気仙沼の防潮堤を見てきた話を先日書きました。
その折、たまたま乗車したタクシーの運転手さん小野寺晟一郎さんは、自らを「震災語り部」と名刺に書いておられ、タクシーの名札にもそう書かれている。
私が防潮堤に疑問を投げかけたこともあって、防潮堤について疑問を呈している新聞記事(『三陸新報』)や投稿記事のコピーや、後でよく見たら300円という値段が書かれていた「市民が撮った震災の町気仙沼-大津波の爪痕」という冊子も下さいました。小野寺さんも、幾度か投稿されていました。
その記事の中で、「亘理グリーンベルトプロジェクト」のことを知りました。
宮城県のなかは、皆同じように防潮堤を作るのかと思っていました(頂戴した記事に、知事が強行しているようなことが書かれていたからです)。
ところが、亘理町は、同じ宮城県なのですが、『災害復興基本方針』の副題に「亘理らしさを守り・生かした町民が主役の復興まちづくり」とあるように、住民と話し合いをし、亘理町らしい復興計画にしたようなのです。
それが、防潮堤ではなく、防災林を作ることになったようです。
もともとあった防災林150mよりも幅を広く取り400mに、土も盛って根が張りやすいようにし、災害に強いと言われていたクロマツだけでなく、広葉樹林も混ぜるとのこと。
2012年に、WSで作ったプランを町長に提出したそうです。
「みんなでこせっぺ!おらほの森」と題して、全国からボランティアを集めての植樹祭も行われています。
どういうきっかけで、誰がリーダーシップを取ったのかHPからだけでは分からないのですが、老若男女が参加してプランを作り、町長に提出したというのは、とってもうらやましいです。
ネット検索をしていたら、海士町の株式会社巡の環で、地元出身の松島宏佑さんが、継続的に復興支援を行うため(株)巡の環東北支部を作られたとあり、このプロジェクトでも主体的な役割を果たしたようです。
気仙沼の小野寺恵喜さんは、「海と生きる気仙沼市は、コンクリートの要塞の中では誰も暮らせない」・・「亘理のグリーンベルトプロジェクトや南相馬のがれきの山に3万本の木を植えるなどをまねたいと多くの市民は願っている」と『三陸新報』の投稿で(2013年10月31日)で書かれている。
亘理と気仙沼では、何がどう違って、このようになってしまったのだろう!
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