2014年クーデターで当時の大統領を追い出して以降、南部オデッサや東部でやや組織的な親ロシア派住民の虐殺などがおこり、キーフ政権vs親ロシア派住民の内戦とも言える状態にあったウクライナに、親ロシア派から頼まれてもかかわりを拒否し続けていたロシアが去年2月に侵攻を始めた。
NATOという軍事同盟が1949年にスタートしている。これを懸念した当時のソ連が1955年にWTOという軍事同盟を組織して対抗した。けれど、ソ連崩壊によりWTOもなくなってしまった。軍事バランスは大きく崩れ、本来ならNATO解散だろう、と思っていたら、2023年の現在もなお活発に動いているようだ。この間は事務総長が我が国に来て何かを頼んでいたようだ。お金を出して、と言われたか、兵器を出してといわれたか、自衛隊を出してといわれたか…まさか。。。。でも、NATOのグローバルパートナー国でもあるわが国、あり得るのではないのかな。「憲法?」・・・・そんなものはあとでどうにでも言い含めることができるし…ということかな。いずれにしてもNATOとしては、ウクライナ紛争について自らのレーゾンデートルを示す絶好のチャンスとしているに違いない。
という具合だ。ロシア&ウクライナ。NATO&〇〇。ゼレンスキー&プーチン。探せばいくらでもある二項対立構造。この構造が続く限り、人が死んでいくかもしれないけれど仕事にあぶれることがなく、儲かり続ける人たちがいて、絶対になくならない二項対立構造。
これを哲学では弁証法という。テーゼ⇒アンチテーゼ⇒ジンテーゼ、というプロセスを経ていく。ジンテーゼの段階に上がることをアウフヘーベンという。日本語では止揚,棄揚という訳のわからない訳語を付けている。実は世界の戦争はほぼこのロジックで展開してきている。ウクライナには必然的に対立項目としてのロシアが必要なのだ。このロジックで行けば、次に来るのはカタスロフ以外のものではないだろう。それをアウフヘーベンというらしい。かのカール・マルクスも、そして実存主義のプリンスジャンポール・サルトルも弁証法の陥穽に嵌ってしまっていた。それにはおそらく理由がある。キリスト教のドグマから抜け出すことの困難な西欧精神性の限界ともいえる。ドイツ観念論の巨峰ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル の作りあげた絶対精神という名の天守をいただく城郭からの脱走はおそらく至難の業なのだろう。
ところで、本覚思想という仏教言葉がある。山川草木悉皆成仏の論理である。そこにはあらゆる存在に対する静かな観想のこころがある。多様性などという言葉では言い表せない豊穣なる自然への畏敬の念ともいえる。「君と私は違っていい」どころではなく、「あなたも、あなたも、そしてあなたも、みーーんな、違っていい」ということだ。自己と他者の対立ではなくて、自己の自然への溶解というか、あるがままでの存在了解というか、こうした境地、絶対精神に拘ったヘーゲルの不幸は天台の思想に巡り合わなかったことかもしれない。
・・・・西洋は、いい加減に、弁証法から脱却しなければならないだろう。でないと、永久に戦禍に見舞われ続けることになるだろう。
(文責:吉田)
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