前に弥生時代に移行するまで1万年間続いた。1万年は長い。
 しかし縄文人は他民族からの侵略や疫病の大流行から免れトチの実、シイ、クヌギ、コナラ、カシの実即ちドングリ、栗を主食に、イノシシ、キジやサケ、ウグイ等、植物ではワラビ、ゼンマイ、キノコ等々を副食にして30人ほどの集落を作って長い年月を過ごしてきた。ドングリは保存の利く優れた食材だ。近年白人によって絶滅させられたカリフォルニアにいたインディアンもドングリを主食にしていた。副食品はサケ、鹿、野草などだ。水に長時間晒したり、いくつかのアク抜きの方法があり戦前まで貧しい山間部の村ではドングリを食べていた。
 アク抜きの方法は現在ではうまく再現出来ない。縄文の遺跡は湧水の近くに多いから、徹底したアク抜きをしていたのだろう。完全にアクを抜いたドングリは味の無いデンプンの粉末で、水で練って火で焼けばチャパティーのようなパンになる。集落の近くにエゴマを栽培していた遺跡があるから、ドングリパンの味付けに使ったのかもしれない。ドングリパンは食品としては優秀だが、これだけでは栄養が足りない。脂肪やタンパク質、ビタミンは副食からとる必要がある。他の栄養素を持つ米とは違うのだ。
 日本の文明は遅れていたイメージがあるが、なかなかどうして土器の製造は発見された中では日本のものが世界で一番古い。長崎県の洞窟から出た土器片は炭素測定で、1万2,700年前と出た。しかも縄文土器は装飾に優れ、赤と黒の彩色が施されている。生活のゆとりと、大変豊かな精神性を感じさせる。大らかで自由奔放な装飾だ。見ているとワクワクしてくる。
 それにしても縄文人の人口分布は極端だ。東日本に人口が集中していて西日本は空白地帯になっている。四国などは無人だ。縄文最盛期(約4,500年前)26万人の縄文人がいたと推測されるが、その実に96%は東日本に集中している。2,000年前に稲作の技術を持って、ノッペリ顔の弥生人が渡海してくるが、彼らはほとんど空き地の西日本に集中して住んだ。
 青森県の三内丸山遺跡は、縄文のイメージを覆すものだった。5,500~4,000年前まで千年以上に渡って栄えたこの集落は、35ヘクタールの面積、300㎡の面積を持つ大家屋と高床倉庫群、神殿と思われる直径1m高さ20mを越す6本の柱を持つ建造物、幅15m長さ400mの道路、整然と区画された犬の埋葬を含む墓地を持ち、100軒500人の住居跡が発掘された。
 ヒエ、ヒョウタン、ゴボウ、エゴマ、アサ等の植物が栽培され、栗林は管理され、ウルシ塗りの高度な技術を持ち、1,200点の大小の土偶と288トンというおびただしい量の土器片が出てきた。漆塗りのくし、数々の装飾品、中には糸魚川のヒスイ、北海道の黒曜石、岩手県のコハクが含まれていた。舟による大規模な交易の跡が伺える。
 発掘される土偶は大てい人間離れした顔をしているが、あれは仮面をつけた人物を模しているんだ。現代の基準で言えば、細目吊り目で凹凸の少ない弥生美人より、目が大きく眉毛も太くメリハリの利いた縄文美人の方が好まれると思う。縄文人のDNAを色濃く残しているアイヌや沖縄の人をイメージすればよい。ところが弥生人にしたら、縄文人の濃いい顔は怖ろしく思えたらしい。
 鬼のイメージは、角は別にして四角い顔、眉が濃く眉上が突起し、鼻は広く高くあぐらをかいている。古代~近世にかけて土蜘蛛、國xx、蝦夷などと呼ばれた人達は縄文人の純血種のことと思われるが、鬼のイメージを持たれたらしい。弥生人は後から伝染病を持ってやってきたのに失礼なことだ。
 しかし1万年に及ぶ縄文時代もずっと平穏な時代が続いたわけではない。寒冷期が訪れて植生が変わり、関東平野が水没して人口が半減した時代があった。また槍や鈍器で殺された人骨、石矢じりが体内に残ったまま生活を続けた男性もいた。あとほとんどの人骨に抜歯と歯の加工の跡が見られるが、現代人の八重歯ならともかく、古代の人が抜歯をして健康に良いことは何もない。
 とはいえ縄文人は自然のサイクルの中で、再生出来るだけの資源を活用し、栄養バランスの良い食事をして1万年の長きに渡って、日本列島に住んだ。誇るべき日本人の祖先だ。彼らの生き方には学ぶべき点が多い。


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