大政・小政の気ままな日誌

キャンピングカー(小政号)の出番が減って覚書のブログになっています。ボケ防止の為に毎日継続することを目標にしています。

釣行の後始末は続く

2015年10月21日 | 料理
釣行の後始末はボチボチと・・・昨日濃度10%の塩水に2時間漬けて、一夜干しにした。



お頭を付けると、付加価値が上がるが、さばくのに面倒だし場所を取る・・・どうせ我家の朝食だ。

我家の長期保存は、殆ど真空パックにするが、一夜干しだと水分が残って、上手く真空にしてくれないので

パットに入れて2時間程冷凍すると、水分が凍って上手くパック出来る。



沢山の魚を釣ると、毎食魚料理になるので・・・美味しい魚もうんざりするので、パック・パック・・・・



大量のエソも3枚に下ろして、小骨を毛抜きで抜いて、中骨はスプーンでこさいで・・・根気良く



この後すり身を使った料理をしようと思ったが、飽きてしまって・・・腹ごなしの散歩

木陰で、ツワブキの花が奇麗にさている、黄色とピンクのコントラストが美しいが、ヒメノボタンに似たピンク、でも背丈が違い過ぎる。



我家の近くにあるお堂・・・豊前と筑後の堺があった所・・・豊前と筑前の国境を示す石標が道路脇に建てらています。

江戸初期は筑前は黒田家、筑後は田中家、豊前は細川家の所領となります。

江戸中期以後は筑前福岡藩(黒田家)・筑後久留米藩(有馬家)・筑後柳川藩(立花家)・豊前小倉藩(小笠原家)の4藩

明治初期の廃藩置県により筑前は福岡県となり、その後小倉県(旧豊前国)を合併した。

もしも合併しなかったら、我家は県境にあって福岡県側だった・・・・北九州市の変遷をたどれば面白い話が沢山あります。



2時間程の散歩で気分転換して・・・・今日の夕食も魚・・・魚・・・

カナトフグと手前のホウボウ、カボス醤油で食すと美味い!

黄アラと・・・?アジの煮つけ・・・ソロソロ魚料理も飽きる頃・・・



釣行後始末

2015年10月20日 | 釣り
昨夜は8時過ぎ死んだように眠りに入って・・・朝6時半までグッスリ・・・

こんなに寝れたのは珍しいが、偏頭痛が襲って来そうな・・・体が鉛のように重たい

左手は腫れて、コブシが握れない・・・擦り傷がしみる・・・久々の釣行は体に堪える。

朝、陽の低い時に釣果をさばこうと思ったが、体が動かない・・・頭痛薬を飲んで寝床に逆戻り

寝過ぎで寝れる筈もないが、横になっているだけで、幾分治まった。

カミさん曰く、肩の筋肉が腫れる様に盛り上がって、ガチガチらし・・・少し揉んで貰って、湿布をした。

陽がすっかり上がった10時頃にやっと、正常近くに戻った。

17時間近くの釣行・・・無理は効かない年かと思いつつも、師匠は御年70歳・・・甘えてはいけない。

折角頂いた海の幸を、新鮮な内に始末をしなければと、重たい体に鞭打って・・・

テラス工房で、庭にしつらえた、キッチンで始末をするが、とっくに陽が昇って、魚が傷む・・・

仕方なくターフを張って・・・日除け



マイ包丁はいつも砥いでいるので、切れ味抜群・・・指などスパット切れる。



先ずは高級魚から、手前からハタ(小豆ハタ)市場には中々でない高級魚・・・これだけ大きいと1万円?

次はアジだが大アジ、昨夜のアジよりも一回り小さいが、このサイズは美味い!

次も珍しいシマアジ、これもスパーなどでは出回らない高級魚・・・以上今回のビッグ3でした。



小さな魚は全て、一夜干し(塩水10%に90分)で一晩陰干しにします。



まな板が45cmだから40cm強の連子鯛、塩焼きにすると絶品です。



これらの魚は煮つけやから揚げに丁度良い



野外の作業なので、ハエが寄って来るが人がいると遠慮して近づかない、場を離れる時に蓋をすれば良いが

このスズメハチは人など怖がらない、自由奔放に飛び回る、刺激しない様にやり過ごしたが

又飛んでくる、仕事にならない・・・・ハエ叩きで持って来て、一撃でやらないと仕返しされる。

「バシッ・・・!」やった見事にお陀仏・・・死骸を仲間に見られない様に埋めて、幸いに仲間は来なかった。





次に仕事の邪魔をする猫2匹、何処の猫が知らないけれど、時々我家の庭を我が物顔にカッポしている奴

日除けの外で様子を窺っている。



そんな周りのチョッカイに耐えながら・・・アラ(黄アラ)これも高級魚、時々スパーで見かける。

内臓イガは綺麗に捌いて保存する、素人でもこの程度にサバクポイントの90%は包丁の切れ味



キッチンペーパーでしっかり水分を拭いて、一切れずつペーパーに巻いて冷蔵庫保存します。



あまり嬉しくない魚だが・・・エソ・・・蒲鉾の材料では一級品



歯が鋭いので、油断すると仕掛けを切られる、こやつは針を切ってしまった憎き奴



夕方、ハヤトウリが大きくなったと、収穫して来てくれた合馬の師匠をお誘いして海の幸をお裾分け



新鮮な珍しい魚に感激して、お酒が進んだ師匠も上機嫌・・・



この時が至福の一時ですね。

久々の釣行

2015年10月19日 | 釣り
長い事、釣りに出掛けてなかった、北海道旅行・母の看病・喪中と半年近くなるかな・・・?

・・・・で釣り仲間が喪中明けを待ってくれて、晴れての釣行となった。

1時前に目ざましをセットしたが、ベルが鳴る前に目が覚めて・・・・

先輩の到着を待ったが・・・いつも早目に来るのに・・・携帯が鳴って「今目が覚めた!」との事

20分程遅れて・・・八幡の西ハズレからだから余程飛ばしたのだろう。

いつものようにコンビニで、他のメンバーと合流して5人の釣行・・・

船長さんは約束の時間より早く、油谷(久津港)から軽快なエンジンを響かせて、我々の待つ粟野港へ来てくれた。

流石時間には海軍精神の船長さんだ・・・荷物積み込んで早速船底にもぐり込んで、ひと寝入りを決め込んだ。

いつものようにエンジン音を聞きながら、眠りに着いたが・・・エンジンの音が小さくなって、進んでない・・・

釣り場の見島沖までは2時間半は掛るのだが・・・早すぎるな~と起きて見ると、船長がスクリューに巻き付いた

魚網を外している真最中・・・・これは一時かかりそうだ、もしかしたら今日は釣りができかも知れないと

半ば諦めて、船底に入り眠り着いた。「始めるぞ!」と起こされて、辺りを見て見ると油谷湾の岬辺り

ここで釣れるのかと思ったら、5目釣りで型は小さいが魚種が豊富で・・・入食い状態・・・眠気も一気に覚めて

一回目の流しを移動・・・・



移動中に師匠のイケスを見ると、大鯛が2匹・・・・・やられた!



今度は連子鯛の入食いになって・・・・



何度かの流しで当りは遠のいて・・・・最後の流し



十分な釣果だったので、イケスの魚を締めていると、フグに噛みつかれた、血が止まらない、相手も必死で手が滑った。



3時前に納竿(我々はテグスだから納糸)・・・見島沖には行けなかったが満足出来る釣行だった。



釣れた時は船長の背中が逞しく見える。「ありがとう!」



次回の釣行をお願いして・・・皆で見送りです。



帰りの道中は疲れ切って眠たいが、運転する先輩を気遣って・・・瞼の閉じるのを必死でこらえて・・・・

やっと我家にたどり着いて、とにかく今日の夕食分だけをさばいて・・・・・・・

新鮮なうちが美味い大アジ(46cm)と吸盤が吸い付くイカ(何故かテンヤにイカがついた)、小さいカナトフグ



カミさんが華麗な包丁サバキを連写して・・・・









どうでした?・・・・新鮮な刺身は最高です。



風呂に入っている間に、カミさんがゲソを天ぷらに、中骨を塩焼きにしてくれた。



ビールを一本飲んだだけで、居眠りをして・・・体が鉛のように重く・・・早々に寝床に着いた。


コスモス畑を求めて

2015年10月18日 | 平凡な日々の日記
今日は65回目の誕生日、名実共に前期高齢者の仲間入りとなった。

自分自身は高齢者の意識はないのだが、社会の仕組みは高齢者の位置づけ

これからも健康でポックリと逝こうをテーマに、これからの人生を歩みたい。

・・・・誕生日の感慨は、この程度で普段と変わりなく、秋を求めて近場の市内観光・・・

その昔、響灘埋立地が急拡大している頃、埋立地の真ん中に新しい道が出来て・・・

その両脇にコスモスが咲いていた。・・・確か?コスモス街道の愛称で、時期になれば一面コスモス畑だった。

良くも調べずに・・・とにかく車を走らせて、八幡西区経由で若松響灘へ・・・この道だったが・・・



ナビをみると「コスモス花公園」場所が移動したのかな?、到着するとそこは野球場・・・?



紛らわしい公園名だった。辺りにはコスモは一本もない・・・



ここでやっとスマホーで北九州コスモス情報を調べて・・・遠賀川河川敷が良さそう。

途中、産直の「海と大地」に初めて立ち寄った。



珍しい魚がリーズナブルな値段で・・・オコゼの刺身とから揚げ食べたいな・・・



金目・・・煮つけにすると美味い!









サザエの子供、これ位の大きさが壺焼きでは美味い!



明日は久々の鯛釣りなので、ヒヤカシだけ・・・・昼には早いが、「千畳敷」近くで友人が菜園をしているので

昼飯を誘ってと思ったが、今日は出て来てない・・・おまけに「千畳敷」は予約だけだと・・・・

少し足を伸ばして・・・「マリンテラスあしあ」へ



遠賀川が流れ込む・・・石炭産業華やかな頃、石炭船が行きかう河口口です。



芦屋の海水浴場が見えて、隣が自衛隊の芦屋空軍基地



風光明媚なレストランで昼食・・・



昼食後、腹ごなしに近くの遊歩道を散策・・・正にスポーツの秋だな・・・

遠賀川を上がって行くと、水巻町に入って直ぐに、コスモスの群生・・・





先頭を切って、カミさんが歩きだします。遥か彼方までコスモス・・・100万本らしい



新品種か?珍しいコスモスも・・・ダリアのような花びら









もっと先になったら、種を取りに来ようかな・・・



何か花文字が・・・土手に上がってみると「MIZUMAKI」だった。



威勢よく歩いていたカミさん、お花の前で座り込んだ。



しばし花を眺めて・・・帰りは、私目が先頭で・・・






納骨式

2015年10月17日 | 平凡な日々の日記
秋の晴天のもと、母の納骨式を行った。

納骨は、四十九日や一周忌などの法要に合わせて行うのが一般的なようで

殆どは四十九日の法要と合わせて行うことが多らしい・・・

我家は四十九日が、参列者の都合で一日早くしたので、百ヶ日法要でと思ったが

あまり長く母を留めては、父も寂しいだろうと・・・月参りに合わせて納骨式を行った。

兄弟が集まって、月参りのお勤めをして・・・その足で墓所のある墓地へ・・・

父の納骨以来だから10数年近く開けてない墓は・・・何故かビクともしない。

水のみの所が外れる筈だが・・・・そう言えば水漏れが心配だったので、コーキングしたような?

義兄が気を利かしてくれて、車の工具を取りに行ってくれた。

パンク修理のレンチで、少しの隙間に差し込むと、簡単にずれた・・・

母の遺骨を祖父母や父が待つ墓に、無事納骨する事が出来た。

朝晩冷え込んでいるが、昼間は気温が上がるせいか、蚊の猛攻を受けながら・・・

住職さんのお経を・・・・隣りで蚊を追い払っているが、修行を積んでいる住職さんは微動だにすることもなくお経を続けた。

次にお墓に入るのは、順番では私の予定・・・・これからどう墓を守って行けばよいか・・・・跡継ぎは遠い関東・・・

カミさんは既に永代供養の調査を始めている。・・・・面倒だから先延ばしにするか・・・「そうも行くまいよ」父の声?

無事に納骨を済ませて、我家で食事会・・・これからの法要の予定などを、こと細かくまとめたカミさんが発表・・・

母の13回忌は、私が77歳だそうで・・・・無事に勤める様にハッパをかけられた。

父が亡くなった頃の年齢だな・・・・元気で相努めます・・・複雑だが決意表明をして納骨式を終えました。