育ての母90歳
人づてに余命僅かの連絡に心が何も動かない
妹の同棲相手が心筋梗塞で倒れた連絡にも心が動かない
それは普段の付き合いやその人の人間性で決まる
こういう時に相手への思いの加減がわかる
離れていて会わずにいても思いが強い相手もいる
その順位は血縁の強さには関係ないものだ
その人の生き方が決める
さみしい最後には訳がある
因果応報。自業自得
育ての母には何の愛情ももらっていない
体裁を繕うため生きてきた人
世話はお手伝いさんがしてくれて母親の味の記憶は何もない
抱きしめられても叱られてもいない
縁を切った人だしあの人の言った言葉は消せません
私を養女にする条件で子供を産めなかった
恨んでいる、、と
そんなこと言うなら養女にするな!
そんな思いを知ったその時に養子離縁をした
生みの母も同じ
愛人に子供を産ませないため私を渡した
4人の子供の内 なぜ私(次女)だったのか?
亡くなったとき胸が張り裂けるような悲しみを味合わずに済んだ
母親が二人もいても母の愛を知らずに育った、、、
叔母(母の妹)がいつも母をかばって当時の事を話してくれる
勝手に連れて行ったとか泣いて暮らしたとか
女好きの父に悩む一生だった様だ
生みの母は愛人の元に私が加わり「家庭」になることが我慢ならなかったのだと思う
沢山女が居ても家庭は自分の所だけで居たかったのだろう
本妻の意地だろうか
父も自分勝手に生きた人で罪作りだったが唯一愛情はいくつかもらった
亡くなった時
悲しかった
息ができないほど悲しかった
愛情とは何をしてくれたではなく肌で感じるものだと痛感した
親に翻弄されるのは避けられないが反面教師で強い人間になれました
おかげで今の幸せがある
お陰様でありがとう!