KONASUKEの部屋

最近はすっかり昆虫ブログと化してます(笑)
生物のこと、笠間のこと、時々政治

古河城跡探訪・再び~船渡門址~

2015年02月23日 | 歴史
船渡門址の石碑。
位置は大体この辺↓

国道354号の右側の歩道(狭くて、自転車とか通ったら、かなり危険)を、三国橋へ。
三国橋の交差点を右折し、堤防下の道沿い右手に、小高くなった場所が見えます。

これが土塁址だとか。

土塁と石碑の位置関係はこんな感じ。
右手の大木の下に、石碑があります。

手持ちの資料「古河城下図」から観音寺廓。
左端に、「フナト門」の文字が見える。

石碑の裏側。
奈良の長谷寺の大僧正様の書だということなのですが、達筆すぎて一部、読めない所も。
大体、以下のような内容かと。
「この辺は往時、古河城観音寺郭より船渡河岸に出づる、
船渡門の在りし所にして、この門、平時は締切なるも、
城内居住家臣の葬儀は、必ずこの辺より出せしを以て、
俗に不浄門と呼びたり。
明治七年××たるこの碑は○○孫右衛門(本会理事
元古河城付御船手組)および実弟、同・時次郎
両氏の篤志により、これを建つと(以下、判読不能)
昭和九年二月 茨城県古河史蹟会長 千賀覚次郎 識
(以下、判読不能)」
(旧漢字、旧かなづかいは直し、勝手に句読点を打っています。)

船渡門址の石碑と土塁址。

石碑側から土塁を望む。

渡良瀬川の反対側から。

北側から。

古河城跡探訪・再び「頼政神社」に続く

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