旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

辞世

2015年11月29日 09時23分52秒 | エッセイ
辞世

 辞世の句、又は歌。この世にオサラバする時の捨てゼリフ。最高傑作は文句なしに松尾芭蕉の作。ただこれは辞世の句ではなく、芭蕉最後の作品なのだそうだ。まだ死ぬとは思っていなかったのね。
 『旅に病んで、夢は枯野をかけ廻る。』凄い。最初に目にした、耳にした、頭にインプットした瞬間にゾクゾクした。旅に病んで、夢は枯野をかけ廻る。日の差さないボロ旅籠の薄汚い夜具に身を横たえ、ふるえながら死を待つ老人。意識が朦朧として、永の年月旅してきたあちらこちらの風景が、何の脈絡もなく浮かんでは消える。彼方まで続く広大な枯れススキの原、風が吹き過ぎる。風の動きに従って海の波のように草がなびく。繰り返し繰り返して風は吹き過ぎる。一度聞いたら一生忘れない。何か自分までこの句に魅入られてしまいそうだ。
 実際には芭蕉は後援者の富豪の家で寝かされ、弟子たちが付き添っていたのだとしても、そんな事は関係ない。死は万人に共通し孤独なものだ。なお自分は最後の部分を「かけ廻る」ではなく「かけめぐる」と覚えていた。かけ廻る、でも良いね。
 次は豊臣秀吉、これだ。『露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪花のことは 夢のまた夢』いい歌だ。特に下の句が良い。しかし現実の秀吉は、この歌のようには達観してはいなかった。我が子秀頼はまだ小さく、朝鮮には明と朝鮮の大軍の反撃によって、釜山周辺に追い詰められた日本の遠征軍が数十万人、股肱の家臣達は大半海の向こうだ。死の床を見舞うのは、有り余る権勢欲を厚い面の皮に隠した家康。嗚呼俺が死んだらこの子は、豊臣家はどうなる。頼みは刎頸の友、前田利家ただ一人、それにしても----- 弟、秀長が生きていてくれたなら。
哀れな老人だ。あれだけの権力を手にしても絶望的なまでに孤独で、この世に未練と執着をありったけ残して今まさに死なんとしている。これでは百姓家の土間で孫達に囲まれて、静かに息を引き取るジイの方が幸せだな。しかし歌は良い。秀吉が言うからなお良い。「浪花のことは 夢のまた夢」これ本当に自分で作ったのかな。
 辞世の歌といえば、もう一つの傑作は西行。『願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃』歌の中に〝死〟の文字を入れているのにも係わらず、甘美で柔らかく美しい。この人は最期まで恰好いい。現実には妻も子も捨てて、エリートサラリーマン(北面の武士)から出奔したのにね。お坊さんになっても女性にもてただろうな。
これもいいよ。素直な気持ちが良く出ていて好感が持てる。在原業平『つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを』辞世の歌と知らなければ、別の意味に取ってしまうかも。つひに行く先はあの世なのだ。さすがは業平、辞世の歌は変な技巧に走らないのが良い。

戦国屈指の美女、細川ガラシャ(珠)の歌は、『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』
関ヶ原の合戦を前にして、西軍の将、石田光成が東軍に加担した武将の妻子を大阪で人質に取った。その際部下に命じて胸を突かせ、館に火を放って消えていった。結果的には光成は集めた人質に手を出さなかったから、おとなしく捕まっていたら命は永らえただろう。しかしガラシャはこの世に一点の未練もない。散りぬべき時知りてこそ----なのだ。天下分け目の大合戦、戦国最大の大戦を前にして、目を血張らし口から唾を吐き散らす雑兵どもが、館を取り囲む阿鼻叫喚の最中、自らの死と館の炎上を指示しながら、何と静かで澄み切った歌なんだろう。
夫、細川忠興は妻を深く愛していた。天下の謀反人となったガラシャの父、明智光秀の親族の取り締まりが厳しくなった時には、命がけで彼女を守った。しかしその愛、独占欲は常軌を逸していた。館の屋根を修理していた職人が、隙間からガラシャの姿を見た、と言って職人を切り捨てその生首を食事中の彼女の前に据えた。ガラシャは平然と食事を続けたという。忠興の異常な怒りを静める方法などはない。抗議したら火に油を注ぐだけなのだ。ガラシャにキリシタンへの入信を勧め、その手引きをした侍女は忠興の命で鼻と耳をそぎ落とされ館から追放された。その侍女は明智家から付いてきた、主従の垣根を越えた友だった。ガラシャはかごの鳥のような生活を送り、信仰を深めていった。キリシタンになったのち、気位が高く怒りやすい彼女の性格は、謙虚でおだやかなものに変わっていったという。
 父を殺した秀吉の手下に捕われるなど誇り高い彼女には、耐えられなかった。忠興も妻が人目に晒された事が分かったら激怒するに違いない。自分に執着し過ぎる夫を解放してあげようという優しさがあったのかもしれない。いずれにしても一片の曇りも感じさせない澄んだ覚悟が伺える。そして切なく美しい。花も花なれ、人も人なれ。

 戦国武将の辞世の歌は数多くあるが、意外だったのは武田勝頼。これだ。『おぼろなる 月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの 西の山のは』きれいな歌でしょう。しかし勝頼の最期は悲惨なものだった。
 設楽が原の合戦の敗退で、信玄以来の家臣団の大半を失った。7年後、死肉にたかる禿鷹のように武田の領地は侵略された。西からは織田、南からは徳川、東からは上杉が侵攻してくるが、反撃しようにも兵隊が逃亡して半数も集まらない。有力な武将が次々に武田を見限り敵方に寝返る。折あしく浅間山が噴火し、人心は動揺する。残った兵もこれでは士気が落ちる一方で、更に兵が逃げ去る。ついに兵が100人を切り、最後に頼ろうとした小山田にも裏切られ、妻子や侍女達足弱を抱え天目山で進退がきわまり妻子と共に自決する。そんな最期の歌としては、とても透明感のある美しい歌だ。実際には修羅場の死でも、歌会で一首作ってみましたといった風情がある。勝頼、享年37歳。
 時代は下って幕末。この動乱の時代に生きた男達の平均寿命は短い。高杉晋作、享年29(満27歳没)。長州の傑物、吉田松陰の一番弟子で奇兵隊の創設者。数十人の奇兵隊を率いてクーデターを起こし、数千の藩兵を破り、四境戦争で長州討伐に来た十万を越す幕府軍を引きつけて、勝利を目前にして病死した。『おもしろき こともなき世に おもしろく』上の句だけ。
 高杉晋作、国を憂える直情型の生真面目な青年?とんでもない。この男に金を持たせたらアウト。どんな大金でも、有り金全部遊郭で使い果たす。蒸気船が買えるほどの藩の公金を何度遊びで使い果たしたことか。ハチャメチャな高杉が言うから味がある。『おもしろき こともなき世に おもしろく』
 岡田以蔵、百姓とどこが違うのか分からない土佐の最下層の郷士出身。幕末に脱藩して京で尊王攘夷の浪士となる。通称「人斬り以蔵」。学問は無いので、幹部の言うがままに人を斬る。幕末のテロリストだ。この男の刀はいつも血を求める。剣術は達者だがそれよりも呵責のない残虐性と、捨て身の積極性で勝ち残った。最後は幕府に捕えられ、凄惨な拷問を加えられ悲鳴を上げ続けた。或る時同志に「以蔵、見苦しいぞ。声をあげるな。」と言われ、以後歯を食いしばって声を出さなかったが、ついに拷問に屈して仲間を売った。切腹どころか無宿者として打ち首、獄門。享年28歳。
『死んでまた 地獄の鬼と ひといくさ』別の歌もある。『君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後は 澄み渡る空』ずいぶんな違いだ。どちらが本当なんだ。
 最後は江戸の大盗賊、鬼坊主清吉、享年30歳。体が大きく風体が異様だったという。安永5年(1776年)~文化2年6月27日(1805年7月23日)。数ある江戸の悪党の中でも有数の大物。ついに火付盗賊改方に捕えられ獄門。引き廻しの時は、一目見ようと江戸の民衆が群がったという。雑司ヶ谷に墓がある。『武蔵野に はびこるほどの鬼アザミ 今日の暑さに 枝葉しほるる』又は『武蔵野に 名もはびこりし鬼薊 今日の暑さに及(やが)菱(しお)るる』 昔は悪人でも教養があったのね。口ずさむとしみじみ味のある歌だ。
 盗賊の辞世としては、釜ゆでにされた大盗、石川五右衛門の『石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ』が有名だが、自分は鬼アザミの方が好きだな。


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