海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

レフ・メイの原書を入手

2021年12月01日 | R=コルサコフ
珍しいロシア語の書籍を購入しました。

ロシアの作家、レフ・メイ(1822-1862)とアポロン・マイコフ(1821-1897)の作品を収録したものです。
ロシア語をろくに読めないのになぜこのような本を手に入れたかというと、両者ともその著作がリムスキー=コルサコフの作品の題材となっているからなのです。

特にメイは、リムスキー=コルサコフのオペラ《プスコフの娘》《皇帝の花嫁》《セルヴィリア》の原作者であり、今回の本にはその3作すべてが掲載されていることから、リムスキー=コルサコフ関連のコレクション(?)として、是非とも入手しておきたいと考えてのことでした。

メイは日本ではほとんどなじみはありませんが、これはロシア本国でもそうらしく、自身の作品よりもむしろリムスキー=コルサコフのオペラの原作者として知られているようです(リムスキーもメイもどちらも二流で…みたいな悪口をどこかで見たことがあります)。



さて、ページをぱらぱらとめくってみると、わからないなりにも面白い発見があります。
たとえば《皇帝の花嫁》。リムスキー=コルサコフのオペラでは最高傑作とも言われるこの作品ですが、原作ではオペラに登場していない人物がいるのですね。主人公の親衛隊員グリゴリー・グリャズノイの兄弟らしき人物がいたことにはびっくりです。

そして、オペラ第1幕の冒頭で歌われるグリャズノイのアリア。出だしのレチタチーヴォの「あの美女が忘れられない!」、単純ですが印象的なこの台詞で原作も始まるのかと思いきやどこにも見当たらず。
そもそも原作はグリゴリーの独白で始まるのではないのですね。
その後の宴会シーンではなじみのあるオペラの合唱の歌詞が出てきたりしましたが、全体的に構成などオペラとは少々違っているような感じです。

ということは、オペラ《皇帝の花嫁》の特徴でもあるドラマチックな進行は、台本作家イリヤ・チュメネフに負うところが大きく、《皇帝の花嫁》の成功の幾ばくかは、彼の功績ということになるのでしょう。

私は、オペラの台本作家の仕事は、原作を適当に間引いてまとめるだけだと誤解していましたが、こうやって原作とオペラの詞章を見比べてみると、そんな単純なものではなさそうだということが今更ながらわかりました。

不成功に終わったオペラの原因としてよく挙げられる「台本が弱い」というのも、台本の重要性があるからこそであって、台本作家はオペラの成否を握る重要な役割を担っているということなのですね。

盗賊の歌《昇れ赤い太陽》(その3)

2021年11月28日 | R=コルサコフ
《昇れ赤い太陽》はリムスキー=コルサコフのお気に入りの題材だったと見えて、彼の作品リストにおいては実に3回も登場しているのです。

1回目:40の民謡集(1875)第13曲
2回目:ロシア民謡に基づく15の合唱曲集、作品19(1879)第2部第5曲
3回目:(今回ご紹介したもの)


3回目はユルゲンソン社から出版された合唱愛好者のための曲集に収録されたようですが、詳細は不明。

さて、ここからは妄想ですが、リムスキー=コルサコフは4回目の《昇れ赤い太陽》の活用も考えていたのではないか、私にはそんな気がします。
というのは、彼の未完のオペラに《ステンカ・ラージン》(1906)があるのです。
この作品に、ステンカ・ラージンに関連した《昇れ赤い太陽》を使おうとしていたとしても少しも不思議ではありませんね。

井上和男氏によれば「新しいオペラの構想としては以前から考えていたバイロンの『天と地』とか、《ドゥビヌーシュカ》を用いた《ステンカ・ラージン》をとりあげてみたが、これらには手をつけていないらしい」とあり、《昇れ赤い太陽》には言及されていません(《ドゥビヌーシュカ》を用いた??)。

彼が《ステンカ・ラージン》に手を付けた1906年は、まさにロシア革命が起きた翌年のこと。
音楽院での騒動に巻き込まれて、反体制派の首領のような立場に祭り上げられたリムスキー=コルサコフですが、彼自身は自分の立場を馬鹿らしいと考えていたようです。
彼らしい、幾分冷めた視点で革命当時を振り返っていますが、一時的にせよ「反乱軍の首領」となった彼にはステンカ・ラージンと共感することもあったのではないでしょうか。

盗賊の歌《昇れ赤い太陽》(その2)

2021年11月28日 | R=コルサコフ
盗賊の歌《昇れ赤い太陽》は民謡の編曲ということで、いつものごとく元ネタ探しをしてみました。
題名で検索してみると結構たくさん出てくるのですが、例によって、民謡にありがちな「同じ題名だけど曲が違う問題」がこの曲でも発生。

《昇れ赤い太陽》は有名な民謡で、かのシャリャーピンの愛唱歌にもなっていたようですが、リムスキー=コルサコフの編曲したものとは明らかに違う。
なかなかたどり着けませんでしたが、ロシア語で検索してみてようやく発見しました。

Государственный Академический Сибирский русский народный хор Ты взойди, солнце красное(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=tgqCwNIJmgk
(曲が始まるのは1:05あたりから)

歌詞は手元の楽譜とは異なる部分もありますが、メロディーはリムスキー=コルサコフの編曲したものと同じ。
改めて人の声で聴いてみると、私たちのイメージするロシア民謡とは違って、温かみのある、南の国の歌という感じです。

《昇れ赤い太陽》はステンカ・ラージンを唄った民謡のようなので、彼の活躍した(暴れた?)カスピ海沿岸の雰囲気を漂わせているのでしょうか。

盗賊の歌《昇れ赤い太陽》(その1)

2021年11月28日 | R=コルサコフ
私がリムスキー=コルサコフに関心を持ちはじめて間もない頃、三省堂『クラシック音楽作品辞典』に掲載された彼の作品リストを眺めて、未聴の音楽がどのようなものかを思い巡らすのが密かな楽しみでしたが、その中の一つに「盗賊の歌《昇れ赤い太陽》」という男声含唱の作品がありました。

この合唱曲は現在でも録音がありませんが、その当時は、手がかりとしてはこの辞典に記載されたわずかな文字情報しかなく、しかし「盗賊の歌」などという魅力的な題名から、私は子供の頃によく聞いたNHK「みんなのうた」の《山賊の歌》か、あるいは「宇宙海賊キャプテンハーロック」のシブい男声合唱《さすらいの舟歌》のような曲ではないかと勝手に想像していたものです。

先日、この「盗賊の歌《昇れ赤い太陽》」の楽譜をようやく入手することができました。
はやる気持ちを抑えて、早速さわりの部分をMIDIに入力してみると(音色はひとまずピアノに設定)、間こえてきたのは自分のイメージとは全然違う、まるで「あさのバロック音楽」のような雰囲気の曲でした...。

それはそうと、とりあえず入力作業を完了。自分のMIDI音源ではコーラスの音色がしょぼいので、フルート、クラリネット、ファゴットの三重奏風に設定してみました。
曲はほぼ全く同じ内容で3回繰り返されます。

Song of the Highwaymen "RISE, RISE, YOU BEAUTIFUL SUN..."
盗賊の歌《昇れ赤い太陽》

  Arrangement for Flute, Clarinet and Fagot (MP3)
  ♪フルート、クラリネット、ファゴットでの演奏 MP3ファイル

この曲をはじめにピアノの音で聞いたせいもあるでしょうが、ふと気がついたのは、この作品(1884年)には、リムスキー=コルサコフが1870年代後半にバッハなどの作品研究を通じて対位法のマスターに躍起になっていた頃の作曲技法の後遺症が、もろに残ってしまっているのでは無いか、ということです。
正直なところ、この《昇れ赤い太陽》でも内声部や低音部が凝りすぎというか器楽向きというか、少なくとも含唱作品としてはあまり調和がとれていないように感じました。

リムスキー=コルサコフは当初「五人組」の若き作曲家として活躍していましたが、自分の知識の不足を恥じた彼は、ペテルブルク音楽院の教授に就任してから(!)音楽理論の習得に努める一方で、ほぼ同時期にロシア民謡の収集・編曲を行い、さらに民謡などを元にした合唱曲集を相次いで世に出しました。
しかし、彼自身はこの時期の合唱曲について、例によって厳しい自己批判をしており、「私が完全に夢中になっていた対位法を優先しすぎたがために、合唱曲の多くは重々しく、演奏するのがするのが困難で、無味乾燥なものもある」と記していて、欠陥があることを認識していたようです。

ともあれ、アカデミックな書法が、民謡の世界にも明瞭に痕跡を残していたことがわかったのは面白い発見でした。


ニ長調は黄金色?

2021年07月11日 | R=コルサコフ
リムスキー=コルサコフが「色聴」という共感覚の持ち主だったことはよく知られており、この手の話には彼のことがよく引き合いに出されています。

最近、色聴について脳科学的な視点から切り込んだ『ドレミファソラシは虹の色?~知られざる「共感覚」の世界』(伊藤浩介著・光文社新書)という新書が刊行されましたが、その驚くべき内容は本書をご覧いただくとして、こちらの本にもやはりリムスキー=コルサコフが登場。

その一つに、これも音楽関係の書籍でしばしば言及される、パリの街角でのスクリャービンとラフマニノフとの間で交わされた色聴に関する議論のエピソードがあったのですが、この話には自分の知らなかった「オチ」があったようです。

このエピソードとは、リムスキー=コルサコフとスクリャービン(両者とも共感覚所有)とが調性と色彩の関係をめぐり大論争になったのを、それに懐疑的なラフマニノフが仲裁したというもの。

チャイコフスキー亡き後のロシアの楽壇を代表する老大家リムスキー=コルサコフと、半きちがい(リムスキー評)のスクリャービン、モスクワの秀才(同)ラフマニノフの老若3人がパリのカフェでマニアックな議論で盛り上がっている光景を想像すると、なんだか可笑しくなりますが、「オチ」というのは、実は仲裁に入ったはずのラフマニノフがリムスキー=コルサコフから反撃を食らって、それには反論できずにいたらしいことなのです。

「ほら!」突然大きな声をあげて、リムスキー=コルサコフ先生が私に向き直った。「君の作品自体が、その証拠じゃないか。『けちな騎士』で、男爵が箱を開けると、金や宝石がたいまつの明かりできらきらと輝く場面があるだろ?」
 たしかに私は、その自作オペラのパッセージがニ長調であることを認めざるを得なかった。(同書p74)


色聴に否定的なラフマニノフが、他ならぬ自分の作品で調性と色彩を(無意識に)結び付けて使っているじゃないか、と言われてしまったのですね。ドヤ顔の二人を前にラフマニノフはどのような表情をしていたのでしょうか。

ちなみにリムスキー=コルサコフ本人が「黄金色」を連想させる場面でどんな調を使っていたのか調べてみると、歌劇《サトコ》第4景で「金の魚」が網にかかった場面では確かにニ長調。ほかにもあるのかもしれませんが、ほかに「黄金色」の場面が思いつかなかったので、継続調査にしておきます。



ロシアの作曲家の合作による作品集

2020年04月19日 | R=コルサコフ
リムスキー=コルサコフの作品リストを眺めていると、他の作曲家たちとのコラボ作品が多いことに気付きます。
「B-la-Fの主題による弦楽四重奏曲」や「金曜日」といった弦楽四重奏曲を通じて、リムスキーのパトロンだったベリャーエフのサークル仲間で作られたものが多いことをご存知の方もいるでしょう。

これらの作品は管弦楽曲や弦楽四重奏曲、ピアノ曲に至るまで様々ですが、今回それらを一覧表にしてみました。
いずれもCDでリリースされたことがあり、YouTubeなどで聴くことができるものもあります。
表にはありませんが、未完に終わった歌劇《ムラダ》(ボロディン、キュイ、ムソルグスキー、ミンクスとの合作。のちにリムスキーが単独で完成)というのもありましたね。

  Collaborations of Russian Composers
  ロシアの作曲家の合作による作品集(一覧表) PDFファイル

この表は、作品は(おおむね)左から古い順に、作曲者は上から年長順にまとめております。
(作曲年代や日本語タイトルとしては怪しいものもありますがご容赦を)

改めて一覧表にして整理してみると、いろいろと発見・再確認ができます。
小品集では、ピアノ3手の《変化のない主題によるパラフレーズ》と、弦楽四重奏の《金曜日》が双璧になりますが、前者が「五人組」の名残をとどめた作曲家たちであるのに対し、後者はまぎれもなく「ベリャーエフ・グループ」のメンバーになっていること。
表でも作曲者の生年順では上と下とに見事に別れました。
常連のグラズノフは前者に参加していませんが、こうやって表で並べてみると、彼は「ベリャーエフ・グループ」の中でもわりと若い世代になることがわかります。

それぞれの作曲家の参加具合ですが、「ベリャーエフ・グループ」の中心的存在だったリムスキー=コルサコフ、グラズノフ、リャードフは別格として、意外と頑張っているのが、ソコロフとヴィートリス。
両者とも同じ5つの作品に参加しています。
ソコロフはしばしば名前を目にする作曲家ですが、ヴィートリスはロシアっぽくない名前のせいか(?)、あまり印象に残らない人物ですね。
アルツィブーシェフもあまり聞かない名前ですが、堂々4作品に登場。

反対に、これらの作品に1回しか顔を出していない作曲家もかなり多いことがわかります。
意外中の意外ですが、スクリャービンもその一人。
なんとなく「わが道を行く」タイプとの印象がありましたが、一時的にせよ「ベリャーエフ・グループ」との関連があったのですね。

さて、これらの合作の中に「ロシアの主題による変奏曲」という名称のものが3つありますが、それぞれに用いられている主題は異なり、演奏も管弦楽、弦楽四重奏、ピアノと別々のものです。
私は異なる楽器編成で「ロシアの主題による変奏曲」を3作品つくったところに、「律儀だなあ」などと感心してしまうのです。
これらの中で、管弦楽版の「ロシアの主題による変奏曲」は第4変奏をリムスキーが担当していますが、短いながらも彼のオーケストレーションの神髄が発揮された佳品で、私の大好きな曲です。
この作品については、機会を改めてまた触れたいと思います。



マリインスキー劇場《リムスキー=コルサコフ生誕175年記念公演》

2019年02月01日 | R=コルサコフ
マリインスキー劇場が、この3月から4月にかけてリムスキー=コルサコフ生誕175年の記念公演を行うようです。
https://www.mariinsky.ru/en/news1/2019/1/25_2

175周年とかやや半端な区切りだし、どうせ大したことは...などどと思いつつ記事を読むと「オペラを全部上演する」。
全部?15作全部?
またまたご冗談を...と別ページを見たら...

《セルヴィリア》とか(!)、《パン・ヴォエヴォーダ》とか(!?!)
本当に彼の15作品あるオペラを全部上演するようです。
コンサート形式のもありますが、それでも15作品をぶっ続けで全部上演するのは、おそらく史上初、まさに空前絶後となるでしょう。
https://www.mariinsky.ru/en/playbill/festivals/fest2018_2019/rk_fest

もうびっくり仰天です。
生誕150年(1994年)の時は、マリインスキー劇場ではいくつかのオペラが再演されるなど、そこそこ盛り上がっていましたが、没後100年(2008年)の時はほとんど何もされなかったと記憶しています。
そのリカバーの意味合いもあるのか、今回は相当な気合の入れようです。
まあ、諸事情があってのことなのでしょうが、今回上演される珍しい作品は、何らかの方法でぜひ配信してもらいたいものです。



リムスキー=コルサコフの合唱曲集

2018年06月18日 | R=コルサコフ
今さらですが、CD時代の円熟化によって、クラシック界でも無名だった作曲家の作品や、著名でも知られざる作品に光が当たるようになりました。
リムスキー=コルサコフはと言えば、まだ全作品とまではいかないものの、ほとんどの曲がCDで聴けるようになっています。
(とはいえ、リリースされた時期に購入を逃すと、そのまま聴けずじまいになってしまうこともありますが)
意外に思われるでしょうが、マイナーレーベルながら、過去にはリムスキーの「ピアノ曲全集」「宗教曲全集」といったものまで(!)発売されていたのですよ。

そんな中で唯一リムスキーの作品で暗黒大陸だったのが合唱曲。
合唱曲としてまとまった形では、これまで(少なくとも私の知る限り)録音された様子はなく、ロシアの合唱曲集といった体裁の作品集の中で、彼の作品が1~2曲取り上げられる程度だったように思います。
有名な作品としては、晩年の大作《見えざる町キーテジ》でも取り入れられた《タタールの捕虜》(2つの合唱曲作品18の2)。
その他の作品は、ほとんど知られていないと言ってもよいでしょう。

ところが先日、ひょんなことからリムスキーの合唱曲集がリリースされているのを発見!

Nikolai Rimsky-Korsakov. Choral Works Nikolay Kornev & St. Petersburg Chamber Choir

CDではなく、iTune(Apple Music)での配信です。

まだじっくり聴いたわけではありませんが、この配信では、
・2つの女声合唱曲、作品13
・ロシア民謡「退屈な夜が飽き飽きさせる」による4つの変奏曲とフゲッタ、作品14
・6つの合唱曲、作品16
・2つの合唱曲、作品18
・4つの男声合唱曲、作品23
が収録されており、この録音によりリムスキーの合唱曲のかなりがカバーされたことになります。
(漏れたのは、「ロシア民謡集、作品19」「盗賊の歌「昇れ赤い太陽」「児童合唱のための2つの曲」。管弦楽伴奏の作品とロシア民謡編曲集を除く)

注目は「退屈な夜が飽き飽きさせる」の作品。
少し変わったタイトルのこの主題は、リムスキーの作品に幾たびか登場する馴染みのある旋律です。
「ロシアの主題による協奏的幻想曲、作品33」やベリャエフ・グループの合作である「ロシアの主題による変奏曲」などに用いられているほか、少し形を変えて《皇帝の花嫁》の親衛隊のモチーフにもなっていますね。
《サルタン皇帝の物語》の冒頭の、意地悪な二人の姉が歌う歌もこの主題を思い起こさせます。

その元とも言える合唱曲での演奏は、今回初めて聴くことができることになったわけですが、四声の女声合唱作品ということもあり、透明感とロシア的な哀愁に満ちた印象深いものでした。
楽譜はElibronから出ているのを持っているのですが、歌詞はロシア語のみで、残念ながらどのような内容なのか私には不明。
何かの機会に歌っている内容も調べてみたいです。




「リムスキー」と「ひとこと」

2016年04月24日 | R=コルサコフ
『サンクト・ペテルブルク断章―遺伝研究者のロシア滞在記』という本に、リムスキー=コルサコフの「リムスキー」(ロシア語で「ローマの」の意)って何?と、チフヴィンにある彼の生家の博物館の学芸員に尋ねたところ、文化の先進地であるローマに憧れて、元々の姓である「コルサコフ」に付けただけとの返答だった、と紹介されていました。

http://www.amazon.co.jp/サンクト・ペテルブルク断章―遺伝研究者のロシア滞在記-山田-実/dp/4896421078

わたしも昔、このチフヴィンの博物館を訪ねて行ったことがありましたが、感激しすぎて、あまり話を聞けなったことを今になって少々後悔。ネット情報によると、この博物館は修理のために1年ほど閉鎖されるとのことで、再オープンは2017年の春、彼の誕生日に合わせてとなるようです。


*****

もう一つ、『ロシア語のしくみ』という本から。ロシア語で「ひとこと」は、「ふたこと」(=dva slova)と言うのだそうで、これを読んで「あっ」と思い当たることが。

http://www.amazon.co.jp/ロシア語のしくみ《新版》-言葉のしくみ-黒田-龍之助/dp/4560086680

《セルヴィリア》で、卑劣漢のエグナティウスがヒロインのセルヴィリアに「私がティゲリヌスにふたこと言いさえすれば、あなた方は救われる」みたいに迫る場面があります。(台本の英訳をみても「two words」となっている....)

わたしはここの「ふたこと」とは、何かロシア語で実際に2つの単語から成る決まり文句みたいなものがあって、そこから転じて「ふたこと」という呼び方になったのだと勝手に思い込んでいましたが、そうではなくて「ひとこと」だったいう次第。

日本語の「ひとこと」が、一つの単語や文であるわけではありませんから、ここの場面でも「私からちょっと話をしさえすれば」という意味になるのでしょう。

大した話ではありませんが、長年のもやもやがようやく解消されました。

都響「作曲家の肖像」シリーズVol.82 《リムスキー=コルサコフ》

2011年05月01日 | R=コルサコフ
新幹線を利用してわざわざ東京まで出向いて聴いてきました。
その甲斐あって素晴らしい演奏を堪能できました。

リムスキー=コルサコフの作品のみでプログラムが組まれた演奏会は、オペラ公演を除けば日本では初めてではないでしょうか。
私にとってはうれしい限りなのですが、興行的に成功するかどうかという点になると、余計なお世話ですけど少々不安の残るところ。
しかもあえて有名な《シェヘラザード》を外し、いうなれば2軍メンバーのみで構成された、ある意味「野心的」とも言える試みです。
会場の東京オペラシティ・コンサートホールは、連休中ということもあってかさすがに超満員ではありませんでしたが、7~8割くらいは埋まっているような感じでした。

実は今回演奏された作品は、私は生で聴くのは初めてのものばかり。
正確には《アンタール》だけはかつてロジェベン指揮の読売日響で演奏された「初版」を聴いたことがあったのですが、今回都響で演奏されたのは、作曲者が最終的に望ましいと考えていた「第3版」(そのあたりはプログラムにも明記されていました)で、これはもちろん初めてです。
というより、《シェヘラザード》以外のリムスキーの作品で演奏される機会はほとんどありませんから、まとめて聴けるというのはかなりの「お得感」です。

演奏会は、冒頭に震災で亡くなられた方の追悼のためバッハの作品が奏され、全員で黙祷。
リムスキーの作品は、はじめに《アンタール》、休憩を挟んでピアノ協奏曲、《スペイン奇想曲》、《ロシアの復活祭》と、つまりは作品番号の若い順に演奏されました。
アンコールは予想どおり《雪娘》から「道化師の踊り」。

個々の曲についてはまた後日。