《昇れ赤い太陽》はリムスキー=コルサコフのお気に入りの題材だったと見えて、彼の作品リストにおいては実に3回も登場しているのです。
3回目はユルゲンソン社から出版された合唱愛好者のための曲集に収録されたようですが、詳細は不明。
さて、ここからは妄想ですが、リムスキー=コルサコフは4回目の《昇れ赤い太陽》の活用も考えていたのではないか、私にはそんな気がします。
というのは、彼の未完のオペラに《ステンカ・ラージン》(1906)があるのです。
この作品に、ステンカ・ラージンに関連した《昇れ赤い太陽》を使おうとしていたとしても少しも不思議ではありませんね。
井上和男氏によれば「新しいオペラの構想としては以前から考えていたバイロンの『天と地』とか、《ドゥビヌーシュカ》を用いた《ステンカ・ラージン》をとりあげてみたが、これらには手をつけていないらしい」とあり、《昇れ赤い太陽》には言及されていません(《ドゥビヌーシュカ》を用いた??)。
彼が《ステンカ・ラージン》に手を付けた1906年は、まさにロシア革命が起きた翌年のこと。
音楽院での騒動に巻き込まれて、反体制派の首領のような立場に祭り上げられたリムスキー=コルサコフですが、彼自身は自分の立場を馬鹿らしいと考えていたようです。
彼らしい、幾分冷めた視点で革命当時を振り返っていますが、一時的にせよ「反乱軍の首領」となった彼にはステンカ・ラージンと共感することもあったのではないでしょうか。
1回目:40の民謡集(1875)第13曲
2回目:ロシア民謡に基づく15の合唱曲集、作品19(1879)第2部第5曲
3回目:(今回ご紹介したもの)
2回目:ロシア民謡に基づく15の合唱曲集、作品19(1879)第2部第5曲
3回目:(今回ご紹介したもの)
3回目はユルゲンソン社から出版された合唱愛好者のための曲集に収録されたようですが、詳細は不明。
さて、ここからは妄想ですが、リムスキー=コルサコフは4回目の《昇れ赤い太陽》の活用も考えていたのではないか、私にはそんな気がします。
というのは、彼の未完のオペラに《ステンカ・ラージン》(1906)があるのです。
この作品に、ステンカ・ラージンに関連した《昇れ赤い太陽》を使おうとしていたとしても少しも不思議ではありませんね。
井上和男氏によれば「新しいオペラの構想としては以前から考えていたバイロンの『天と地』とか、《ドゥビヌーシュカ》を用いた《ステンカ・ラージン》をとりあげてみたが、これらには手をつけていないらしい」とあり、《昇れ赤い太陽》には言及されていません(《ドゥビヌーシュカ》を用いた??)。
彼が《ステンカ・ラージン》に手を付けた1906年は、まさにロシア革命が起きた翌年のこと。
音楽院での騒動に巻き込まれて、反体制派の首領のような立場に祭り上げられたリムスキー=コルサコフですが、彼自身は自分の立場を馬鹿らしいと考えていたようです。
彼らしい、幾分冷めた視点で革命当時を振り返っていますが、一時的にせよ「反乱軍の首領」となった彼にはステンカ・ラージンと共感することもあったのではないでしょうか。