まちおもい帖2

日ごろ感じていることを書き記します。

ミニ・ミュンヘンと日本の教育

2014-12-06 19:07:50 | 日記
12月4日(木)法政大学大学院でミュンヘン市の子どもの参画についての事例を取り上げた。
ミュンヘン市がやっている7歳~15歳までの子どもが参加する「ミニ・ミュンヘン」と18歳までの子どもと青少年が参加する「子ども・青少年フォーラム」の2つを事例としてまず、話をした。
これらの情報は、日本の「ミニ・ミュンヘン研究会」が提供しており、私は、この夏、練馬で行われた早稲田大学の卯月先生のお話と、ミュンヘン市の「子どもの参画専門員」であるヤーナ・フレードリッヒさんのお話を聞き、その受け売りである(自分で調査をした訳ではない)。

ミュンヘン市では、以前から「子どもと家族にやさしい」市を目指している。卯月先生によると、グローバル経済のなか都市間競争が激化しており、「子どもと家族にやさしい」町になることは、優秀な人材を集め、敷いては、世界規模の企業を誘致するのに効果があると考えているとのことだ。

私は、1990年に発効したユニセフの「子ども権利条例」の中身を良く知らなかったのだが、4つの権利について示されているとのこと。①生きる権利、②育つ権利、③守られる権利、④参加する権利の4つだ。
①~③については、漠然と理解しており、日本では、当然のことだぐらいに思っていた。最近新聞をにぎわす、子供の虐待や、育児放棄などがせいぜい問題になる程度だと思っていた。
ところが、ミュンヘンでは、この④について、非常に力を入れている。つまり、子どもたちは、自分に関係のあることに、意見を述べたり、それに関連する情報を適切に集める権利を持っているというのだ。
日本では、この辺りについて、ほとんど意識していないのではないだろうか(私だけかもしれないが)。

ミニ・ミュンヘンは、各年で実施されている。夏休みの3週間、月~金、10時~17時に、オリンピック公園で実施される子ども達が運営するまちである。市民権を得るために数時間学ぶが、そのあとは、子ども達がいろいろと考えて遊びながら、社会の仕組みを学ぶ場所だ。毎週、市長選が行われたり、毎日新聞も発行される。悪いことをすると裁判にもかけられる。いろいろな仕事があって、働くとミミュというお金を得られ、それを銀行で溜めたり、ゲームを楽しんだり、お菓子を食べることができる。お金を溜めて事業を始めることも可能だ。NPOの大人たちが見守るが、基本的なことは子ども達が考え、作り出し、決めていく。

子ども・青少年フォーラム(子ども議会)は、ミュンヘン市で年2回実施されており、選挙権を得る18歳までの子どもが自分達の身の回りの問題を考え、動議を提出、可決されると(50%以上の賛成を得る)と、道路とか公園とか福祉などの市の担当局や議員などが動議を出した子どもと契約を交わし、1年の間にどこまで進捗したかを報告する義務がある。ミュンヘン市でやるフォーラムの他に、25ある地区でのフォーラムもあり、同じようなことがなされている。

ミュンヘン市のフォーラムでは、動議が10くらいの提案があり、8割くらいが可決される。「学校の水道水がまずい」、「公園にスケボーランを作って欲しい」といった小さなものから「電気自動車を増やすべき」といった大きなテーマもある。可決された動議のうち、全部解決されるとは限らないし、時間がかかるものもあるが、進捗の報告がなされ、また、解決される体験も得られる。

動議を作るにあたっては、NPO(ミニ・ミュンヘンを実施しているNPO)が、各地区の学校に出向いて、問題はないか、それを動議にするかどうかを決める手伝いをしている。

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このように、「自分たちのまちは自分たちで良くしていく」ということを子ども達は、遊びやフォーラムを通して体験的に学んでいく。
日本では、20歳になれば選挙権が得られるものの、こういう訓練をしていないので、政治と自分たちの生活がつながっていない。
行政や政府にただ、「反対!」のデモ行進をする程度が意思表示と思われている。
選挙で自分の代理に議員を選ぶことが大事とは頭では理解しているけれども、それが具体的にどのような効果があるのかが見えてこない。
何か問題があったり、自分への利益誘導で議員にお金を使うということがまま起こるが、これでは本当の民主主義ではない。

子どもの頃から、ある問題について、いろいな意見があるなかで対話をしたり、対案を出して解決策を探るというような体験がなされていない。
自分の動議が具体的に実現された経験を持てば、政治・行政と自分たちの間がより近づいてくるはずだ。
こういう民主主義の基本的なことがなされずに、ただ選挙をしろ、投票したのだから、その代議士たちが何かヘンなことをやらかしても、投票した人のせいだと言われたって困ってしまう。

授業では、上記のような気持ちから、子ども達が自主的に問題解決を図ったり、創造性を発揮する、それを身近な社会に適用するのは、羨ましいと思う。日本で、こうしたことをやるには、どうしたらよいかということを話し合ってもらった。
その話の内容は、次回、整理するが、その折、受講生から次のような意見が出て、とても面白く感じた。

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それは、「日本人は、子どもの頃から、学校で掃除をしたり、給食当番をする。これは、外国人からみると「驚き」に感じるようだ。
しかし、こうしたことが小さいころから身についているので、日本のまちは、相対的にかなりきれいだし、工場の現場もきれいで、電車も時間通り運行される。
先生(私)が言われるように、日本では、民主主義の訓練はしてこないが、一方で、それと同じように、外国では、掃除とか、清潔とかを学んでいないのではないか。」という感想だった。

「ではの上」(「外国では」と外国ばかり褒める)には、ならないようにと自戒していたが、こういわれて、なるほどと感じた。

最近では、企業や学校も、掃除を専門業者に頼むことが増えているようだが、少し前までは、自分たちが暮らす場所は、まず、掃除からというのが当たり前だった。
新人社員は、朝少し早くに来て、全員の机を雑巾で拭き、上司の吸い殻入れをきれいにし、鉛筆を削ったものだった。
今でも、海外から日本に来たインターンは、時間外に掃除や草むしりをさせられるのを問題視すると聞いたことがある。

昔は、海外の工場では、掃除をする人の仕事を取ってはいけないと、工場の人は掃除をしないし、機械の修理は修理担当者が来るまで放っておいたという話だ。
日本の自動車産業が海外進出して、こうしたことは変わったと聞いてはいるけれど・・・。

上記のような指摘を受けて、子どもの頃からの教育の大切さを強く感じた。

先日、自治体長さんの意見交換会の折にも、海士町の町長さんが「昔は、こんな田舎でくすぶるのではなく、東京へ行って、良い大学に入れと自分たちの地域から若者を追い出してきた。こういう考え方を変えないと若者は田舎に帰ってこない」と言われていたのを思い出した。海士町では、子ども達に、地域の課題を考えさせ、解決策を出させたり、地域に誇りを持たせるような授業をしている。仕事がないから地元に帰らないいのではなく、仕事を作りに地元に変える子どもを増やそうとしている。Iターンの若者たちが、お金ではない、別の自己実現を求めて海士町にやってきている。

日本の教育の良いところも認識するのは、当然だが、不足しているところを補い、間違ったことを正すことも、未来の社会を考えるうえで、不可欠なことだと再認識した。

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