まちおもい帖2

日ごろ感じていることを書き記します。

東中野のポレポレで「無知の知」を観てきました

2014-12-24 00:29:34 | 日記
石田朝也監督の原発ドキュメンタリー映画「無知の知」を観てきました。

本当は、その前に上映されるこれも原発関係の「フタバから遠く離れて:第二部」も見ようかと思ったのですが、年賀状も作成しなければならないし・・・などと考えているうちに時間が押してしまい、とりあえず、今日は、「無知の知」だけにしました。

今年は、スマ大でも、映画を観てから皆で話し合う方法もやりたいなぁと思っており、どんな映画が良いか探しているということもありました。

庁舎統合問題から、私は少し、政治づいてしまっているかもしれません。
「地域」、「地域」とやってきて、まだようやく動き出したばかりなのに、その間に自民党政権となり、再び中央集権的にものごとが決められていくこと、地方政治までその流れに流されているような気がしていることから、焦っているのかもしれません。
地域の自主性、自立性がまだ育ちきらないうちに、時代が逆行している・・・・そんな焦りがあるからです。

それでも、「集団的自衛権」や「秘密保護法」に比べれば、「原発再稼働」の問題は、より地域に根差した問題だと思えるので、あるいは、一人ひとりにとってより身近に感じられる問題だと思うので、この問題を取り上げても良いのではないかと感じたからです。

先日のペデストリアンデッキでの西東京市民へのアンケート調査などでも、原発再稼働については、いろいろなご意見があり、また、白だ黒だと決めきれない問題もあると理解しています。
この映画は、私と同じような立場の監督が「自分には分からないので本当のところを教えて下さい」と、被災した方、歴代首相、原発専門家などに体当たりでインタビューしていく形式を取っています。
このスタンスが私と似ているなぁと思い、観に行きました。

マイケルムーアに似た風貌(柳家三平といった方がよいかな)の監督は、人々の心の扉を開かせるのには良いキャラクターのようで、皆さん、本音を語っていると思えました。
もちろん、東電にも、安倍さんにもまだ会えてはいません。
また、被爆した人と一口に言っても、さまざまでした。故郷に戻りたいという気持ちを捨てきれない人、思い切って自分で新しい仕事や友達を見つけて新しい人生を踏み出した人、ソーラー発電などともかくエネルギーの自立を試み始めた人などなど。
おそらく、映画には出て来ていないけれど、友達も仕事も何もかもなくして、毎日やることがなくて寂しい思いで籠っている人もいるはずです。

一番印象的だったのは、仮設住宅に住む方が、何かやっていないと気がめいると、となりの土地を借りて花などを植えはじめたことでした。
そうしたら、それを見た人が「キレイだな」と思ったり、「キレイね」と言ってくれる。自分のすぐ側の人を幸せにすることが大切で、皆がそうすれば、全員が幸せになれる。大きなことに取り組むよりも、それが大切だと思うと言われていたことでした。自分のすぐ近くの大切な人を笑顔にさせられることがとても大切なことは、被災して初めて分かった。というようなことを言われていました。
その女性は、いろいろな取材が入るが、取材する人に意図があって、素直に心を開いて話しても、違うストーリーに組み立てられてしまう。だから取材はお断りと言っていた方が、石田監督には、心を開いてお話してくれていました。

もう一つ印象的だったのは、被爆して昼間しか入れない町なのに、商店街の街頭や町の案内板、公衆電話に夜電気が煌々とついていることでした。どうしてなんだろう?
誰もいない、シーンとした町は、とても悲しい。

これらが映画の導入部で、そのあと、いろいろな人へのインタビューが続きます。

エネルギーを安定供給するために、オイルショックもあり、原発建設に拍車がかかった。自動車事故で毎年7000人くらいの人が亡くなっている、事故によって、データを得て技術は進歩してきたのだ。原発も事故があって初めてデータが得られ、改善されていくのだというご意見もありました。

最初のインタビューで、友達も失い仕事も失って笑顔を無くしていた男性が、最後には、故郷をふっきって立派な家を建て、仕事を得て、新しい友達とも遊べるようになって笑顔でインタビューに応えていました。
その人は、最初、悲しくてボー然とし、次に故郷を失ったことが悔しくて憤りを感じて、だんだん諦めて怒りもなくなってきたと言われていました。
人は三年も経つと、生きるために、傷を見ないようにして、新しい生活を踏み出す。おそらく、傷は癒えていないし、笑顔の裏側はひきつっているのだろうけれど、国や電力会社に故郷に戻れるようにしてもらうことを諦め、自分で生きる方策を探したのだろうと思います。

テレビの二時間ドラマが気楽なのは、犯人とか悪い人とかがちゃんと居て、誰かがそれを裁いたり問題を解決したりしてくれるのですが、この映画では、結局、誰が悪人なのか誰が責任を取る人なのか、分からない。
被災者も、傷はありながらも、生きるために、笑ってくらせる第二の方策を選択して暮らしているのです。毎日毎日悲しみに暮れていては生きていけないのです。映画では、死んだり、嘆いたり、病気になったりしている絵に描いたような被災者は出てこない。
だから、観ていてすっきりしないのです。

最後に監督と対話する時間があったのですが、監督も「僕の頭のなかも今ぐちゃぐちゃなのです。それをそのままお見せしているのです。たくさんの人から何度もインタビューを断られ、無視され、今の段階でお見せできるのがこれです。原発は、再稼働しない方が良いと自分では思っているけれど、稼働せざるをえないという人もいるのです。・・・自分では、第二、第三とおいかけていきたいと思っているので、応援して下さい。」と言われていました。

「国のリーダーがその気になれば脱原発はできるはずだ」そういって、立ち上がった、細川・小泉コンビは、都議選で敗れました。
今回の衆院選では、原発は争点にもなりませんでした。
これで本当に良いのでしょうか。

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