海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

「スペイン」になれなかった小ロシア~未完の《小ロシア幻想曲》

2020年07月26日 | 未完の作品
《小ロシア幻想曲》はリムスキー=コルサコフの未完の作品のひとつです。
チャイコフスキーの《小ロシア》との標題でも知られる交響曲第2番と同じく、小ロシアの民謡を主題に用いたものです。
「小ロシア」とは現在のウクライナに相当する地域を指しており、当時と異なり侮蔑的な意味合いもあるとのことですが、ここでは原題のまま「小ロシア」としておきます。

この作品は1887年に着手されましたが、この年はかの《シェヘラザード》作曲(1888年)の前年にあたり、リムスキー=コルサコフの語るところの「この時期の終りで私の管弦楽法はいちじるしい熟達の段階に達し」つつあった時期にあたります。
同時期に作曲された作品には《ロシアの主題による幻想曲》(1886年)と《スペイン奇想曲》(1887年)とがありますが、リムスキー=コルサコフ自身は、《小ロシア幻想曲》も含めてこれらを一連の作品として考えていたようです。
いずれも民族的な主題を用いた点で共通要素があり、この時期はそうしたスタイルに関心を抱いていたことがうかがえますね。

ところで、《ロシアの主題による幻想曲》《スペイン奇想曲》は両方ともソロ楽器としてヴァイオリンが活躍しますが、《小ロシア幻想曲》ではオーボエを中心として、フルートやクラリネットのソロが活躍します。
フィナーレのピアノスケッチにも、弦のメロディーをオーボエが繰り返すような書き込みがありますので、ひょつとしたら全由にわたって、オーボエをはじめとする木管のソロが入れ代わり立ち代わり登場して、弦との対照を際立たせるような構想だったかも(あくまで推測)。
リムスキー=コルサコフはすでにオーボエやクラリネットと吹奏楽のための協奏曲を書いていましたから、複数の木管ソロの協奏曲的な作品に仕立てようとしていた可能性もあります。

もし完成していれば、《スペイン奇想曲》や《ロシアの復活祭》などには及ばないまでも、親しみやすい旋律に華麗な管弦楽法で仕立てられたリムスキー=コルサコフらしい作品となったと思われるのですが、こればかりは残念としか言いようがありません。

ちなみに楽器編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦五部です。
通常の二管編成からホルンを半減し、 トロンボーン・チューバを省略した形で、金管が薄くなった比較的簡易な編成になっていますね。

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《小ロシア幻想曲》は、同じく未完の作品である交響曲口短調と同様に、ソ連時代に編集されたリムスキー=コルサコフの楽譜全集において、総譜の形で途中までの状態(129小節まで)で譜面化されています。

全集の序文中には、この作品のビアノスケッチが残されているとの記述があり、《ロンド・スケルツァンド》のように曲全体の構成などが判明しているのかもしれませんが、残念ながら当全集では序文中に短い断片が2カ所のみ引用されるにとどまっています。
(同序文には、この作品を分析した詳しい論文について言及がされていますが、ビアノスケッチはそちらに掲載されているかもしれません。)

さて、今回もDTM(デスクトップロミュージック)でこの作品を再現してみましたが、おまけで序文中の断片も加えておきます。

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Nikolai Rimsky-Korsakov : Malorossia Fantasy (unfinished)
リムスキー=コルサコフ : 小ロシア幻想曲(未完)

Fragment of the Score
♪未完の断章 MP3ファイル (04:25)

Andante Theme
♪アンダンテの主題 MP3ファイル (00:31)

Finale Theme (The Cossack Danse)
♪フィナーレの主題 MP3ファイル (00:14)




越えられなかった山脈~幻想の第4交響曲

2020年07月19日 | 未完の作品

リムスキー=コルサコフの交響曲第4番は完成していればどのような作品になっていたでしょうか?

繰り返しになりますが、彼は第4番について自伝では言及しておらず、《ロンド・スケルツァンド》の草稿に記されたメモによってのみ、この作品が交響曲第4番の第3楽章として意図されたものということがわかる程度です。

第4番を知る手掛かりは、《ロンド・スケルツァンド》以外にはほとんどありませんが、リムスキー=コルサコフが第3交響曲の完成(1873年)の後、10年以上経過してなお第4交響曲を書こうとしていたことは事実のようです。

彼もまた正統的な「シンフォニスト」への道を歩もうとしていたのなら、やや意外な感じがしますね。
もし、この第4番が完成して成功を収めていたら、チャイコフスキーのような交響曲作曲家としての評価も得られていたかもしれません。

結局、彼はその後《スペイン奇想曲》《シェヘラザード》《ロシアの復活祭》という代表作をものにした後は、晩年までオペラの作曲家として活動をすることになり、交響曲に関しては(《アンタール》の改訂作業を除き)一切触れられることがなくなってしまいます。
リムスキー=コルサコフは交響曲は自分には向いていない分野であるとして、見切りをつけてしまったようですね。

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さて、巷には未完の作品を補筆などして「完成品」として世に送り出されることがあります。
交響曲ではベートーヴェンの第10番、ロシアではチャイコフスキーの第7番...。
むろん本人の作品かと言われれば怪しい点はさんざんありますが、「どれだけ聴衆を納得させられるか(騙せるか)」といった知的ゲームのような要素もあって興味を惹かれます。

リムスキー=コルサコフの交響曲第4番について、こうした試みがされたかどうかは知らないのですが、ここは妄想をたくましくしてひとつトライしてみましょう。

第3楽章には《ロンド・スケルツァンド》を充てることが本人メモにより明らかですので、これは確定。
とすると、問題は第1楽章、第2楽章、(古典的な4楽章構成とするなら)第4楽章をどうするかですね。

ここで浮上してくるのが、同じく未完成だった交響曲ロ短調。
この作品の構成は、バラキレフへの手紙などをもとに推測すると、

《交響曲ロ短調》(未完)
第1楽章:アレグロ(ロ短調)
第2楽章:スケルツォ(変ホ長調・四分の五拍子)
第3楽章:アンダンテ(ニ長調)
第4楽章:フィナーレ(ロ短調ーニ長調)

となるものだったようです。

このうち、第2楽章スケルツォは後の第3交響曲の第2楽章として転用されています。
ということは、リムスキー=コルサコフは抜けてしまった第2楽章を補充するために《ロンド・スケルツァンド》を作曲したとも考えられますね。
(ちなみに《ロンド・スケルツァンド》の出だしはニ短調)

ここで、交響曲ロ短調の抜けた第2楽章を差し替え、残りの楽章を交響曲ロ短調のものを充当し、さらに第2楽章と第3楽章を入れ替えると、第4番の構成は以下のとおりになります。

《交響曲第4番》(未完)
第1楽章:アレグロ(ロ短調)[?]
第2楽章:アンダンテ(ニ長調)[?]
第3楽章:ロンド・スケルツァンド(ニ短調)[確定]
第4楽章:フィナーレ(ロ短調ーニ長調)[?]

このような構成で「交響曲」として成立するものなのか、その辺の理屈に疎い私にはよくわかりませんが、一応形にはなっていると思われます。

ついてでにですが、当初の交響曲ロ短調のスケルツォは第2楽章として用いると明記してあったわけではないようですが、リムスキー=コルサコフの構想によれば、アンダンテとフィナーレはごく短い休止を入れて続けて演奏するものであったようなので、消去法で第2楽章としたものです。

スケルツォとアンダンテの順を入れ替えることに関しては、第3楽章が《ロンド・スケルツァンド》となっているために行った操作です。
これにより、アンダンテとフィナーレをつなげるという作曲者の当初の意図が損なわれてしまうのが難点ですが、スケルツォとアンダンテを入れ替えることは、交響曲第1番の改定の際にも行われた「前科」がありますので、まあよしとしましょう。

以上のことは私の勝手な推測ですが、もしどなたかが綿密な考証や理論をもとに「第4番」を補筆してくださるのなら、リムスキー=コルサコフのファンとしてぜひとも聴いてみたいものです。

 


進化の残照~ロンド・スケルツァンド

2020年07月18日 | 未完の作品

リムスキー=コルサコフの《ロンド・スケルツァンド》は、交響曲第4番章とする意図で書かれた作品です。
この作品はピアノ・スケッチの状態で残されたものが譜面化されているもので、オーケストレーションは施されていないものの、一つの楽章としてまとまった形となっています。

Nikolai Rimsky-Korsakov : Rondo Scherzando
(Piano Sketch for the unfinished Symphony No.4)
♪リムスキー=コルサコフ : ロンド・スケルツァンド MP3ファイル (07:34)


この《ロンド・スケルツァンド》については、未完に終わった交響曲ロ短調(1866~69年)とは違って自伝には全く言及されておらず、草稿に残された作曲者のメモにより、交響曲第4番第3楽章とするものであったこと、作曲は8月15日から19日までのごく短い間になされたことくらいしかわかっていません。

作曲されたのは1884年ですから、《スペイン奇想曲》(1887年)や《シェヘラザード》(1888年)などの作品の書かれた3~4年前ということになりますね。
交響曲ロ短調との対比でいえば、同じ未完の作品とはいえ、作曲者自身の能力の向上や、彼を取り巻く音楽環境の変化などをうかがい知れるものとなっています。

交響曲ロ短調は本格的な作品を書こうとした作曲者の高い意識が空回りした感が否めませんが、《ロンド・スケルツァンド》は作曲期間の短さからもわかるとおり、非常に手慣れた筆によってすらすらと書かれたような印象を受けます。
悪く言ってしまえば、材料を手際よく処理して量産化できる能力を身に着けつつあったということなのでしょうが、職業作曲者として着実な道を歩んできたリムスキー=コルサコフの進化の過程を物語るものともいえましょう。

一方、この作品が書かれた1884年は、すでにムソルグスキーは世を去り(1881年没)、バラキレフもかつてのような楽壇での影響力を失っていた時期です。
「五人組」では最年少だったリムスキー=コルサコフが、少し前から活動し始めていた「ベリャーエフ・グループ」の長老格として存在感を発揮しだしていた頃になります。

《ロンド・スケルツァンド》はタイツィというペテルブルク郊外の避暑地で書かれたものですが、交響曲ロ短調とは違って仲間たちとやり取りをしたような形跡もなく、その場限りでひっそりと埋もれてしまったような感じです。
すでにペテルブルク音楽院教授などの要職にあった彼にしてみれば、昔と違って気安く作品の意見を訊けるような立場にはなかったのかもしれませんね。

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《ロンド・スケルツァンド》の名称のとおり、作品は大ロンド形式(A-B-A-C-A-B-A〔-Coda〕)で書かれています。
主題Aは急速な下降ー上昇音型、主題Bはやや穏やかな感じのする山型のメロディ(《雪娘》のレリ第3の歌を彷彿とさせます)、主題Cは半音階的な不安感をあおるような旋律です。

演奏時間は7分以上を要し、ピアノ・スケッチのままで聴くとやや冗長な感じもしなくはないですが、リムスキー=コルサコは同じ旋律をオーケストレーションを変えて聴かせるというスタイルが特徴ですので、完成していればまた違った印象を受けるかもしれませんね。

 


ソースとカイエンペッパー、そしてローストビーフ

2020年07月16日 | 未完の作品

【ソースとカイエンペッパー、ローストビーフなし(イメージ)】

未完に終わった交響曲ロ短調について、リムスキー=コルサコフの自伝に興味深い記事があります。
この作品は、バラキレフやほかの友人たちを満足させることはできず、リムスキー=コルサコフはがっかりさせられたとあります。
しかし、彼の不満はバラキレフをはじめ、誰一人この作品の欠陥について専門的な指摘をできなかった点にもあったようです。

バラキレフの指導は、「君にはソースやカイエンペッパーはあるが、ローストビーフがないね」などと、音楽ではなく料理の用語を用いていたそうです。
(飾り立てる手段はいろいろ持っているけど、肝心の中身がない、ということなのでしょう。言わんとすることはわからないでもないですが...)

リムスキー=コルサコフの語るところによると、当時のバラキレフの語彙には音楽的な専門用語は存在せず、その結果、自分たちの語彙にも存在しなかった、音楽形式のすべては曖昧で不可解だったというのです。

「五人組」として知られる彼ら国民楽派の作曲家たちは、「西欧派」とは違って音楽理論を重視せず云々という記述をよく目にしますが、このようなエピソードを知ると、そのひどさ(?)は思っていた以上のものだったみたいです。

こうした風潮に嫌気がさしたリムスキー=コルサコフは、その反動で猛勉強をはじめ、理論家としても大成したことはよく知られるところですね。

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このあとスタッフがおいしくいただきました。※

※嘘です。おいしくありませんでしたorz
ローストビーフではありませんが、YouTubeの動画に触発されて、ガーリックソース式のペペロンチーノにトライしたのです。
ところがソースの乳化も十分でなく、パスタもパサパサになって失敗(2度目)。
料理研究家への道は果てしなく遠い...

シンフォニストへの道~未完の交響曲ロ短調

2020年07月15日 | 未完の作品

【交響曲ロ短調の草稿】(Rimsky-Korsakov. My Musical Life. Knopf. New York, p.88 )


リムスキー=コルサコフの交響曲ロ短調(1866~1869)は、交響曲第1番の完成後に「第2番」として着手されたものです。

この作品については、作曲者が五人組の仲間たちと手紙でいろいろとやりとりをした形跡が残されていますが、結局バラキレフをはじめ友人たちを満足させることはできず、未完成のまま放置されてしまいました。
その結果、彼の作品目録にはよく知られている《アンタール》が交響曲第2番として残ることになったのです。

リムスキー=コルサコフといえば、オペラや《シェヘラザード》のような華麗な管弦楽曲の作曲家というイメージがありますが、少なくともその作曲家人生の当初は交響曲に、しかもこの未完成のロ短調交響曲に伺えるような、かなり本格的な作品を書こうとしていたようです。

第1楽章の冒頭は作曲者自身が語っているとおり「ベートーヴェンの第9交響曲の出だしを彷彿」とさせるものです。
ところが、第1主題の部分は立派でカッコいい作品を書こうという意気込みが空回りをして、いろいろな細工を施しているものの効果が上がらず、まとまりが悪いというような印象を受けます。
口さがない方なら「背伸びしすぎ」とおっしゃるでしょうけど、リムスキーびいきの私でもこの意見には同意してしまいそうです。(汗)

第2主題になると多少リムスキー=コルサコフらしさが表れてきます。
これはキュイのオペラ《コーカサスの虜》の合唱の旋律に類似してしまったが、カンタービレの部分はより独自性が表れたと本人が語っています。
リムスキー=コルサコフの歌劇《雪娘》をご存知の方なら、ミスギールの歌に転用された旋律だということがお分かりになるでしょう。

交響曲ロ短調は、第1楽章が途中まで総譜の形で出来上がっている外は、断片的なスケッチが残されているにすぎません。
当然、他の作曲家によって補筆され、演奏や録音がされるといったこともなく、知られざる作品となっているのですが、リムスキー=コルサコフの初期の作曲活動の有り様を考える上で重要な痕跡であると言えるでしょう。

ちなみに楽器編成は、フルート3、オーボエ2、クラリネット(A)2、ファゴット2、ホルン(D,C)4、トランペット(D)2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部となっています。

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第1楽章は第1稿(202小節)と第2稿(97小節)があります。
両者にそれほど差違はないようなので、今回作成したのは長い第1稿の方です。
楽譜の202小節目で終わるとちょっと中途半端なので、その後数小節を私が勝手に付け足しました(最後の第1主題の繰り返し部分)。

楽譜にはこの交響曲の他の素材として、アンダンテとフィナーレの主題がピアノ譜の形で掲載されていましたので、これらもおまけでアップしておきました。

アンダンテは楽器の指示はされていませんでしたが、ホルンの演奏にしてあります。
《スペイン奇想曲》第2楽章や、ホルン四重奏の《夜想曲》とはまた違う、夕暮れ時ののどかな田園風景を連想させるような素晴らしいメロディーです。

フィナーレは弦で演奏させていますが、途中の分散和音はピチカートにして躍動感を強調しました。

なにしろ聞いたことのない作品ですから、怪しいところはかなりありますが、まあこんな作品なのかということがおわかりいただければ幸いです。

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Nikolai Rimsky-Korsakov : Symphony in B minor (unfinished)
リムスキー=コルサコフ : 交響曲ロ短調(未完)






リムスキー=コルサコフの未完成交響曲

2020年07月15日 | 未完の作品


リムスキー=コルサコフに交響曲が3曲あることは比較的よく知られています。
しかし、これらの他にも彼は交響曲を作曲しようとしていたことをご存じでしょうか?

こうした未完の交響曲は2つあって、一つが第1番の初演後に着手された「交響曲ロ短調」、もう一つが第4番です。
結局のところ、これらは未完のまま放置されてしまい、日の目を見ることはなくなってしまいました。
当然のことながら演奏も録音もされていないため、どのような作品だったのかを聴いて確かめることはできません。

しかし、ありがたいことに、ソ連時代に出版されたリムスキー=コルサヨフの楽譜全集には、これらの未完の作品の断章やビアノスケッチが譜面化されています。
(Kalmusから発売された「The Complete Works of Nicolai Rimsky-Korsakov」にも収録されています。)

幸い私はこの楽譜を入手していたので、この未完の2作品を楽譜からDTM(デスクトップミュージック)で再現してみました。
そして、これらの作品からリムスキー=コルサコフが辿ろうとして果たせなかった「シンフォニスト」への道をあれこれ考察してみたいと思います。

***

<このブログに以下の記事があります>

シンフォニストへの道~未完の交響曲ロ短調(MP3あり)
ソースとカイエンペッパー、そしてローストビーフ
進化の残照~ロンド・スケルツァンド(MP3あり)
越えられなかった山脈~幻想の第4交響曲