海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《スヴィテジャンカ》その1~湖畔の女

2022年03月28日 | カンタータ

<スヴィテジャンカとは?>

リムスキー=コルサコフが1897年に作曲した《スヴィテジャンカ》というカンタータがあります。
彼のカンタータには、ほかに《ホメロスより》や《賢者オレーグ公の歌》がありますが、これらに比べると《スヴィテジャンカ》は聴いていて正直今ひとつの感。

自分の中ではこの作品はカンタータ部門の万年3位、同じCDに収録されているから惰性で聴いているようなもので、特段興味を惹かれることもありませんでした。
そのような訳で、この作品の「スヴィテジャンカ」という(怪獣のような)変わった題名も特に調べることもせずにずっといたのです。

最近「スヴィテジャンカ」の意味についてようやく調べる気になって、ネットで調べてみると「スヴィテジ湖の人魚」というような訳が出てきます。
さらに調べてみると、「スヴィテジ」とはベラルーシに実在する湖の名前らしい。
それでいつもの元ネタ探しですが、この作品の原詩の作者ミツキェーヴィチを手がかりに調べると、その正体はあつさりと判明しました。

まず「スヴィテジャンカ」はロシア語での呼称で、ミツキェーヴィチの記した原語のポーランド語では「シフィテジャンカ」、湖の名前は「シフィテシ」となるようです(地元のベラルーシでは「スヴィチャジ湖」のようで、そのあたりは言語によって少しずつ異なる模様)。

『シフィテジャンカ』はミツキェーヴィチの作品集『バラードとロマンス』に収録されている作品で、ありがたいことに邦訳も刊行されています。

バラードとロマンス (ポーランド文学古典叢書) 
アダム ミツキェーヴィチ (著), Adam Mickiewicz (原著), 関口 時正 (翻訳)
未知谷(出版)

さっそくこの本を図書館で借りてきて『シフィテジャンカ』を読んでみましたが、この作品の最後に付けられたタイトルに関する原注と訳注が、知りたかったことを簡にして要を得ていました。
以下に引用しておきます。

【原注】シフィテシ湖畔には、土地の民がシフィテジャンカと名付けたオンディーヌ、すなわち水の精が現れるという報告がある。【以下訳注】ワルシャワに生まれた、あるいは住む女性をヴァルシャヴィヤンカと言うように、ミツキェーヴィチはシフィテシに棲む女(Świtezianka)という語を造っている。

なるほど、リムスキー=コルサコフの最初の歌劇《プスコフの娘》もロシア語で「プスコヴィチャンカ」というので、スラブ語系では地名に「ヤンカ」がついて、「~の娘」という意味になるようですね。
単にその土地の娘、というだけでなく、何らかの特徴を持った特定の女性を指すようなニュアンスもあるでしょうか。
本作品の主役は「シフィテシ湖畔に現れる娘」でもあり、「シフィテシ湖に棲む精」でもありますからね。

 


《ホメロスより》その3~未完の歌劇を想像...できず

2022年01月31日 | カンタータ

未完の歌劇《ナウシカア》

リムスキー=コルサコフの未完の歌劇《ナウシカア》は完成していたらどのような作品になっていたのでしょうか。

それを解き明かす手がかりは、ホメロスの『オデュッセイア』に記されたナウシカアのエピソードがベースになるのはもちろんですが、その他には歌劇の序曲に相当する《ホメロスより》が(結果的に)独立した作品として存在していることくらいでしょうか。

《ホメロスより》ではオデュッセウスのライトモチーフが明確に聞き取れますが、ナウシカアのモチーフも女神レウコテエの登場を描くフルートとクラリネットのソロのメロディーに続く、優しい木管と弦の旋律として登場しているのではと想像をたくましくすることもできましょう。

もしそうであれば、歌劇ではこの二人のライトモチーフが核になっていたに違いありません。

あらすじを想像する

さて原作では、オデュッセウスは漂着したスケリエ島で王女ナウシカアと出会い、王宮でアルキノオス王に故郷への帰還の約束を取り付ける。
オデュッセウスは王をはじめとする島の領主たちから宴会でもてなされ、円盤競技でひと悶着あったのちに、王のとりなしで和解の踊りが演じられる、という具合に話が進んでいくわけです。

そしてオデュッセウスの語る冒険譚。
彼の出まかせのホラ話だったとの説もあるらしいですが、一つ目巨人のキュクロプスや歌う魔女セイレンなどはロシアとは異なるおとぎ話でもありますね。
髪麗しい魔女キルケは、シェマハの女王のように妖艶に描かれたはず。
これらがリムスキー流の音楽で語られたとしたら、どんなにすばらしいことだったでしょう!
そして、何より彼が島から島へと渡る際には「海」が介在しているので、リムスキー=コルサコフ得意の海の描写を盛り込む余地もふんだんにあったわけです。

こうしてみると、まるで《サトコ》を紡彿とさせるような、いかにも「コルサコフ好み」の題材が数多くあって、これらを《セルヴィリア》のように彼が当時興味を持っていた古代音楽の要素で味付けしつつ、3幕か4幕に構成して、完成済みの序曲を頭に付ければ、立派なグランドオペラが一丁上がり!…

と思ったのですが、ふと、あれ?そういえばナウシカアはどうなったの?との疑問に行き当たりました。

ホメロスのナウシカア

改めて『オデュッセイア』を読み直してみると、ナウシカアが登場するのは、洗い場のある海岸でのオデュッセウスとの出会いのほかは、そのきっかけとなった夢の中でアテネのお告げを受ける場面、オデュッセウスを王宮のある町へと導く場面、それ以外には宴会に向かうオデュッセウスに「私を忘れないで」とごく短く別れを告げる場面に限られていました。

この別れもごく短くあっさりしたもので、「私を忘れないで」が例えばオデュッセウスが故郷に向けて島を発つ際に発せられたのであれば(多少陳腐ですが)盛り上がる場面にもなったのでしょうけど、原作ではそれよりもずっと前の段階で言葉ですので、唐突な感じが拭い去れません。

ナウシカアとオデュッセウスとの間にはもう少しやりとりがあったなどというのは、とんだ思い違いでした。二人の出会いが印象的だったので、その後も会話などが交わされたものと勝手に勘違いしていたようです。

それにしても、ナウシカアに対するこの扱いは、話の流れから彼女は用済みになったので、さっさと消し去ったような感じさえあって、ホメロスも少々酷いと思わずにはいられません(笑)。

(後で知ったのですが、バーナード・エヴスリンの書いた『ギリシア神話小事典』では、ナウシカアについて原作にはない話が掲載されているようです。これは彼の創作なのか、何か異稿にでも基づいているのか定かでないですが、宮崎駿は彼の記述したナウシカアに感銘を受けて、風の谷のヒロインを名付けたようです。)

ナウシカアは主人公になれない?

ここで、再度浮かんできた疑問。
この歌劇のタイトルはなぜ《ナウシカア》となっているのでしょう?

二人のやりとりを中心にするならば「オデュッセウスとナウシカア」でも良さそうですが、タイトルから考えるにあくまで主人公はナウシカアのつもりだったようです。もっとも未完の歌劇ですから、最終的に変更されることもあり得たのでしょうけど、ヤストレプツェフ(リムスキー=コルサコフの伝記作家)の記録にも歌劇のタイトルとして「ナウシカア」と記されていることからも、当時このタイトルで構想が練られていたことは間違いないでしょう。

さてこの歌劇がナウシカア個人の物語であるとして、あまりにも尻切れトンボな結末をどうするつもりだつたのでしょうか。
《モーツァルトとサリエリ》や《貴族夫人ヴェラ・シェロガ》のように、ナウシカアのモノローグを主体にした短い作品になった可能性も考えられます。
その場合、「序曲」で登場する3人の女性ソリストと女声合唱を、歌劇でのアテネの声や下女たちに充てれば実用的ともいえますね。

しかし、この構想では前述のようなコルサコフ好みの題材が余計なものになってしまいます。
かといってグランドオペラ風の大作にすると、ナウシカアの物語は埋没してしまいますね….。


放棄された歌劇

未完の歌劇をそれなりに蓋然性があるように《ナウシカア》のあらすじを想像してみたものの、結局のところ決め手にも欠けて、あえなく沈となってしまいました。

リムスキー=コルサコフはナウシカアについて「この主題でホメロスからあまり逸れずに歌劇を書くのは無理」と放棄した理由をヤストレプツェフに語っていたそうですが、台本担当のベルスキー共々、案外前述したようなことを思ってあきらめた可能性も考えられなくもないように思われます。

残念ですが、ないものねだりしても仕方ないですね。
とはいえ、ナウシカアが時代も場所も越えて、宮崎駿のあの素晴らしい物語の主人公として甦ったと考えれば、満たされない心を補って余りあるものではないでしょうかね。


《神の人アレクセイの詩》その4~『カラマーゾフの兄弟』と「自伝」

2022年01月29日 | カンタータ
<アリョーシャと「神の人アレクセイ」>

その2でご紹介した江川卓『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』によると、ドストエフスキーはこの小説の執筆にあたり、巡礼歌の「神の人アレクセイ」や「ラザロの歌」を重要なモチーフとして用いている、との説があるとのことです。これはドストエフスキー研究の第一人者といわれるヴェトロフスカヤの唱えたものだそうで、亀山郁夫『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』(光文社新書)にも同様の言及がありました。

私にこの説の正否はよくわかりませんが、興味深いのは《40のロシア民謡集》には「神の人アレクセイ」「ラザロの歌」の両者とも収録されていることです。
この民謡集が出版されたのは1880年、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の雑誌連載が始まったのが1879年ですから、ドストエフスキーが出版楽譜をきっかけにして小説の構想を練ったということはありません。

しかし、リムスキー=コルサコフがこの民謡集のためにピアノ伴奏を付けたのが1875年ということですから、そのときにはフィリポフにより採取された民謡がある程度の形でまとめられていたと思われ、ということは、何らかの伝手でドストエフスキーがテキストを入手していた可能性もなくはないですね。

リムスキー=コルサコフとドストエフスキーが面会したという記録は特になく、二人に直接的な接点はなかったようですが、「神の人アレクセイ」を通じて両者につながりがあったとすれば興味深いことです。

<「神の人アレクセイ」のテキスト>

ところで、《40のロシア民謡集》にはアレクセイの生涯が実に3ページ分のテキストとして収録されていますが(長い!)、リムスキー=コルサコフのカンタータではアレクセイの物語の冒頭部分を採用したようです。

巡礼歌のアレクセイのテキストについては、ご多分に洩れず多くの異稿が存在するようですが、ネットなどに掲載されているものを見る限り、大きくは「私はローマの都で生まれ…」で始まる「独白系」と、「栄光の都ローマ、栄えある皇帝ホノリウスが統べる….」で始まる「叙述系」の二つがあるようです。

《40のロシア民謡集》やカンタータでは、後者の「叙述系」を採用していますが、両者には分量以外にも、比較可能な冒頭部分でも多少の差異があります。

<リムスキー=コルサコフの自伝でも意識?>

そういえば、リムスキー=コルサコフの自伝『わが音楽生活の年代記』の書き出しは、「私はチフヴィンの町で生まれ….」となっており、これは「神の人アレクセイ」の「独白系」の出だしと同じです。

Я родился в граде Риме,....(巡礼歌「神の人アレクセイ」)
Я родился в городе Тихвине....(リムスキー=コルサコフ『わが音楽人生の年代記』)

単なる偶然の可能性ももちろん高いですが、ひょっとしたら彼もこの有名な巡礼歌の出だしを意識したのかもしれませんね。
リムスキー=コルサコフの有名な自伝は、感情的な要素を排して淡々と事実を書き留めたもの、との印象がありましたが、巡礼歌をなぞって記したものだと思うと、素朴ながらも彩りに満ち溢れた、生き生きとした物語になってくるような気がしてきます。

彼の自伝の評価は従来「その人自身は平静な立場にありながら、周囲にうづまく起伏曲折を客観的に記録」(訳者服部龍太郎の序)と考えられてきましたが(私もそう思っていました)、最近はこれに異を唱える意見もあって、名チェリスト、ロストロポーヴィチによれば、

これは驚くべき稀有な本である。本のタイトルを見ると、過去についての冷静で客観的な語りであるかのように思われる。しかし実際には、リムスキー=コルサコフの『年代記』は出来事の冷静沈着な記録ではまったくない。これはロシア文学の伝統、トルストイやドストエフスキーの伝統に則った精神的自己認識の試みなのである。

とのことです。(高橋健一郎「リムスキー=コルサコフ『我が音楽生活の年代記』~翻訳の試み(1)~」)

この記述を初めて読んだ時にはとても驚いたものですが、リムスキー=コルサコフの自伝の邦訳(2種類あり)は、フランス語の抄訳から翻訳したものなので、残念ながら全文を日本語で読むことはできません。
上で引用させていただいた「翻訳の試み」も(3)までで止まっているようなので、是非とも続きをお願いしたいものです。

《神の人アレクセイの詩》その3~民謡集に採録された巡礼歌

2022年01月24日 | カンタータ

<40のロシア民謡集>

リムスキー=コルサコフの《神の人アレクセイの詩》(カンタータ)の元ネタ探しですが、これはあっさり判明しました。
というのは、彼が《プスコフの娘》第2稿で挿入したこの巡礼歌を「フィリポフの民謡集から採った」と自伝で書き記しているからです。

テルチー・イヴァノヴィチ・フィリポフ(1826-1899)は帝政ロシアの政治家で、リムスキー=コルサコフと交流のあった人物。ついでに書くと死んだムソルグスキーの遺言執行者でもありました。
フィリポフはアマチュア歌手としても知られる一方で、地方の民謡の収集にも熱心に取り組み、彼が採取したメロディにリムスキー=コルサコフがピアノ伴奏を付けて出版されたのが《40のロシア民謡集》(1880年出版)です。

この民謡集はリムスキー=コルサコフの作品リストにも登場するもので、早速調べてみると、案の定「神の人アレクセイ」は「巡礼歌」のカテゴリーに収録されていました。その譜面・テキスト(歌詞)はこちらで確認できます(1番目に収録)。

40 Russian Folksongs (Filippov, Terty) (IMSLP)
https://imslp.org/wiki/40_Russian_Folksongs_(Filippov%2C_Terty)

この民謡集に寄せたフィリポフの序文が次のサイトに掲載されていました。その一節、「民衆の歌は永遠に去り、何世紀にもわたってその霊感を得た歌の無限の循環を生み出した、民衆の崇高で厳格な芸術的気分を復活させる力は自然界にはありません。」は、民謡が失われてしまうかもしれないという当時の危機感をよく表しています。

Т.И. Филиппов Предисловие собирателя песен
http://dugward.ru/library/filippov/filippov_predislovie_sobiratela.html

 

<巡礼歌の再現>

さて民謡集の「神の人アレクセイ」の楽譜は1ページに収まるものでしたので、これをMIDlデータとして入力して再現してみました。

Song of Alexey, the Man of God (from "40 Russian Folksongs")
「神の人アレクセイ」(《40のロシア民謡集》より)MP3ファイル


調性は異なるものの、聞いてみるとまさにカンタータと同じ旋律。
声部は一応2部となっていますが、導入部がソロとなっている他はほとんどがユニゾンで、低部が所々で数音3度とか5度下になるといった素朴な感じです。
これは作曲された音楽作品とは明らかに異質のもので、巡礼歌として歌われていた原型をとどめているようですね。


《神の人アレクセイの詩》その2~歌になった聖人伝説

2022年01月19日 | カンタータ
神の人アレクセイ(アレクシス)とは、4世紀頃にローマで生まれたとされるキリスト教の聖人です。
私は今まで知りませんでしたが、「神の人アレクセイ」の話は仏文学史上わりと有名なものらしく、学術的な研究対象にもなっているようです。
以下にご紹介する書籍では、その伝説の成立過程にも踏み込んで解き明かしています。

「東方の苦行僧、聖アレクシスの変貌」~松原秀一著『異教としてのキリスト教』(平凡社ライブラリー・2001年)


同様の内容はこちらにも掲載されていました。

聖アレクシウスの妻(松原秀一・1967年)慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)

残念ながらリムスキー=コルサコフの音楽作品としての《神の人アレクセイの詩》に関する日本語文献は見たことがありませんが、聖アレクセイに関してはいろいろなところで言及されているようです。

そのひとつ、江川卓著「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」(新潮選書・1991年)では、「Ⅳ 巡礼歌の旋律」としてまるまる一章を、小説と「神の人アレクセイ」(と「ラザロの歌」)という巡礼歌との関連の考察に充てており、ロシアにおける巡礼や巡礼歌を知るうえで大変参考になります。

それによると、ロシアの貧しい巡礼たちは生活の糧を得るために日本で言う「門付け」のようなことをしていたとのこと。
ロシアで人気のある「神の人アレクセイ」のエピソードを、巡礼たちが屋敷や市場で哀愁を帯びた節回しで語ったのは、聞き手に受け入れやすい(つまり施しを得られやすい)という「実用的な面」もあったのでしょうが、それ以上に彼らは自らをアレクセイになぞらえたいという気持ちも強かったからなのではないでしょうか。

つまり、自分が貧困にあえいでいたり、生まれつきの不具であったとしても、それは「たまたま」であり、むしろ神の試練であって、不幸を嘆くのではなく、すべてを捨てて神に人生をささげた聖アレクセイと同じく信仰の道を歩むべきだという思いです。
彼らは巡礼歌として神の人アレクセイの生涯を歌いながら、そうした思いをかみしめていたとしても不思議ではありませんね。

Русский паломник XIX века(19世紀のロシアの巡礼)
http://palomnic.org/journal/37/istoria/1/
(ロシア語サイトですが写真多数あり)


さて「神の人アレクセイ」の歌の内容ですが、例によって多種多様であって、これも民俗学的な研究対象になるようなもののようですが、ここではリムスキー=コルサコフの作品で用いられている歌詞を訳しておきましょう。
(セゾン・リュスのCDのブックレットの英訳からです)

リムスキー=コルサコフ《神の人アレクセイの詩》作品20

栄えある皇帝ホノリウスの統べる栄光の都ローマに
子のいない貴族ユーフェミアヌスが住んでいた
そして栄えある貴族ユーフェミアヌスは神の教会に入り
涙と公明正大な献身をもって神に祈りをささげた
「主よ、天の王よ、私に子供を、一人の子をお授けください!」
貴族の祈りを神は聞き入れた
そして妻は息子を産んだ、息子を産んだのだ
おさなごは聖なる名前アレクシスで洗礼を受けた
アレクシスが成年になると、親は彼に結婚するよう求めた
親はアレクシスのために若い姫を選び、そして両者を神の教会へと導いた
親が神の教会を立ち去ると、アレクシスは石造りの宮殿に戻った
泣きながら彼は神に祈った「神よ!私に罪をおきせにならないでください」
夜の2時、アレクシスはベッドから起き上がった
「姫よ、私と一緒に起きて、神に祈りましょう」
姫は返事をしなかった、彼の言葉に返事をしなかった
アレクシスは、トルコの土地に向けて、エフレムの街に向けて旅立った
彼はエフレムの街で苦難の道を歩み、主に祈りをささげた


このブックレットの注釈にもありますが、この歌詞はアレクセイが俗世間を捨てて異国で祈りの生活を始めるまでの部分です。
巡礼歌では、この後も延々と話が続いていくのですが、さすがに全部を作品としてまとめるわけにもいかないので、切りのいいところまでとしたのでしょう。

リムスキー=コルサコフの作品とはメロディーも歌詞も違いますが、古儀式派の(?)「神の人アレクセイ」がありましたので、リンクを貼っておきます。これはこれで素朴な感じでいいですね。

Стих об Алексее Человеке Божием "Я родился в граде Риме"
- староверы Орегона

https://www.youtube.com/watch?v=_PDaNxHJfZo

《神の人アレクセイの詩》その1~歌劇からのスピンオフ作品

2022年01月17日 | カンタータ
リムスキー=コルサコフの管弦楽伴奏の合唱曲(カンタータ)《神の人アレクセイの詩》作品20は、長らく「文献上のみ登場」する作品だったのですが、セゾン・リュスというレーベルから彼の「世俗カンタータ集」がCDでリリースされた折に、《ホメロスより》《賢者オレーグ公》《スヴィテジャンカ》とともに収録され、ようやく日の目を見ることとなったものです。

リムスキー=コルサコフ:カンタータ集(モスクワ・アカデミー・オブ・コラール・アート)
https://ml.naxos.jp/album/BC94495
(現在は「ブリリアント・クラッシク」から発売)


《神の人アレクセイの詩》は、もともとは出版されずじまいになった歌劇《プスコフの娘》の第2稿に含まれていたものです。
リムスキー=コルサコフは、《アンタール》などの初期の作品と同様に、自身の処女作となる歌劇も未熟だと考えて改訂を思い立ち、初稿では省略した、ヒロインのオリガの出生の秘密を明かす一節をプロローグとして付け加えるなどの手を施したりしましたが、《神の人アレクセイの詩》もまた、この改訂時に巡礼者の合唱として追加されたものです。

この《プスコフの娘》の改訂に関する一連の経緯については、リムスキー=コルサコフは自伝で詳しく記述しています(1875年ー1876年の章)。
その自伝によれば、巡礼の合唱を付け加える考えはバラキレフによるものだったとのこと。
バラキレフは言い出したら聞かない「困ったちゃん」だったようで、リムスキー=コルサコフは素直にそれに従ったようですが、バラキレフが巡礼の合唱の追加を主張したのは、その場面が修道院の付近での出来事との設定だったこと以外に理由らしい理由もなく、単に彼が宗教的なものを好んだからだろうと冷静に振り返っています。

結局、第2稿となる《プスコフの娘》にも満足しなかったリムスキー=コルサコフは、最終版となった第3稿への改訂の際に付け加えたプロローグも巡礼者の合唱の場面も削除してしまったのですが、巡礼の合唱は《神の人アレクセイの詩》として、母体からスピンオフした作品として生き残ることとなったのです(ちなみにプロローグは歌劇《貴族夫人ヴェラ・シェロガ》となりました)。

歌劇の第2稿からのスピンオフということでは、劇付随音楽としての《プスコフの娘》(序曲と間奏曲)があり、《神の人アレクセイの詩》の旋律は第5曲目の「第4幕への前奏曲」に使用されています。
ついでにですが、歌劇《セルヴィリア》の最後の感動的な合唱曲(クレド)もまた第2稿から採られたものです。
人々がヒロインの死を弔うという点で《プスコフの娘》と共通する要素になっていますね。




《ホメロスより》その2~細かすぎて伝わらない第3クラリネット

2021年12月14日 | カンタータ

《ホメロスより》では、リムスキー=コルサコフの得意とする海の情景描写をベースに、ライトモチーフとして勇ましいオデュッセウス(かっこいい!)や荒々しいポセイドン(《シェヘラザード》のシャリアール王を彷彿)が代わる代わる登場。途中でオデュッセウスに救いの手をさしのべる女神レウコテエのモチーフがはかなくも優美に現れます。

さて、この作品での核ともいうべき主人公オデュッセウスのモチーフを主体にしたパートは、2回登場します。
はじめは金管主体の勇壮果敢な様子で、力を頼みに筏で嵐を乗り切ろうとするさまを表していますが、ポセイドンの引き起こす大波によってあえなく沈。
筏は失われ、オデュッセウスはかろうじて残った丸太にしがみつき波間で翻弄される羽目に。

2回目はレウコテエの助言どおり、魔力を秘めたヴェールを首に巻き付け、丸太も捨てて逆巻く波の中を泳いでいく様子。今度は弦主体で演奏されますが、1回目のような力任せではなく、波に逆らわずにむしろ波に乗るように泳いでいく姿を描いているように感じられます。

リムスキー=コルサコフの作品では、同じ旋律をオーケストレーションを替えて繰り返す手法がよく見られますが、《ホメロスより》もまさにこれ。
暴風雨の迫真の情景描写と相まって、オデュッセウスの姿が物語どおりに見事に描き分けられていると思います。

ところで、私が感心したのは1回目のオデュッセウスの描写場面で繰り返し登場する、第3クラリネット(とビオラ)による連符による短い下降型の音型。
私もMIDIの打ち込みをしていて気がついたのですが、この音型が私には逆巻く暗い波間に一瞬現れる、にぶいエメラルドグリーンの帯状の筋が、ぼんやりと光彩を放っているように感じられるのです。
もっともこれを3管編成の大音響の中にあっては聴き分けるのは至難の業。というか吹いている演奏者以外にはおそらくほとんど聞こえないのではないでしょうか。



そこで、MIDIで《ホメロスより》の冒頭部分を、第3クラリネットを強調した形で聞けるようにしてみました。

Nikolai Rimsky-Korsakov : From Homer, op.60 (beginning, emphasized 3rd Cl.)
リムスキー=コルサコフ : 《ホメロスより》作品60 冒頭部分 MP3ファイル



こちらの動画では、ちょうどその部分で第3クラリネット奏者が中央に写っていて、指使いがよくわかります(笑)

Оркестр Собиновского фестиваля / Римский-Корсаков. «Из Гомера» (YouTube)
Оркестр Собиновского фестиваля
Дирижер - Юрий Кочнев



リムスキー=コルサコフの作品のデータ打ち込みをしていると、実際の演奏ではほとんど聞こえないような細工が、実はあちこちにちりばめられていることに気付くことがあります。(たとえば《皇帝の花嫁》の序曲の第2主題。ピチカートに乗って流麗な旋律を弦が奏でる裏で、木管がなんとも不思議な浮遊感のあるメロディーを吹いています。)

こうした「小細工」は、通常の演奏では聞こえなくとも、作品に彩りを添えるのに重要な役割を果たしていることがあり、それを発掘できたときは嬉しさもひとしおなのです。


《ホメロスより》その1~オデュッセウスの遭難

2021年12月13日 | カンタータ

今や「ナウシカ」といえば風の谷の少女のほうがすっかり定着していますが、元々は古代ギリシャの詩人ホメロスによる一大叙事詩「オデュッセイア」に登場する王女の名前です。ここではアニメの主人公との区別のため、オデュッセイアのヒロインは「ナウシカア」と表記することにします。ちなみにロシア語だと「ナヴシカーヤ」と発音するようですね。

さて、もうずいぶん昔のことですが、私もアニメーション映画「風の谷のナウシカ」を観て魂を抜かれてしまった一人で、当時自転車で隣市の映画館に通うこと数回。ずっと後になってから、リムスキー=コルサコフがオデュッセイアの一節を題材にして歌劇《ナウシカア》の構想を持っていたことを知り、さらにこの未完の歌劇の遺児ともいうべき《ホメロスより》を聴くことができたのは、はるかウクライナの業者さんからメロディアの25センチレコードを入手してからのことでした。

プレリュード・カンタータ《ホメロスより》(作品60)は、この歌劇の前奏曲として、オデュッセウスがナウシカアに出会うまでの出来事をいわば「交響的絵画」として描いたもの。
すなわち、故郷イタケめざす海路の途中、海神ポセイドンの怒りに触れたオデュッセウスが、荒れ狂う海の中で遭難し、海の女神レウコテエの助けを借りながら、這々の体でようやくナウシカアの住むスケリエ島に漂着するという話を音楽化したものです。

この部分の要約は、《ホメロスより》の楽譜の冒頭にプログラムとして掲げられています(見出し画像参照)。
和訳はネット等でも見当たらないようなので、ここで訳出しておきましょう。

運命を海にゆだねたオデュッセウスは、十七日間というもの、順風を受けながら筏のかじを操り航海を続けた。
十八日目になって突然、大地をも揺るがす海神ポセイドンは、三叉の矛で海を湧き立たせ、嵐を巻き起こし、逆風を呼び集めた。
突如として黒雲が海と空を覆いつくし、上天からは闇が下ってきた。

オーケストラ
東風エウロス、南からは南風ノトス、それに西風ゼピュロス、晴朗の上天から生まれた力強き北風ボレアスら風神たちはみな深い波を揺り動かした。
オデュッセウスは怯え、膝や心臓は打ち震えた。
「なんたる災いだ!天界はとうとう私に苦しみを与えることを決定されたのだ!」
そのような中で、カドモスの娘レウコテエがオデュッセウスを目にとめた。
女神に列せられ、海原にあって不死の身となった彼女は、頭のヴェールを取り去り、それをオデュッセウスに差し出した。
すぐさま彼はこの霊力のこもったヴェールを胸に巻き、波間の中へ飛び込んでいった。
二日間、彼は荒れ狂う波間に弄ばれた。
そして彼は何度も死を目前にした。
しかし、三日目になって巻毛の輝く女神エオスが現れると、嵐はたちまちにして勢いを失い、海面には輝きが戻ってきた。

声楽
ばら色の指をした暁の女神エオスが暗闇からお姿をあらわしになられました。
美丈夫ティトノスの眠る床からいち早くお立ちになられて。
女神は祝福された神々と死者のために天空で光り輝く。

(ホメロスによる)


「オデュッセイア」の物語は、ありがたいことに岩波文庫から上下2冊で日本語訳が出ています。
上記の訳(適当です)も本書を参考にしました。

ホメロス オデュッセイア(上)
松平千秋 訳(岩波文庫)


リムスキー=コルサコフの《ホメロスより》に相当する部分は上巻の「第五歌」の後半 になります。
こちらの方も読めば、この音楽作品の描写力のすばらしさがより理解できるのではないかと思いますよ。