今日は、自分が住んでいる自治会の集まりがあった。私の班が含まれるグループから2人役員を出さなければならないが1人(私)しか決まっていないのでどうしようという話し合いであった。受けてくれそうな人の候補をあげて、会長が当たることにし、今後の方向としては、役員の数を減らそうかというようなことが議論されていた。
行政(西東京市)は、地域のつながりを強めたいと南地区(我が自治会も含まれる)の自治会他の連絡協議会などを作っているが、個々の内実は、こんな感じなのだろう。
戦後、この住宅では、ベビーブームで子どものいる家が多く、学校も一緒だったから、両親なども皆知人同士だったし、戦中の向う三軒両隣的な互助しあう心も自然に湧いていたのだろう。でも、親の世代が亡くなり、新しい家族が入ってきたり、アパートに建て替えられたりして、つながりが無くなっている。
ひばりが丘団地周辺が新しく生まれ変わるのにあたって、そこにコミュニティを再構築しようと、まちにわひばりが丘という組織が出来ている。これは、URやその他のディベロッパーから資金を募って3年間、若い担当者をその地に派遣してコミュニティづくりをするHITOTOWAの仕事の一つだ。
先日、まちにわひばりが丘では、若者が掃除に参加するので有名なグリーンバードと提携し、その支部を作った。グリーンバードは、恰好良いジャケットを着て、原宿表参道のゴミ拾いを始めることからスタートした。当時の主催者も若かったからもあろうが、若い大学生などが朝、商業組合?の事務所に立ち寄り、掃除をするので有名になった。今では、国内(68)だけでなく、世界にも支部(8)が広がっているらしい。
代表の横尾さんによれば、当初ボランティアでいくらゴミを拾っても、次の日には、またゴミが捨てられている。こんなことを繰り返していてもはじまらないと思い、「ゴミを捨てるのは恰好悪い」と思わせるようにしたのだという。恰好良いジャケットもその小道具の一つだ。ゴミを拾う時には、下を見て一生懸命拾うのではなく、楽しそうに、笑顔で会話しながら拾うのだという。悲壮感漂うのではなく、楽しく、恰好良くやることで、ゴミ拾いが素敵な活動のように思えて、参加者が増え、一度参加した人はもちろん、その活動を見た人も、ゴミを捨てると恰好悪いと思うようになったのだという。これって、一種の発想の転換「イノベーション」なんだろう。
今では、いろいろな企業のCSRを得て、常駐の人を雇用できるまでになっているという。
ちなみに、横尾さんが港区の区議になったのは、行政から委託され、ゴミ拾いで収入を得ている人たちに俺たちの仕事を奪うなと言われたことにあるらしい。僕たちは、楽しくて、好きでゴミ拾いをしているのに、なんで叱られるんだろう。行政のお金は、もっと別なことに使って欲しいと思ったことから来ているらしい。
いずれにせよ、自治会費を支払ってもたいした得にならないなら入らない、役員になるのは面倒で嫌だという人が多いなか、どうやったら自治会を恰好良い、素敵なもの⇒入らないと恰好悪いと思ってもらえるように変えることができるのだろうか。
新町の自治会では、道路修復の必要性という危機で団結し、さらに、空家になっていたところを有志で草原・公園にし、そこで桜祭りや夏祭りをやることなどで一体感を得て強い自治会に生まれ変わったという。「危機」も団結のための一つの方法だが、何か違う方法はないものだろうか。
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