86年にわたって愛されてきた街のシンボル不二家が建て替えの為一時閉店した
昭和の子供にとって不二家と言えば「古き良き思い出」となっている事だろう
私の思い出は決して「古き良き思い出」ではない
継母と行った不二家
継母と向かい合ってホットケーキを食べている光景が浮かぶ
煙草をふかしコーヒーを飲みながら私を見つめるその人と会話はない
継母との思い出に言葉がないのだ
親に褒められたり叱られたり励まされたりの記憶は誰にもあるだろうが継母の声と言葉が記憶にない
不二家の閉店のニュースに忘れようとしている記憶を辿った
継母は当時26歳位だろうか?
服はオーダーメイド
買い物は当時老舗の百貨店のざわや
一時間ほどかかるバスで伊勢佐木町に向かう車中でも会話はない
いつも眠っていた継母
買い物を終え向かいの不二家でホットケーキを食べるのが常で楽しみだった
母と出かける嬉しさではなくホットケーキを食べれるのが嬉しかった
入り口でペコちゃんに触り店内へ
不二家といったら継母の私を見つめる眼差しが浮かぶ
冷たい視線
今思えばこの時父は本妻の元に居る
憎き本妻の子の私をどんな思いで見つめていたのだろう
継母との思い出には愛情を感じた瞬間がない
育ててくれたお手伝いのタケさんからは愛情を沢山もらった
継母にとって私は父の手前引き取った人形のような存在だった
不二家を見るたび不快になった
不二家の閉店にこの嫌な思い出も消えるだろう?
何故かスッキリした自分がいる