KONASUKEの部屋

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生物のこと、笠間のこと、時々政治

古河城跡探訪再び「頼政神社」

2015年02月23日 | 歴史
頼政神社。
位置はこの辺↓

頼政神社の伝承
「平家追討の綸旨によって挙兵した源頼政は、宇治の合戦で、武運つたなく自刃。
自らの首を託した家来に、頼政は、安住の地を求めて諸国を行脚するように頼み、変事が起こる地に葬るよう遺言したという。
そして、古河での休息後、その地から少しも頼政の首を動かすことができなかったため、それを変事として社を建ててその廟所としたというものである。」
「古河城 水底に沈んだ名城」(古河歴史博物館刊)より

その場所は今よりもずっと南で、後に古河城の一部に取り込まれ、頼政郭と呼ばれた、というワケだ。
それも大正元年に始まった渡良瀬川改修工事で川底に沈むこととなり、現在の場所、元の観音寺郭に移された、ということだな。
その際、頼政郭の発掘調査が行われ、頼政と同時代の壺に人骨が入っていたとのこと。
あながち言い伝えだけではなさそうだ。

前置きが長くなったけど、要は頼政神社は観音寺郭址に建っている、ということだな。

頼政神社への案内。
三国橋の交差点からたどってきた、堤防の下の道を、船渡門址を過ぎてさらに進むと、やがて大きく右にカーブする。
そのうち、道路右手に、上の案内看板がある。
その角を右折して進むと、右手に石段が現れる。

これだ。
昇ると、

第一の鳥居が。

そして第二の鳥居。

そして神社に至るのです。
間、手水とか灯篭とか狛犬とかあるけど、それは次回に譲ります。
神社の左手に、下りの坂道があって、

別の鳥居が。
水神宮の鳥居のようです。
出てきたのは、何と船渡門址そばの土塁の裏。
なんか、スゲー損した感じ。
まぁ、人生は「この道寄り道回り道」だから、ね。

とりあえず、下から神社を見上げてみる。
なるほど郭っぽい。

次は追手門址を目指すんだけど、その前にちょっと寄り道♪
頼政神社~その他~に続く

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