【6】真相は明らかに...?
上野へ行ってきました。文化会館の資料室で不明だった点を確認、結論としては次のとおりです。
(1) スヴェトラノフの演奏は「第3稿」(1898年)
(2) ヤルヴィの演奏は実は「第4稿」(1903年)
(3) 版の混乱の原因(の一つ)は「第4稿」が「1898年版」として出版されている(らしい)こと
結局、ヤルヴィ盤の解説での記述は、実は「第4稿」(1903年)による演奏であったにもかかわらず、それに気付かないまま決定稿である「第3稿」(1898年)であると思い込んでいたため(何しろ楽譜には「1898年版」と書いてある!)、ということになりそうです。
本日確認できた点は以下の項目についてです。
■手持ちの「第3稿」の楽譜は、全集の「第3稿」と同じか?
比較したところ、「creschendo」が「<」と表記されているなどの差異はあるものの、内容的には同じものでした(疑っていてごめんなさい)。ということは、もう一つの手持ちの楽譜は「第2稿」であると信頼してもいいでしょう。
■「初稿」と「第2稿」の違いは?
まず、以前書き漏らしたことですが、「初稿」の楽器編成の特異性としてもう一つ、ハープが2台というのがありました。
違いですが、楽器編成を一般化したことなどに伴う変更があります。
「初稿」では第1楽章冒頭の不安げな茫洋とした和音はファゴット3本で奏されているのが、「第2稿」以降ではファゴット2本にホルン1本、「初稿」ではハープで奏されている分散和音が、「第2稿」以降では弦のピチカートに置き換わるなど。もちろん、他にも細かな変更点はたくさんあります。
基本的な曲の構成は変化ありませんが、分かりやすいところでは、「初稿」の第4楽章は導入部がなくいきなりアラビア風のメロディで始まります。あと、これはよく分かりませんでしたが、第1楽章以外は、いずれも途中の経過部が少し違っている箇所があるような感じです。
■「第4稿」について
上野にあったのは、Boosey & Hawkes 社のものでした。
このポケットスコアの扉には「1897年版」と明記されているのですが、
・全集(手持ちの楽譜もそう)の1897年とは明らかに異なる
・全集の解説に「1903年版」の特徴として示されている、各弦楽器の数が書かれている
・内容的に「第2稿」とほとんど変わらない
・扉に「By arrangement with W.Bessel & Cie」と書かれており、ベッセル社の意向で編曲されたものであることがうかがえる
ことから、これこそが「第4稿」(1903年)であると見て間違いないと思います。
と同時に、この楽譜が「第3稿」として世間に多く出回ってしまったがために、実は「妥協の産物」であるこの版が、作曲者の望んだ最終稿であるとして誤って受け入れられてしまったようです。
■「第2稿」と「第4稿」の違いについて
基本的にほとんど変わりません。
例えば、第1楽章冒頭のファゴットとホルンで奏される不安げなメロディが2回目以降に繰り返されるとき、「第2稿」では途中まで1オクターブ低くなっているとか、第3楽章の最後で、「第2稿」では演奏されていない楽器を「第4稿」では加えて厚みを出している、といった程度のものです。これは「版を彫り直さなければならないような変更はしない」として出版社がしぶしぶ受け入れたとされる「第4稿」誕生の経緯とも整合しています。
以上のことでとりあえず《アンタール》の「版」に関する疑問点のかなりの部分は払拭できました。細かい点ではまだおかしいと思うことはあるものの、おそらく、それらは指揮者による「編曲」や、あるいはライナーノートを書いた人の単なる勘違いの部類のものではないかと考えられます。
まあ、諸悪の根源(?)は「第4稿」を「第3稿」とした出版社にあるということなのでしょうかね。
上野へ行ってきました。文化会館の資料室で不明だった点を確認、結論としては次のとおりです。
(1) スヴェトラノフの演奏は「第3稿」(1898年)
(2) ヤルヴィの演奏は実は「第4稿」(1903年)
(3) 版の混乱の原因(の一つ)は「第4稿」が「1898年版」として出版されている(らしい)こと
結局、ヤルヴィ盤の解説での記述は、実は「第4稿」(1903年)による演奏であったにもかかわらず、それに気付かないまま決定稿である「第3稿」(1898年)であると思い込んでいたため(何しろ楽譜には「1898年版」と書いてある!)、ということになりそうです。
本日確認できた点は以下の項目についてです。
■手持ちの「第3稿」の楽譜は、全集の「第3稿」と同じか?
比較したところ、「creschendo」が「<」と表記されているなどの差異はあるものの、内容的には同じものでした(疑っていてごめんなさい)。ということは、もう一つの手持ちの楽譜は「第2稿」であると信頼してもいいでしょう。
■「初稿」と「第2稿」の違いは?
まず、以前書き漏らしたことですが、「初稿」の楽器編成の特異性としてもう一つ、ハープが2台というのがありました。
違いですが、楽器編成を一般化したことなどに伴う変更があります。
「初稿」では第1楽章冒頭の不安げな茫洋とした和音はファゴット3本で奏されているのが、「第2稿」以降ではファゴット2本にホルン1本、「初稿」ではハープで奏されている分散和音が、「第2稿」以降では弦のピチカートに置き換わるなど。もちろん、他にも細かな変更点はたくさんあります。
基本的な曲の構成は変化ありませんが、分かりやすいところでは、「初稿」の第4楽章は導入部がなくいきなりアラビア風のメロディで始まります。あと、これはよく分かりませんでしたが、第1楽章以外は、いずれも途中の経過部が少し違っている箇所があるような感じです。
■「第4稿」について
上野にあったのは、Boosey & Hawkes 社のものでした。
このポケットスコアの扉には「1897年版」と明記されているのですが、
・全集(手持ちの楽譜もそう)の1897年とは明らかに異なる
・全集の解説に「1903年版」の特徴として示されている、各弦楽器の数が書かれている
・内容的に「第2稿」とほとんど変わらない
・扉に「By arrangement with W.Bessel & Cie」と書かれており、ベッセル社の意向で編曲されたものであることがうかがえる
ことから、これこそが「第4稿」(1903年)であると見て間違いないと思います。
と同時に、この楽譜が「第3稿」として世間に多く出回ってしまったがために、実は「妥協の産物」であるこの版が、作曲者の望んだ最終稿であるとして誤って受け入れられてしまったようです。
■「第2稿」と「第4稿」の違いについて
基本的にほとんど変わりません。
例えば、第1楽章冒頭のファゴットとホルンで奏される不安げなメロディが2回目以降に繰り返されるとき、「第2稿」では途中まで1オクターブ低くなっているとか、第3楽章の最後で、「第2稿」では演奏されていない楽器を「第4稿」では加えて厚みを出している、といった程度のものです。これは「版を彫り直さなければならないような変更はしない」として出版社がしぶしぶ受け入れたとされる「第4稿」誕生の経緯とも整合しています。
以上のことでとりあえず《アンタール》の「版」に関する疑問点のかなりの部分は払拭できました。細かい点ではまだおかしいと思うことはあるものの、おそらく、それらは指揮者による「編曲」や、あるいはライナーノートを書いた人の単なる勘違いの部類のものではないかと考えられます。
まあ、諸悪の根源(?)は「第4稿」を「第3稿」とした出版社にあるということなのでしょうかね。