12月28日の舞台を友人と観劇に行きました。
フェリーニが1954年に発表した映画「道 La Strada 」を原作とした舞台劇。デヴィッド・ルヴォー演出
28日の舞台は千秋楽!本当に貴重ですね
会場内客席は、いつも設置されている席の他に舞台上にも後ろの方で階段状に設置されていて、その席に座る観客は先ずは舞台傍のドアの前で集められ、舞台が始まる直前になって劇場の係員に促されて席についてました。
演じる場はサーカスの舞台のような作りで、主要人物以外はサーカスの団員のような恰好をしています。中にサーカス団長がいて、物語の進行を促します。
主人公のザンパノ(草彅剛)は体に巻き付いた鎖を鍛えた大胸筋で壊す力業を見せる大道芸人。粗野で気が荒く乱暴で力と威圧感で周りに有無を言わせない。演じる草彅くんはいつもの印象はひょろりと細い人で飄々とした雰囲気なのですが、この舞台では、細身ではあったけど、大胸筋と二の腕が太くたくましくなってました。だいぶ筋トレをしたのでしょう。日に焼けて薄汚れたランニングシャツを着て、その上に革ジャンを羽織り太い荒々しい声で怒鳴ります。
ジェルソミーナ(時田彩珠)は貧しい寡婦の家の娘で、飢えた幼い弟妹達を救うため母に安いお金でザンパノへ売られてしまう。以前に姉のローザもザンパノに売られたけど死んでしまった。でもそんなこと言ってられない。ジェルソミーナをそそくさと売り払って、ザンパノが運転する自転車についたボロボロの荷台に乗せられ去ってしまう様子を見送る。そのあと、母は泣き崩れる。貧しさゆえに子供を愛する優しい母になれないのはどんなに苦しいだろう。このまま売らないとみんな飢え死にしてしまう。ジェルソミーナも自分や幼い子供たちもそれが唯一の生き残る方法だったのだろうね。
ジェルソミーナはぼんやりとした子で自分の気持ちをうまく言い表せない。ザンパノは客寄せの芸を仕込もうとするが、彼女がなかなか覚えられないのに腹を立て暴力をふるう。ジェルソミーナはただただ耐えて芸を覚えていく。そのうち鼻に赤い丸を塗って道化師の顔になってラッパを吹いて通りすがりの客の足を止め、ザンバノが胸に巻いた鎖を切って披露する大道芸のコンビが出来上がる。そしてザンバノとの関係も言われるままになってしまう。
いつかジェルソミーナはザンパノの奥さんと言われるようになる。本人もそのつもりでいたらザンパノは平気で他の女といい関係になって裏切る。
ジェルソミーナは舞台では10代の少女が演じています。それは無垢なかわいらしさやいじらしさを強調するためだったのだろうか。それからジェルソミーナは他の人は見えない一人のピエロと友達になる。・・・その関係が私にはよくつかめなかったのですが、孤独な少女が自身の心を守るために現れた存在なのかもしれない。
サーカス団員の恰好をした人たちは音楽劇の役割を引き受ける合唱団でもあり、そのままの恰好で場面によりサーカス団員に、群衆に、母親に、弟妹に、飲み屋の客や女将に見立てられて現れ、時に衣装を着け加えて重要な役も演じる。サーカス舞台もそのまま場面転換も道具の入れ替えもせずいろいろな場所に見立てられる。
そして鳥のさえずり、風の音、波の音など自然の音色も彼らが自分たちの気配を消しながら口で音を出してるのです。これを教えてくれたのは一緒に見に行った友人で、私はあまりに自然なので最初は気づかず、途中からそういえばと思い出し驚きました。この効果音がとても美しかったです。
それから舞台上に設けられた観客席からは目の前で演じる姿が見える凄い席のようでした。演じる人も後ろの観客席を意識して何度も後ろを向いていました。もしかしたら劇場の形態が許せば円形劇場にして周りをぐるりと観客席にした形式でも良かったかもしれません。
ザンパノとジェルソミーナは旅の途中、とあるサーカス団と合流する。そのサーカス団には花形の軽業師がいた。背中に白い翼をつけたイル・マット(海宝直人)。彼が綱渡りをすると観客は喜んだ。
その次にザンパノが鎖を胸に巻いて芸を見せようとしたら、観客席にいたイル・マットは大声でからかい馬鹿にして笑う。腹を立てたザンパノはイル・マットを追いかけ回しサーカスの舞台を目茶苦茶にして逮捕されていく。
独り残って不安げなジェルソミーナをイル・マットは優しく声をかけ、二人で組んだコミカルな芸を教える。なかなか覚えられなくても励ましながら何度もおさらいして、出来るようになるとすごく喜んで誉める。二人の間には情愛を感じ、微笑ましくてホッとしました。
この人だったらジェルソミーナは幸せになれるじゃないかな。最初に売られたのがここのサーカス団だったら良かったのに。
でもザンパノが出所すると、イル・マットがここで一緒に芸を披露しようと強く引き留めたのに、サーカス団員達も引き留めたのに、ザンパノを追って再び旅に出てしまう。
旅の途中、修道院の納屋に一晩寝床を提供してもらった時も、翌朝ジェルソミーナの顔に殴られた跡があるのを気づいた修道女は心配してジェルソミーナにここに留まるように促したのに、修道女を振り切ってザンパノと共に旅に行く。
合唱団は悲し気に「彼女は2度も幸せになる機会を逃してしまった」と歌う。ジェルソミーナはなぜザンバノについて行ったのだろう。幼いうちに売られ頼るところもなく暴力で縛られ、心身ともにザンバノに隷属してしまったのか、もしくは自分を買ったのはザンバノだからほかのところへ行ってはいけないと思ってしまったのか、それとも、乱暴でも事実上夫のザンバノに愛情があったのだろうか。
どんなことがあってもついてゆくジェルソミーナを見て、ザンパノにも変化が現れる。彼はジェルソミーナに父親の話をする。父親も鎖を斬る大道芸人で、自分よりもっと逞しく鎖も何重にも巻いて大胸筋を膨らませて切っていたという。
そこでザンパノの悲しみを垣間見ることができた気がしました。父親はきっと誇らしくて恐ろしい存在だったのでしょう。ザンパノも父に殴られながら芸を仕込まれ、でも体格も芸も父には及ばず父親は苛立ってなじり、反発を感じても勝てないザンパノは激しい自己否定に苛まれたのかもしれない。だからこそ自分を守るためにあんな暴力をふるって周りを威圧する。暴力で芸を仕込むのも、弱い者を叩くのも、自分がそうされたので当たり前に思っている。そしてザンパノもジェルソミーナも多分貧しさゆえに学校などで学ぶ機会や本を読んで考える機会もなく、もしくは人生を教えてくれる人に会う事もなく、これまでの人生に疑問を持って変えてゆこうという発想を知らなかったのでは。でも自分をありのまま慕ってくれるジェルソミーナに心を開き始める。
草彅君がザンパノを演じるのもここで納得しました。ザンパノは本当に逞しいマッチョではなく筋肉はあるけどどこか線の細さを感じる男があっている。そして草彅君はドラマや映画などで乱暴な男を演じるといつもの雰囲気とはまるで別人のようになり切っていたので、不思議と相性のいい役なのかも。
ザンパノは子供のようにジェルソミーナの膝の上に頭をおいて眠り、ジェルソミーナは母親のようにその頭をなでる。二人の関係は確実に変化して、幸福な瞬間でした。
更に道を行くと、偶然車が故障して困っているイル・マットに出会う(その車が小さくて子供が乗るおもちゃのようでした。張りぼてでもいいからもう少し大きい車にした方がいいのに)。彼を見るとザンパノは再び怒りと憎しみが爆発して、イル・マットに襲いかかり殴り殺す。その現場を見たジェルソミーナはショックを受け精神が壊れてゆく。
「イル・マットが殴られたと」と泣きながら繰り返す。本当はジェルソミーナは自分に優しくしてくれたイル・マットが好きだったのだね。彼の死を受け止めれず泣き続けている。さすがに気持ちに咎を感じたのかザンパノも彼女に暴力をふるうことができないが、大道芸に役に立たない。ある夜、二人で野宿している時、ザンパノは眠るジェルソミーナをおいて去ってゆく。せめて彼女に毛布を掛けてあげたのはザンパノなりの気遣いだったと思う。昔の彼ならそれすらしなかったと思うので。
年月が過ぎ、年老いて昔の力も失ったザンパノがジェルソミーナを捨てた町に流れ着いてゆくと、昔ジェルソミーナが口ずさんでいたメロディを謳う女性が現れ、ジェルソミーナの孤独な最期を知る。彼女は最後までイル・マットが殴られたと言って泣いていたそうです。
ザンパノはジェルソミーナを思い泣く。
その上から沢山の白い羽が舞い落ちてくる。
その羽の意味を後から気づきました。ジェルソミーナは天国に行って白い翼を付けたイル・マットと再会できたのだね。多分ザンパノはその後天に召されても二人の間に入ることはできないでしょう。
白い羽はカーテンコールにも雪のように舞い落ちてきました。出演者全員が何度もカーテンコールに応えたのはやはり千秋楽ならでは。真ん中にいる草彅君に観客席から「ツヨポン!」と声があがってました。手短に挨拶した草彅君はいつもテレビで見る飄々とした雰囲気に戻ってました。そして大量に落ちてきた白い羽をひとつ拾ってジェルソミーナ役の女の子の頭に飾り、これまで共に演じた相手への感謝と労りを込めていました。
挨拶が終わり演者が皆去った後、余韻を残すように最後に一つだけ白い羽がふわりと落ちてきて、会場が明るくなり劇が終わりました。
戦後のイタリアは貧しい暮らしを描写したネオリアリズム映画が多く作られていましたが、この舞台の原作もネオリアリズムの名作映画。貧しさゆえに貧しい暮らしから抜け出すことができず、暴力にさらされておびえながら生きている。弱い者に暴力をふるう男は裁かれなくて理不尽だし弱い立場の者は浮かばれないです。でも、きっと現実にそんな暮らしをして、映画の中の厳しさをわが身と共鳴して共に涙する観客も多かったと思う。現在だってこの理不尽は存在している。程度の差こそあれザンパノとジェルソミーナの関係はどこにでも存在する。
それを思うと物語は人の世の苦味を感じます。が、見方を変えると人間の業を無垢の魂が浄化していく過程を情感を込めて描かれた作品だと思いました。その情感を演じるのは役者として力量を発揮できる作品で私たちは役者の描く情感の世界を味わってゆく楽しみを持てました。
劇場を去った後、ランチを楽しみ、そのあと、すぐそばにある香取慎吾君のお店「ヤンチャ オンテンバール」も行ってみました。
お店自体が慎吾君の作品のように思えました。私物を持ってきたというシャンデリアがとてもカラフルでかわいらしくて、繊細な感性を感じました(写真左側に自立式のシャンデリアが写ってますね)。クリスマスの後なのでリーズナブルな商品はだいぶなくなっていたようですが、オーバーコートなどはいかにも慎吾君が着そうなデザイン。慎吾君が描いた絵の作品がプリントされてました。店で案内する女のかたがすらりとして綺麗で、親切に説明してくれました。
年末のあわただしい日々の中で物語の世界を楽しめてほっとした一日でした☆
年末に思いがけず素敵な舞台をご覧になられたんですね!
「道」を舞台化して、草彅剛がザンパノを演じていたとは知りませんでしたが、とても良さそうですね。
私も映画はとても感動した作品で、色々なシーンが目に浮かびますが、一番思い起こされるのは、やっぱりラスト、夜の海岸でザンパノが慟哭するシーンです。
himariさんの丁寧な描写で、舞台の雰囲気が目の前で見ているかの様に感じられました。
それにしてもSMAPの皆さん、色々と良いしごとをしてて凄いですね。
もう1か月前の舞台ですがいまだ印象深い舞台でした。私にはとてもいい経験でしたが、せっかくチケットを購入したのに行けなかった方はとても残念だったと思います
草彅君は憑依型の役者さんのようで、ザンパノになると声も変わってまるで別人でした。
ザンパノはひどい男だし優しさを知らない可哀そうな男。その分ジェルソミーナの純粋さが際立っていました。ジェルソミーナはなんで優しいイル・マットと留まらなかったのだろう。本当は好きなのに。それが未だにわかりません。もしかしたら、自分が去ったら幼い弟妹がザンパノ売られてしまうと思ったのだろうか??幸せになる横道がすぐそばにあるのに気づかず通り過ぎてしまう事って意外とあるのかも・・。
実は私、映画は未見なんです。これは是非映画を見なくては!
元SMAPの皆さんそれぞれ表現を拡げていてすごいなと思ってます。新しい地図の三人の方々が仲が良いのも嬉しいです。今だからできる事、今しかできない事を存分にやり抜いてほしいなとこっそり応援してます