小日向白朗学会 HP準備室BLOG

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営口事件~昭和7年のころ

2021-05-07 | 小日向白朗学会 情報
 英人救ひ出しに感激 日本陸軍に感謝 ミルン元帥の名で参謀総長宮(閑院参謀総長宮殿下)へ御礼/英人救ひ出しに隠れた殊勲者 その昔張宗昌の軍事顧問 熱血漢小日向白朗氏・・・これは昭和7年11月29日の在外日本語新聞の日米新聞に報道された見出し概要である。同日新聞の3ページの真ん中にしっかりと報道されている。まず、3段組みの見出しには「英人救い出しに感激 日本陸軍にに感謝 ミルン元帥の名で参謀総長宮へ御礼」とあり、続いて2段組み見出しで「英人救い出しに隠れた殊勲者 その昔張宗昌の軍事顧問 熱血漢 小日向白朗氏」とある。
 記事の中で・・・・南満匪賊に拉致された…(略)…英国人ボーレー夫人とコークラン氏救い出しの国際的任務を果たした川人大尉の裏面に活躍した殊勲者が新潟県三條町字西神保久松氏の次男小日向白朗氏(33)=(旧名権松)=であることが親もとへ情報によりわかった。氏は非常に熱血漢で小学校卒業後販売店原山新聞店の店員となり三條駅の売り子となって働いていたが19歳の時に大望をいだいて渡満、その後村松聯隊に入営、満洲守備隊として再び渡満し除隊後満州警察官となり分署長とまでなったが心機一転して馬賊の群れに入り都下2千名の頭目として東北軍はなやかなりし頃張宗昌の軍事顧問となつたことがあり…(略)・・・・とあり、10月20日に救い出しに成功したと報道している。
 なお、『日米新聞』(英語名は『the Japanese American News』)は『北米日報』(英語名は『North American Daily』)と『桑港日本新聞 』(英語名は『San Francisco Japan News』)との合流後、1899年に誕生した。のちに、『新世界』とともにサンフランシスコの邦字新聞の双璧をなした。安孫子久太郎のリーダーシップの下、『日米新聞』は 在米日本人の米国永住を唱えた。  (文責:吉田)

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