三年半前にあたる2011年秋、東京国立博物館で開催されていた「特別展 法然と親鸞 ゆかりの名宝」展を見に行きました。
行ってみたら入場制限がされていて、建物の前に行列があり30分待ちのプラカードが。
ここまで来たら並ぶしかないと列に入り、やっと会場に入ったら、大変な混雑でした。
袈裟をはおったお坊さんもちらほら、数人のお坊さんを案内する係員みたいな人もいたり、展示されている仏像の前で念仏を唱える若い青年がいたり、熱気があふれてました。
浄土宗や浄土真宗とは今もこんなに篤く信仰されているものなのかと驚きました。私は特に信仰している宗教、宗派はなく、実家は曹洞宗。だけど曹洞宗もわかってなくて、展覧会で仏像にお会いする以外では親戚の法事で接する程度のはなはだお恥ずかしい状態です。あまりにも仏教をわかってないので少しずつ仏教について知っていこうと思っていたところでした。会場の鑑賞者の中にも私と同じような人が少なからずいたかもしれません。
会場の壁に貼られた説明を読むととても勉強になりました。
これまでの仏教は皇族や貴族そして身分の高い僧による特別な法具や秘儀をもって行う選ばれた人のための宗教だったそうです。教義も複雑で理解するのには高度な教養を必要とする。
だけど法然聖人と親鸞聖人はお祈りを「南無阿弥陀仏」にグッと簡略して、法具も儀式もいらない誰にでも親しめ信仰できる庶民に身近な仏教にしたのだそうです。
救いを求めているのは、救われるべきなのはごく一般的な人々だから。
なるほど、そうなんだ。浄土宗と浄土真宗は仏教においての宗教改革なんだ。
そういえば親鸞聖人が妻帯するようになって日本のお坊さんは結婚するようになったのだっけ。それってプロテスタントの牧師さんが結婚するのと同じだなあ。
その後、父の法事で曹洞宗にじかに触れる機会があり、副住職さんの人懐こい笑顔と穏やかな法話を聞くのもとても良い経験でしたし、
去年は知り合いのプロテスタント信者の方の結婚式で宣教師さんが情熱的に「アガペの愛」を説いた話にも感動したり、私はやっぱり定まった宗教はなく、それぞれにいいと思っています。
話は戻って
展覧会で一番印象に残ったのは会場に入ってすぐに大きなパネルで「二河白道図」の絵の写真が壁に貼ってあり、横にこの絵の元となった法話「二河譬(にがひ)」の話が書かれていた事です。
国立博物館に行くと必ず博物館発行の冊子を1冊持って帰りますが、その冊子によると「二河譬」は中国唐時代の浄土教家・善導が「観無量寿経蔬(かんむりょうじゅきょうしょ)」に書かれた法話だそうで、法然、親鸞両者も各々の著書「選択本願念仏州(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)」、「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」に載せて紹介したそうです。
感じるものがあり、説明の文章をメモに書きとどめました。以下博物館の説明書きをそのまま載せます
「二河白道図(にがびゃくどうず)」鎌倉時代 香雪美術館蔵
ある往生者が西に向かって百千里の道を行こうとしているとき、目の前に行く手をはばむような大きな河が現れた。
南側には燃えさかる火の河(憎しみ)
北側には波が逆巻く水の河(貪り)。
それぞれ底なしで南北に果てしなく続いている。ただ2つの河のあいだに幅15センチほどの白い道(清浄な信心)がある。
こちら側の東岸(娑婆)から西岸(極楽浄土)への長さは100歩ほどだが、白道《びゃくどう》には絶え間なく波がかかり炎が焼いて、簡単には渡れそうにもない。周りには誰もおらず群賊と悪獣が往生者が一人でいるのを発見して、競って殺しに向かってくる。もう逃げ道はない。往生者は白道を渡り始める。
その時、東岸から「決心してこの道を行きなさい」と声がする(釈迦の象徴)。
また西岸からは「私が守るから来なさい」と呼ぶ声がする(阿弥陀の象徴)。
後ろでは追ってきた群賊(別解《べつげ》、別行《べつぎょう》、悪見人《あくけんにん》)が「この道は険悪だから戻ってきなさい」と誘惑する。
渡った白道の先には、阿弥陀仏が迎える極楽浄土であった。
行ってみたら入場制限がされていて、建物の前に行列があり30分待ちのプラカードが。
ここまで来たら並ぶしかないと列に入り、やっと会場に入ったら、大変な混雑でした。
袈裟をはおったお坊さんもちらほら、数人のお坊さんを案内する係員みたいな人もいたり、展示されている仏像の前で念仏を唱える若い青年がいたり、熱気があふれてました。
浄土宗や浄土真宗とは今もこんなに篤く信仰されているものなのかと驚きました。私は特に信仰している宗教、宗派はなく、実家は曹洞宗。だけど曹洞宗もわかってなくて、展覧会で仏像にお会いする以外では親戚の法事で接する程度のはなはだお恥ずかしい状態です。あまりにも仏教をわかってないので少しずつ仏教について知っていこうと思っていたところでした。会場の鑑賞者の中にも私と同じような人が少なからずいたかもしれません。
会場の壁に貼られた説明を読むととても勉強になりました。
これまでの仏教は皇族や貴族そして身分の高い僧による特別な法具や秘儀をもって行う選ばれた人のための宗教だったそうです。教義も複雑で理解するのには高度な教養を必要とする。
だけど法然聖人と親鸞聖人はお祈りを「南無阿弥陀仏」にグッと簡略して、法具も儀式もいらない誰にでも親しめ信仰できる庶民に身近な仏教にしたのだそうです。
救いを求めているのは、救われるべきなのはごく一般的な人々だから。
なるほど、そうなんだ。浄土宗と浄土真宗は仏教においての宗教改革なんだ。
そういえば親鸞聖人が妻帯するようになって日本のお坊さんは結婚するようになったのだっけ。それってプロテスタントの牧師さんが結婚するのと同じだなあ。
その後、父の法事で曹洞宗にじかに触れる機会があり、副住職さんの人懐こい笑顔と穏やかな法話を聞くのもとても良い経験でしたし、
去年は知り合いのプロテスタント信者の方の結婚式で宣教師さんが情熱的に「アガペの愛」を説いた話にも感動したり、私はやっぱり定まった宗教はなく、それぞれにいいと思っています。
話は戻って
展覧会で一番印象に残ったのは会場に入ってすぐに大きなパネルで「二河白道図」の絵の写真が壁に貼ってあり、横にこの絵の元となった法話「二河譬(にがひ)」の話が書かれていた事です。
国立博物館に行くと必ず博物館発行の冊子を1冊持って帰りますが、その冊子によると「二河譬」は中国唐時代の浄土教家・善導が「観無量寿経蔬(かんむりょうじゅきょうしょ)」に書かれた法話だそうで、法然、親鸞両者も各々の著書「選択本願念仏州(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)」、「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」に載せて紹介したそうです。
感じるものがあり、説明の文章をメモに書きとどめました。以下博物館の説明書きをそのまま載せます
「二河白道図(にがびゃくどうず)」鎌倉時代 香雪美術館蔵
ある往生者が西に向かって百千里の道を行こうとしているとき、目の前に行く手をはばむような大きな河が現れた。
南側には燃えさかる火の河(憎しみ)
北側には波が逆巻く水の河(貪り)。
それぞれ底なしで南北に果てしなく続いている。ただ2つの河のあいだに幅15センチほどの白い道(清浄な信心)がある。
こちら側の東岸(娑婆)から西岸(極楽浄土)への長さは100歩ほどだが、白道《びゃくどう》には絶え間なく波がかかり炎が焼いて、簡単には渡れそうにもない。周りには誰もおらず群賊と悪獣が往生者が一人でいるのを発見して、競って殺しに向かってくる。もう逃げ道はない。往生者は白道を渡り始める。
その時、東岸から「決心してこの道を行きなさい」と声がする(釈迦の象徴)。
また西岸からは「私が守るから来なさい」と呼ぶ声がする(阿弥陀の象徴)。
後ろでは追ってきた群賊(別解《べつげ》、別行《べつぎょう》、悪見人《あくけんにん》)が「この道は険悪だから戻ってきなさい」と誘惑する。
渡った白道の先には、阿弥陀仏が迎える極楽浄土であった。