本日、いわき駅から常磐線に乗って竜田駅まで行き、その後、JRの代行バスに乗って、国道6号線で原ノ町まで行ってきました。原ノ町からは、東北アクセスという高速バスで仙台へ。
震災から5年も経って今何故行くのかと言われるかもしれません。
自分は、足が悪いし、喘息持ちだし、車も運転できない・・というのもあり(単なる言い訳)、すぐに行って自分に何ができるか分からず、行けませんでした。
昨年の「まち探」で双葉町から西東京市に移られている方のお話を聞く機会があり、それにあたって、いろいろな本や資料も拝見しました。
その時に驚いたのは、除染した泥などを黒い土嚢(フレキシブルコンテナ)に入れたものがびっしりと置かれている風景だった。今探しても見つからないのだが、外国のメディアが空から写した映像だった(You tube)。毎日新聞の記事にもあった。
物理的な地震や津波の被害とは異なる放射線被害は、一体どのようにしてもとに戻すことができるのだろうかと思う。ニュースなどで、汚染された土壌を除染していると聞いてはいたが、その除染された土壌が黒い土嚢(フレキシブルコンテナ)に入れられて、被災された土地にまた置かれている。
きれいな水と緑豊かな故郷が放射能で汚染され、戻りたくとも戻れない。それでなくても悲しいはずなのに、それに追い打ちをかけるような風景だ。
では、汚染廃棄物を福島に代わって(わが町が)受け入れるとは、言えない。どうしたらよいのかは、分からない。でも、その状況を確かめたくなって、現場を見て、自分が何を感じるかと思って今になって、現地に足を運ばずにはいられなかったのだ。
残念なことに雨が降っていたし、バスでの移動なので、どこまで見れるかわからなかったが、ともかく、行けるところまで行ってみようと思った。
竜田駅は、楢葉町で、ここはようやく帰還できるようになり、明りのついている家もあるが、無人の家もまだありそうだった。
しかし、帰還困難区域では、5年も経っているので、人が住まない家や道路沿いの店は、荒れ放題になっている。
見えないかと思っていたが、数か所、たくさんの黒い土嚢(フレキシブルコンテナ)を見ることができた。
また、菜の花畑になっているところもあった。先日、NHKのテレビで、菜の花は、セシウムを吸収し、そこから絞った油には、放射能物質が無いという学者さんがいて、それに賛同した農家の方が菜の花畑にしているという内容が報道されていた。その場所がここはどうかはわからないが、たぶんそうした意図から菜の花を植えているのではないかと思った。こういう方法で、除染が進むのが一番良い。
代行バスの終点の原ノ町は、南相馬市に当たるらしい。ここでは、復興のため、道路や家などが建設中のようだった。駅前には立派な図書館もできていた。
ところで、土嚢(フレキシブルコンテナ)について、福島県のHPから「除染情報プラザ」に飛んで、みると「フレキシブルコンテナや大型土のうは、除染で発生した除去土壌などを入れて保管する容器で、容器自体には放射線をさえぎる機能がありません。保管する際は、放射性物質で汚染されていない山砂などを入れた遮へい用の土のうを上から覆うなどして放射線をさえぎります」と書かれている。でも、見る限りでは、土嚢(フレキシブルコンテナ)のまま放置されているように見える。
なお、フレキシブルコンテナで検索すると、日本フレキシブルコンテナ協会というのがあるらしい。
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