───カシチェイの人はまるでプーチンさんみたいだね
とお連れの方に言っていたのは、《不死身のカシチェイ》の公演で隣に座っていたおじさん。
演奏終了後のカーテンコールの時です。
確かに、カシチェイを演じたアンドレイ・ポポフ(テノール)の風貌はそんな印象で、前ロシア大統領によく似ていました。
しかしそれは、単にそっくりさんが演じていたという以上に、このオペラにおけるカシチェイの役回りを考え直すのに、ちょうど良い手がかりを与えてくれたのです。
ロシア民話に登場するカシチェイが、民俗学的にどのような形象を表しているのかは良く知らないのですが、一般には残忍冷酷な魔王というキャラクターとして知られています。
一方、リムスキー=コルサコフのカシチェイは、血も涙もないというよりは、どこかコミカルな面も持ち合わせた、利かん坊のわがままなおじいさんといった側面が見られます。
オペラの中でも王女に向かって「子守唄を歌ってくれ」としつこく要求し、それを拒絶されると嫌がらせをはかる───まるで駄々っ子のようですね。確かに年を取ると子供のようになっていくともいいますけど。
話は少々それますが、カシチェイの「ヘッヘッヘッヘッ」という笑い声の部分の管弦楽での表現は、《クリスマス・イヴ》のお間抜けな悪魔や、《金鶏》のシェマハの女王、あるいは《ムラダ》の市場での群集のものと比較してみると面白いかもしれません。
リムスキーのオペラを聴いていると、こうした「笑い声の系譜」とでもいうような管弦楽上の特質があるように思います。
その延長線上に「トムとジェリー」のジェリーの笑い声の表現がある───などといったら、ちょっと考え過ぎでしょうかね。
ついでに系譜という点では、カシチェイは間違いなくリムスキーのオペラでの「魔術師の系譜」にあたる役です。
この「魔術師」というのは、「自分は自然の法則などを極めた結果、魔術を会得したのだ」みたいなことを劇中で歌い、魔法や毒薬や殺人ニワトリ(?)などを用いて一波乱を起こす、という点で共通しています。
典型的なのは《皇帝の花嫁》のエリセイ・ボメーリー、《金鶏》での占星術師ですが、他にも《ムラダ》の老婆、《セルヴィリア》のロクスタ、《パン・ヴォエヴォーダ》のドローシュなど、特に後期の作品に顕著に見られます。
あるいは《モーツァルトとサリエリ》のサリエリもこの系譜に加えても良いかもしれません。
さて、プーチンさんの話に戻りますが、カシチェイの性格の新たな側面として気付かされたのが「為政者の孤独と苦悩」というものです。
といえば、ロシア・オペラを好きな方なら直ちに《ボリス》を思い起こすでしょうが、カシチェイにもこのボリス的な面があるということに気付かされたのは大きな収穫でした。
悪の帝国の魔王といえども、常に孤独感に苛まれ(だから子守唄を歌ってくれと懇願する)、不死身であることが確かなものか不安で仕方ない───オペラの中でカシチェイが「近寄るな!近寄るな!」と叫ぶ場面がありますが、これもやはり《ボリス》を御存じの方であれば「あれ?同じようなことを」と気付かれるに違いありません。
もしかしたら、リムスキーも《ボリス》のパロディとして、カシチェイにこのような台詞を言わせたかったのかもしれませんね。
アンドレイ・ポポフ演じるカシチェイは、こうしたボリス的側面が前面に出たもので、かつてマリインスキー劇場で聴いたウラジーミル・ガルーシンのおとぼけ的なカシチェイとは全く異なり、同じ役でも演じる人によってこうも違うものかと、改めて知らされた思いでした。
とお連れの方に言っていたのは、《不死身のカシチェイ》の公演で隣に座っていたおじさん。
演奏終了後のカーテンコールの時です。
確かに、カシチェイを演じたアンドレイ・ポポフ(テノール)の風貌はそんな印象で、前ロシア大統領によく似ていました。
しかしそれは、単にそっくりさんが演じていたという以上に、このオペラにおけるカシチェイの役回りを考え直すのに、ちょうど良い手がかりを与えてくれたのです。
ロシア民話に登場するカシチェイが、民俗学的にどのような形象を表しているのかは良く知らないのですが、一般には残忍冷酷な魔王というキャラクターとして知られています。
一方、リムスキー=コルサコフのカシチェイは、血も涙もないというよりは、どこかコミカルな面も持ち合わせた、利かん坊のわがままなおじいさんといった側面が見られます。
オペラの中でも王女に向かって「子守唄を歌ってくれ」としつこく要求し、それを拒絶されると嫌がらせをはかる───まるで駄々っ子のようですね。確かに年を取ると子供のようになっていくともいいますけど。
話は少々それますが、カシチェイの「ヘッヘッヘッヘッ」という笑い声の部分の管弦楽での表現は、《クリスマス・イヴ》のお間抜けな悪魔や、《金鶏》のシェマハの女王、あるいは《ムラダ》の市場での群集のものと比較してみると面白いかもしれません。
リムスキーのオペラを聴いていると、こうした「笑い声の系譜」とでもいうような管弦楽上の特質があるように思います。
その延長線上に「トムとジェリー」のジェリーの笑い声の表現がある───などといったら、ちょっと考え過ぎでしょうかね。
ついでに系譜という点では、カシチェイは間違いなくリムスキーのオペラでの「魔術師の系譜」にあたる役です。
この「魔術師」というのは、「自分は自然の法則などを極めた結果、魔術を会得したのだ」みたいなことを劇中で歌い、魔法や毒薬や殺人ニワトリ(?)などを用いて一波乱を起こす、という点で共通しています。
典型的なのは《皇帝の花嫁》のエリセイ・ボメーリー、《金鶏》での占星術師ですが、他にも《ムラダ》の老婆、《セルヴィリア》のロクスタ、《パン・ヴォエヴォーダ》のドローシュなど、特に後期の作品に顕著に見られます。
あるいは《モーツァルトとサリエリ》のサリエリもこの系譜に加えても良いかもしれません。
さて、プーチンさんの話に戻りますが、カシチェイの性格の新たな側面として気付かされたのが「為政者の孤独と苦悩」というものです。
といえば、ロシア・オペラを好きな方なら直ちに《ボリス》を思い起こすでしょうが、カシチェイにもこのボリス的な面があるということに気付かされたのは大きな収穫でした。
悪の帝国の魔王といえども、常に孤独感に苛まれ(だから子守唄を歌ってくれと懇願する)、不死身であることが確かなものか不安で仕方ない───オペラの中でカシチェイが「近寄るな!近寄るな!」と叫ぶ場面がありますが、これもやはり《ボリス》を御存じの方であれば「あれ?同じようなことを」と気付かれるに違いありません。
もしかしたら、リムスキーも《ボリス》のパロディとして、カシチェイにこのような台詞を言わせたかったのかもしれませんね。
アンドレイ・ポポフ演じるカシチェイは、こうしたボリス的側面が前面に出たもので、かつてマリインスキー劇場で聴いたウラジーミル・ガルーシンのおとぼけ的なカシチェイとは全く異なり、同じ役でも演じる人によってこうも違うものかと、改めて知らされた思いでした。