旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

骨つぼプカプカ

2015年08月17日 20時43分27秒 | エッセイ
骨つぼプカプカ

 子供の頃、墓参りがきらいだった。今でも好きではない。墓参りの後に外食しようね、と言われても差し引き行きたくはなかった。まあ歯医者ほど絶対に拒否していた訳ではないが。全然面白くないし、日本の墓地って陰気じゃん。あれは墓石の形状が良くないんかな。公園のように芝生に点々と並ぶ英領墓地や山手の外人墓地の方が明るい透明感がある。じめじめしていない。でもあの土の下にお棺に入った遺体がそれぞれ入っているのは、ちょっと不気味。
 印度北西部、パキスタンと国境を接するカシミール地方で、イスラムの葬式に参列した。えっ、ここって墓地だったの。土茶けた空き地に、そう言えば土がいくつも盛り上がっている。古いものはほとんど平らになっている。この時亡くなった人はおばあさんで、棺は無く布にくるまれすでに掘ってあった深い穴に横たえられ、土を盛られた。埋葬に立ち会ったのは男たちだけで、儀式は丁重だが簡素なものだった。
 バンコクのような都会ではどうしているのか知らないが、タイの田舎では庭に墓がある。最初は分からなかったのだが、言われてみるとあるある。どの家の庭にも片隅に石と立てたお墓が。中には写真を飾っていて、それが雨に濡れて崩れ、顔が半分溶けかかっていたりして相当に怖い。
 ならいっそ墓などなくしちゃえ。チベットのラマ教徒や、インドのムンバイにいるゾロアスター教徒の子孫、パルシー達が今でも遺体を砕いてハゲワシ、ハゲタカに食わす鳥葬を行っている。これはいいな。死んで鳥になるヤマトタケルの白鳥伝説みたいだ。印度では川辺で焼き、その遺灰を又は焼かずに布で包んでそのまま、聖なるガンガ(ガンジス川)に流すから墓はない。遠くからでも盛んに遺体を運んでくる。ガンガでは遺体は浮いているわ、洗濯はするわ、汚物は流すわ、その下流で人々は水浴をして口をすすぐ。大丈夫かいな、と思うよね。
 以前TVで見たのだが、ガンガの水は強烈に濁っているが、極めて強力な殺菌能力を持っているらしい。この国を1877年から1947年の独立まで支配した大英帝国の艦船は、遠洋航海にガンガの水を汲み飲料水として用いたという。さて話しがアジアを中心に地球儀をぐるぐる回ったけれど、日本のお墓の中には火葬された骨しか入っていないからドライだ。墓石はウェット、中はドライ。
 仏教は輪廻転生、本来抜け殻の遺体、遺骨に重きをおかない。まあ釈迦の骨は別だが。イスラム教・キリスト教・ユダヤ教のような復活の日とかは無いのだ。東北の即身仏は別だが、変な聖遺物信仰とかには陥らない。ただ我々日本人が本当に仏教を信仰しているとは、とても思えない。ビルマ(ミャンマー)は、大変熱心な上座部仏教徒が主流で、遺体はそこら辺の空き地を掘って埋めている。抜け殻の骨と肉に魂は宿っていない。日本人が大戦中の日本兵の遺骨収集に執念を燃やすのを、とても不思議に思っている。ビルマ人なら密林に分け入るより、パゴタへ行って静かにお釈迦様に手を合わせるだろう。おっとまた地球儀を回してしまった。
 我が家のお墓も陰気な墓石に囲まれた陰気な墓だが、高台にあるので、娘が働くみなとみらい地区のビルを見下ろしている。自分は死んだ後がどうなろうが、どうでも構わないが、ここに納まるよりは太平洋に散骨してもらった方が良いな。
 墓の穴がどうなっているのか、覗いた人はそう多くは無いだろう。1.5mほどの深さの穴にバラバラの骨の残骸が撒いてある。板で棚が渡され、そこに骨つぼが置かれている。その板の上には大きい骨つぼは3つほどしか置けない。自分の父はそんな事を気にしていたのか、古い骨つぼを整理してスペースを作っておいたと言っていた。だけどそう言っていた本人と母親の骨つぼを置いたら、また一杯になっちゃった。次は俺か?その時になってつぼを置くスペースが無くて困るのは気の毒だから、自分が整理することにした。墓地清掃を委託しているお茶や(石材店)に頼むのが普通なのだろうが、人の手を煩わせてしかも数万円を払うこともない。
 思い立って休日の或る日、早朝に墓に行った。小雨の降る寒い朝だったが、炎天下よりは良い。墓石前部の線香の石台を除け石板に手をかけたが、ムっ重い。こんなに重いとは、手で押すだけではびくともしない。こりゃーいかんぜよ。何かバールのような物がないと動かないな。車にシャベルが積んであった(骨つぼを埋めるかもしれないので)のを思い出し、往復20分ちょっとかかるが、駐車場から取ってきた。小型のシャベルを強引に押し込み、重い石板を少しずつずらした。また日を改めて来る気にはならないから、思い切り力を入れ、雨に濡れた地面で腕やひざが汚れるのも気にしない。
ポッカリ穴が開き、開いた穴に雨が降り注ぐ。ちょっとした遺跡の発掘だな。そういえば考古学の先輩が言っていた。江戸時代(土葬だった。時代劇に出てくる大きな樽に座って入れる。)の墓の発掘に行くといつも雨が降る、と。何で江戸時代の墓を掘るのかは忘れたが。
 穴は底が暗く思ったよりもずっと深い。オー、オー確かに骨が見える。匂いはしない。思わず鼻をクンクンしてしまった。骨はそんなに多くはないように思える。そして棚になった所に大きな骨つぼが二つ、小さいのは三つほど見える。あと一つは置くスペースがあるな。穴に半身を突っ込むようにして、大きなつぼを取り出しフタを開けて中身を穴の底にバラまいた。小さな骨つぼは邪魔にならないから、そのままでいいや。そういや親父もそう言っていたな。そう言っていた本人ともう一つのつぼを空にし、用意した袋に入れ石板を元に戻した。時間にして十五分位の作業だったが、フー大仕事だ。よしよしこれで三つ分のスペース確保。
 冬の朝の墓地では誰にも会わなかったが、もし出会っていたら墓荒らしかと思われちゃう。シャベルに大きな袋。さてこのつぼ、色々考えたが海に捨てることにした。山の中に埋めて万が一誰かが掘り返したら面倒だ。海はいいよー。タコでも入ってマイホームにしたらいい。横浜近郊では海岸に人が多いので、何時間も車を走らせ人気のない海岸を探した。まあ冬の海にそう人はいないが、太平洋に面した突堤を選んだ。立ち入り禁止の表札を横目で見て、その先端まで行った。小雨が降っている。海は適度に波があってザップンザップンきている。海面近くまで降りたいが、水に濡れたテトラポットがいかに滑りやすいかを良く知っているので、ちょっと遠くの足場が確保出来る所から、つぼの口が下になるように思い切り放り投げた。母親の方のつぼはうまく海に落ち沈んでいった。次に父親の方を投げたがこれが何と海に浮かんでしまった。あらら波に乗ってドンブラコ、沖に沖にと流されていく。しばらく見ている内に、ずいぶんと沖の方へ進んでいった。
 海は見渡す限りどこにも釣り船等は出ていない。あの調子では相当沖まで沈まずに航海していきそうだ。だちらかと言うと、旅行とかに積極的ではなかった父親の方がドンブラコとは面白い。しばらく見ていたが、つぼは波に乗って沖へ沖へ太平洋の彼方へ旅して、小さくなってついには見えなくなった。


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