岩手県紫波町のオガール・プロジェクトが注目をされている。
人口減少、財政難のなか、どの自治体も公共施設が老朽化に見舞われ、公共施設を官民連携で建設・運営しているオガール・プロジェクトが脚光を浴びているのだ。
松戸市でも同様の課題を抱えるなか、先進事例に学ぼうと、オガール・プロジェクトの立役者である、行政側の鎌田公民連携室長と民間側のオガールベース株式会社代表取締役の岡崎さんのお話を聴く会が開催された。私は松戸市民ではないのだが、以前からこのプロジェクトに関心を持っていたので、これぞ幸いと聞きに出かけた。(ちなみに、松戸以外も含め、自治体関係者が約半分聞きに来られていた)。
今は、ネットでいろいろな情報を得られるものの、やはり、実際にご苦労されている方々のお話は迫力があり、また知らなかったことも多々あって、非常に勉強になった。
ネットでの情報でまとまっているものには、次のようなものがある。
(1)岡崎さんへのインタビュー
(2)オガールを視察した記事
(3)オガールのHP
(4)オガールタウンのHP
1.前史があった
その一つは、オガール・プロジェクトには、前史があったことだ。紫波町は、昭和の合併で1町8村が昭和30年に合併し、その中心であった日詰町の中心部に国鉄の駅(紫波中央駅)を誘致した。駅は、平成10年に設立された。駅の誘致は、地元負担だが、公的資金では制約があるため、町民から寄付を募り、必要な額にほぼ近い2億7000万円を得て作られた。
紫波中央駅前にある町有地は、平成10年に(財)岩手県住宅供給公社から役場庁舎を含む公共施設の整備を目的として取得した。駅周辺には、ニュータウンが作られ、駅前には、役場やさまざまな施設を建設する青写真が作られていたという。
しかしながら、ニュータウンの分譲は、順調に進んだものの、それ以外の公共事業は、資金的な問題から、手をつけることができずにいた。このため、駅前の広大な敷地は、単なる雪捨て場になり、夏は草ぼうぼうだったという。ニュータウンに入居した人たちからは不満が高まっていた。
2.紫波町の位置
紫波町は、岩手県の田舎町という印象が強かったのだが、盛岡から車で30分、列車で20分くらいの距離であり、盛岡と花巻のちょうど中間に位置するという。このため、盛岡のベッドタウンとして発展する可能性のある地域だった。
3.前町長のやる気
このような前史と立地条件を持つ紫波町は、資金的な困難から、駅が開業してから10年間、公共事業に着手できなかったのだが、その後、平成21年(2009年)に、、「公民連携基本計画」を策定し、民間との連携により事業を進めることに舵を切った。「計画」には、「“町民の資産”である町有地を活用して、財政負担を最小限に抑えながら、 公共施設整備と民間施設等立地による経済開発の複合開発を行うことを 目的に基本計画を取りまとめました。 本事業の実施にあたっては、 公民連携で事業を進めます」と明文化されている。
おそらく、この基本計画が策定される前から、さまざまな勉強をし、準備を進めてきたと思われる。国交省などで働き、その後2002年に親の稼業を継ぐために紫波町に戻っていた岡崎さんに白羽の矢が立った。岡崎さんは、2006年に、東洋大学大学院経済学研究科公民連携専攻に入学している。鎌田さんは、2007年に同じ東洋大学への教育派遣を命じられている。東洋大学には、オガール・プロジェクトのプロデューサーでもある清水義次氏が客員教授をしていた。2007年には、紫波町は、東洋大学と包括提携をしている。
岡崎さんによれば、行政と仕事をするうえでは、2つの大きなリスクがある。その一つは、縦割り行政と行政マンの異動である。もし、公民連携をするなら、「公民連携室」を作り、窓口を一本にし、かつその窓口の人が定年まで異動しないこと。もう一つのリスクは、町長が変わると、施策がガラリと変わることがままある(政治的リスク)ことだ。この体制を整えてくれなければ、公民連携はやらないと言ったという。町長は、それを受けて、公民連携室を作り、鎌田さんは、「異動は考えるだけ無駄だ」といわれたという。また、公民連携でやることを議会に掛けて通した。
岡崎さんが、この町長を信じることが出来たのは、「壊れたテープレコーダー」のようだったことだという。議会でも、婦人会への説明でも、全く同じことを話していた。信じたらやり抜く以外ない。単なるトップダウンでも、ボトムアップでもなく、公民が一緒に事業をやり抜くことが出来た。
4.PPPエージェント
岡崎さんは、自身のことを「PPPエージェント」と呼んでいる。町から委託を受け、町に代わってPPPを推進するのが仕事だ。投資したい民間企業を見つけ、民の稼ぎが最大化するように制度を再構築する。オガール広場では、バーベキューなども行われているが、何にでも使える広場にするのは、大変。行政は、「規制」が得意で、あれもやってはいけない、これもやってはいけないとなる。一方、行政は、「誘導」もできるはず。なんでもやっても良いようにすれば、いろいろなことがやれる。オガール祭りでは、沢山の人が来てビールを飲んでくれた。凄く儲かる。
岡崎さんは、国交省に居る頃、中心市街地活性化などをやってきた。ところが、やればやるほどシャブ漬けのようになって、結果、地価が下がってしまう。人口が増加し、黙っていても地価が上がる時代ではないなか、消費ではなく、図書館や病院、行政などの普遍的な需要をコアとし、そこに集まる人向けにビジネスが成り立つようにと考えた。
38歳でオガールで居酒屋を始めたオーナーは、非常に儲かり、外車を購入し、城のような家を建てた。これは、他の若い人への起業を呼ぶきっかけになる。こうしたテナントが利益を上げることで、図書館のようなお金が掛る施設を運営していく。テナントが入りやすいよう、建設費を抑え、相対的に安いテナント料を可能にしている。東京の大手ゼネコンに頼むのではなく、デザインは、カッコウ良いものにするが、建設は、地元の建設業者に発注する。
彼は、東京の業者に図書館運営を委託している佐賀県〇〇市を例に、土地の人の税金を東京に流していることになると批判的だ。
5.オガールは新地、旧市街地は?
オガールの話を聞いた折、ここが市の中心部かと思っていた。それくらい、何もない田舎なのかと。ところが、そうではなく、旧市街地は、駅をはさんで反対側にあるらしい。鎌田さんは、「公民連携」について、各地域の住民の意見を4回ずつ、100回ほど回ったという。それまで、商工関係の部署に居て、既存の商店街の担当であったこともあり、「裏切り者」呼ばわりされたこともあったという。それまでは、声の大きい有力者の意見を聞いてしまう傾向にあったが、100回も回るうちに、サイレントマジョリティの意見をきくことができるようになった。
今では、オガールの成功により、旧市街地の方でも、新しい取り組みが始まっているという。この辺りは、これから注目したいところだ。
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ともかく、これまでにないことをやるだけでも大変だ。行政が、エージェントにゆだねる覚悟を持つ。民間も、行政には頼らない覚悟を持つ。岡崎さんは、借金を負って運営している。いわゆる第三セクターのように、最後、行政に尻拭いをしてもらおうとは思っていない。視察する人は多いだろうが、真似できるところは、少ないだろう。でも、少ないだろうなんてうそぶいていてはダメだ。これが当たり前になっていかないと、日本はつぶれてしまう。
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