続々強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

原爆のこと

2023-08-08 16:30:10 | 辛い事

東京大空襲で焼け出された我が家は、少し離れた隣町の家に

引っ越しました。リヤカーに家財を乗せて、兎に角何処かに

と言う父の判断だったのでしょう。商売が成り立たないから

地方には行けなかったようです。焼け残った家も、連日空襲

でした。あるとき凄い爆弾が落ちて沢山の人が死んだ。と

父が聞いてきました。白い布を被れば爆弾から逃れられると

言いましたが、焼け出された我が家には白い布は手ぬぐいぐらいだ。

と母が言っていました。爆弾より私は艦載機が怖かったです。

姉のご主人は、衛生兵でした。終戦になって復員しましたが、すぐに

呼び戻されて、沢山のお金を貰い、ご両親に渡して秘密の任務に行きました。

着いたところが広島で、沢山の被災した人の治療をしたそうです。

多分放射能に汚染されたでしょう。でも姉と結婚して二人の子にも恵まれて

幸せな人でした。息子が無事復員して、すぐにまた重要な任務に行く。その時の

御両親の気持ちはどのようなものだったでしょう。

我が家は長兄は、ニューギニアで戦死。次兄は横須賀から帰ってきました。

義兄も、兄達も命をかけて国のために頑張りました。

戦争は辛い事でした。お国のために命をかけた若者が沢山いたことに

感謝します。

あるとき夕涼みで縁台の座っていた父達に、見かけぬ男が来て、戦争の話をして、

戦死した人を、犬死にと言ったそうです。父達は怒って後を追いかけましたが、

素早く消えたそうです。あいつはああやって戻ってきたんだな、こん畜生~

とみんなで悔しがったそうです。

戦災で亡くなった方、戦死した方々、原爆で一瞬にして亡くなった方々、

幸せだった土地が戦場になってなくなった方々。

遙か南溟の果てでまだお骨も戻ってこない兵士達の、ご冥福を祈ります。

コメント (2)
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