一つ前の記事で訪れた両国駅。
折角なので、少しレポートしましょうか。
ステーションギャラリー。お雛様やピアノがありました。誰かピアノ弾いているからそっと....カメラに反応されちゃった。ごめんなさい(>_<) でも撮りませんよ。
歴史を刻む資料がいっぱい。撮影禁止とは書いていないけど、聞けばダメみたいなので、文字で解説したいと思います。
ここ両国駅は、本所~両国の開通に合わせ出来ました。
この区間は日本初の高架線で、レンガ等を用いたきれいな橋だったそう。
当時は両国橋駅。本所は錦糸町の事。もう120年前の明治時代。
都心に近づいた事で両国は都心から千葉へのターミナルに。
そして荷物のターミナルでも。
すぐそこに隅田川があった事で、舟と鉄道を用いた物資の輸送を、両国でやりとりしてたんですね。
更に両国って東武線のターミナルでもあったんです。埼玉方面から
亀戸経由で両国へ乗り入れ、総武線と共に両国を玄関としたそう。
とは言え総武線と言う名前に成るのは、このもう少し後。
大正時代をまたぎ、昭和時代の初めに、両国~御茶ノ水が開通。
これで総武線は全線開通。
両国駅に成ったのも、この現在の駅舎が出来たのもこの頃。
そんな歴史があったのですね。
続く.....
ああ難しかった!だから歴史系は大変💦
でもこう言うのがここの強みだからなぁ。
その時代の気動車にも乗りたかったです。
それでは。
久留里線は末端区間の廃止が議論されてる。残念。
良い時代だったでしょう。小湊鐵道など当時の面影は感じます。
私が乗っていた頃の183や113、更に205や201も、もう無いけれど。
駅の話なので相撲は割愛しましたが、相撲もいつか記事に出来たら。
東武線が浅草→両国→浅草とターミナルを移転した様に、相撲も一時は両国から移転したそう。
私は木更津に移転しましたが、久留里線の話は、これから耳にする事が多く成りそうです。
だけど、無理に関心持たないで好きな記事の時だけ来て貰って良いのに。
勝浦いちごライナーさんも地元やバスの記事も楽しいです。こっちも楽しみにしています。
バス運転手の時みたいに駅舎の見学もしたいと思います。
ところで、勝浦いちごライナーさまは電車お好きなのかしら?どんな電車が好きかしら?
それでは。
マスクは任意になったけど、タクシー車内でゲホゲホノーマスクでされたらたまったもんじゃないです。