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共に是れ凡夫のみ

2018-10-23 20:50:43 | 日記

「我れ必ずしも聖にあらず。

   彼れ必ずしも愚にあらず。

   共に是れ凡夫のみ。

   是非の理、たれか能く定むべき。

   相共に賢愚なること、

   鐶(みみがね)の端無きがごとし。」

 

上は、聖徳太子の17条憲法第10条のことばです。

あの聖徳太子ですら

「共に是れ凡夫のみ」 (自分と同じように、みんな凡人だ。)

と言っています。

 

聖徳太子ですら凡人を自認しているのに、

「自分は賢い」

などと勘違いしてしまっている人いませんか。

物知り顔に、他人を見下している人いませんか。

エリート気取りで偉そうにしている人いませんか。

 

私、たまーにではありますが、そんな様子の方を見受けることがあります。

よくもまあ、人前でそんな態度が取れるものだなあ、と呆れてしまいます。

そして少しだけ心配にもなります。

 

「とてもかっこ悪いし、恥ずかしいことですから、すぐにやめましょう。」

・・と言っても無理か。

必死になって見え張ってるんだものね。

 

 

2500年も前、哲人ソクラテスが

「無知の知」

と言ったように、

何もかも分かる人などこの世に存在しないのに、

知ったような顔をして、生活している人がいるから不思議です。

どこからその根拠の無い自信はやってくるのでしょう。

実際には、何か分かっていることなどこの世の中にはほとんど存在しない、

というのが真実でしょう。

 

 

残念ながら、凡夫ばかりの人間社会ではありますが、

 

尊敬に値する立派な方々がいらっしゃるのも事実です。

立派な業績や社会的地位、研究結果を残されているのに

そういう人は、少しも偉そうには見えません。

 

自分より優れた人はこの世の中にたくさんいて、

私は何もわかっていない、

ということを充分に自覚されている方ばかりのようです。

だから、

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

という表現があるんでしょうね。

 

また、よく超一流の研究者たちのインタビューなどを聞くと

とことん勉強して、研究して、修行して、

高い目標を目指して努力された人たちは

最後に、

自分たち人間には、

決して知りえない、わからない世界が存在する、

というようなことを言うようです。

 

研究を続ける中で、人間としての限界を感じるときがあるのかもしれません。

数学だったり、物理だったり、哲学だったり

医学だったりとそれぞれの分野からその究極にアプローチして

「神の領域」というか「絶対の世界」というか

「色即是空、空即是色」的世界というか、

何が真実で、何が偽物かもあやふやな世界、

そのようなものに、

最後に行き着いて、

呆然とするのです。

 

 

我々、凡夫中の凡夫と言える模範的凡人は、

学問を究めた人たちが、行き着く先には「混沌」があるのだ、

と言っていることだけ知っておいて

生きとし生けるもの、空気、水、地球、宇宙、この世界そのもの

すべてについて、

何一つ人類は分かっていないのだ、

ということを意識するよう心掛け、

決して自分を過大評価することなく、

生きて行きたいものです。