最近思うのは、直接悪事を行った代官や商人はともかく、代官を守ろうとして闘う人たちまで皆殺しにされてしまうのが不憫でなりません。
質問者:kaniyokemtto1919さん
komasaram2010
そういうことは1997年に出た「正義とは何か」という本でまさに「桃太郎侍」を例にして言及されています。
必殺シリーズの仕事人は大勢を一度に殺害する場合もありますが、多くの場合、必要最小限の相手だけを殺し、悪事に直接関係ない人は手にかけず、それで相手の周りに人がいないときを狙い、敵のグループを分散させたり、一人だけおびき出したりするなど、相当な苦労をしています。
つまり仕事人は相手の犠牲者を極力少なくするように努力しており、仕事の的がやった悪事と関係がない人間はたとえ仕事のときに的のそばにいても普通は標的にしません。
戦国時代の本能寺の変で考えると明智光秀が織田信長を殺すために本能寺に火をかけて、周りの兵士を殺したのは極端で、もし仕事人に頼んだら、仕事人が本能寺に忍び込んで、信長が一人のときを狙ったでしょう。
江戸時代の赤穂浪士も同様で、大石内蔵助らは吉良上野介一人を殺すために周りの住人を殺したわけで、これも仕事人であれば吉良一人を仕留めて終わったでしょう。
必殺シリーズでは井伊直弼を中村主水が暗殺したことになっていますが、主水は警護の武士に化けて、駕籠の外から井伊大老を刺殺しただけでした。怪しく思って主水を追ってきた武士2名を政と影太郎が始末。あとは水戸や薩摩の武士たちが井伊大老の駕籠を襲って、大老暗殺はその浪士たちのせいになったという設定です。
確か「仕事人2009」で渡辺小五郎が駕籠を襲って護衛の武士まで斬りまくった場面がありますが、あれは例外で、仕事人が剣客である場合の立ち回りを見せる特別な場合か、最終回、またはスペシャル版、映画などの特殊な場合でしょう。
むしろ質問にあるような指摘でチャンバラ時代劇が減り、チャンバラへのアンチだった必殺がチャンバラ化したという経緯もありかも知れません。
例えば悪人のグループ数人が一室で酒を酌み交わしている場合。
多くのチャンバラ時代劇などであれば主人公が庭に現れ、相手の悪事を並べ、悪人が「出合え、出合え」と叫んで警護の武士が多数出てきたとき、主人公が刀を抜いて警護のサムライを峰打ちで叩くか斬りまくるわけです。
一方、仕置人、仕事人等の場合、一室に集まっている悪人グループの一人を呼びだしたりしておびき出し、あるいは次の一人が自ら部屋を出るのを待ち構え、廊下や別室などで人知れず仕留めるわけで、悪事に加担していない同居人には傷一つ負わせません。
補足
なお、有名な時代劇で主人公が相手を斬りまくるのは「三匹が斬る」「大江戸捜査網」などが代表的です。
「暴れん坊将軍」では吉宗はもっぱら相手を峰打ちで叩き、御庭番2名は相手を斬っています。
「遠山の金さん」では町人姿の遠山が敵陣に乗り込み、初めは素手で戦い、途中で相手の刀を奪って峰打ちに持ち替えて戦います。その点では遠山が主人公の「江戸を斬る(II以降)」も同様です。
だから「暴れん坊将軍」と「遠山の金さん」では主人公は相手を「皆殺し」にはしていません。
もっとも「長七郎江戸日記」や「将軍家光忍び旅」では主人公は相手を斬りまくりです。
「同心暁蘭之介」では八王子千人同心たちが被害者で、八王子代官が悪人でしたが、代官所の配下の役人も共犯者だったので蘭之介は役人たちと悪い商人を斬りまくり、最後は代官を殴っていました(おそらく悪事の証人として生かしたのでしょう)。
回答日時:2011/1/26 04:40:44
編集日時:2011/1/26 12:12:20
質問者:kaniyokemtto1919さん
komasaram2010
そういうことは1997年に出た「正義とは何か」という本でまさに「桃太郎侍」を例にして言及されています。
必殺シリーズの仕事人は大勢を一度に殺害する場合もありますが、多くの場合、必要最小限の相手だけを殺し、悪事に直接関係ない人は手にかけず、それで相手の周りに人がいないときを狙い、敵のグループを分散させたり、一人だけおびき出したりするなど、相当な苦労をしています。
つまり仕事人は相手の犠牲者を極力少なくするように努力しており、仕事の的がやった悪事と関係がない人間はたとえ仕事のときに的のそばにいても普通は標的にしません。
戦国時代の本能寺の変で考えると明智光秀が織田信長を殺すために本能寺に火をかけて、周りの兵士を殺したのは極端で、もし仕事人に頼んだら、仕事人が本能寺に忍び込んで、信長が一人のときを狙ったでしょう。
江戸時代の赤穂浪士も同様で、大石内蔵助らは吉良上野介一人を殺すために周りの住人を殺したわけで、これも仕事人であれば吉良一人を仕留めて終わったでしょう。
必殺シリーズでは井伊直弼を中村主水が暗殺したことになっていますが、主水は警護の武士に化けて、駕籠の外から井伊大老を刺殺しただけでした。怪しく思って主水を追ってきた武士2名を政と影太郎が始末。あとは水戸や薩摩の武士たちが井伊大老の駕籠を襲って、大老暗殺はその浪士たちのせいになったという設定です。
確か「仕事人2009」で渡辺小五郎が駕籠を襲って護衛の武士まで斬りまくった場面がありますが、あれは例外で、仕事人が剣客である場合の立ち回りを見せる特別な場合か、最終回、またはスペシャル版、映画などの特殊な場合でしょう。
むしろ質問にあるような指摘でチャンバラ時代劇が減り、チャンバラへのアンチだった必殺がチャンバラ化したという経緯もありかも知れません。
例えば悪人のグループ数人が一室で酒を酌み交わしている場合。
多くのチャンバラ時代劇などであれば主人公が庭に現れ、相手の悪事を並べ、悪人が「出合え、出合え」と叫んで警護の武士が多数出てきたとき、主人公が刀を抜いて警護のサムライを峰打ちで叩くか斬りまくるわけです。
一方、仕置人、仕事人等の場合、一室に集まっている悪人グループの一人を呼びだしたりしておびき出し、あるいは次の一人が自ら部屋を出るのを待ち構え、廊下や別室などで人知れず仕留めるわけで、悪事に加担していない同居人には傷一つ負わせません。
補足
なお、有名な時代劇で主人公が相手を斬りまくるのは「三匹が斬る」「大江戸捜査網」などが代表的です。
「暴れん坊将軍」では吉宗はもっぱら相手を峰打ちで叩き、御庭番2名は相手を斬っています。
「遠山の金さん」では町人姿の遠山が敵陣に乗り込み、初めは素手で戦い、途中で相手の刀を奪って峰打ちに持ち替えて戦います。その点では遠山が主人公の「江戸を斬る(II以降)」も同様です。
だから「暴れん坊将軍」と「遠山の金さん」では主人公は相手を「皆殺し」にはしていません。
もっとも「長七郎江戸日記」や「将軍家光忍び旅」では主人公は相手を斬りまくりです。
「同心暁蘭之介」では八王子千人同心たちが被害者で、八王子代官が悪人でしたが、代官所の配下の役人も共犯者だったので蘭之介は役人たちと悪い商人を斬りまくり、最後は代官を殴っていました(おそらく悪事の証人として生かしたのでしょう)。
回答日時:2011/1/26 04:40:44
編集日時:2011/1/26 12:12:20