海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《不死身のカシチェイ》公演~2

2008年08月30日 | 《不死身のカシチェイ》
───カシチェイの人はまるでプーチンさんみたいだね

とお連れの方に言っていたのは、《不死身のカシチェイ》の公演で隣に座っていたおじさん。
演奏終了後のカーテンコールの時です。
確かに、カシチェイを演じたアンドレイ・ポポフ(テノール)の風貌はそんな印象で、前ロシア大統領によく似ていました。
しかしそれは、単にそっくりさんが演じていたという以上に、このオペラにおけるカシチェイの役回りを考え直すのに、ちょうど良い手がかりを与えてくれたのです。

ロシア民話に登場するカシチェイが、民俗学的にどのような形象を表しているのかは良く知らないのですが、一般には残忍冷酷な魔王というキャラクターとして知られています。
一方、リムスキー=コルサコフのカシチェイは、血も涙もないというよりは、どこかコミカルな面も持ち合わせた、利かん坊のわがままなおじいさんといった側面が見られます。
オペラの中でも王女に向かって「子守唄を歌ってくれ」としつこく要求し、それを拒絶されると嫌がらせをはかる───まるで駄々っ子のようですね。確かに年を取ると子供のようになっていくともいいますけど。

話は少々それますが、カシチェイの「ヘッヘッヘッヘッ」という笑い声の部分の管弦楽での表現は、《クリスマス・イヴ》のお間抜けな悪魔や、《金鶏》のシェマハの女王、あるいは《ムラダ》の市場での群集のものと比較してみると面白いかもしれません。
リムスキーのオペラを聴いていると、こうした「笑い声の系譜」とでもいうような管弦楽上の特質があるように思います。
その延長線上に「トムとジェリー」のジェリーの笑い声の表現がある───などといったら、ちょっと考え過ぎでしょうかね。

ついでに系譜という点では、カシチェイは間違いなくリムスキーのオペラでの「魔術師の系譜」にあたる役です。
この「魔術師」というのは、「自分は自然の法則などを極めた結果、魔術を会得したのだ」みたいなことを劇中で歌い、魔法や毒薬や殺人ニワトリ(?)などを用いて一波乱を起こす、という点で共通しています。
典型的なのは《皇帝の花嫁》のエリセイ・ボメーリー、《金鶏》での占星術師ですが、他にも《ムラダ》の老婆、《セルヴィリア》のロクスタ、《パン・ヴォエヴォーダ》のドローシュなど、特に後期の作品に顕著に見られます。
あるいは《モーツァルトとサリエリ》のサリエリもこの系譜に加えても良いかもしれません。

さて、プーチンさんの話に戻りますが、カシチェイの性格の新たな側面として気付かされたのが「為政者の孤独と苦悩」というものです。
といえば、ロシア・オペラを好きな方なら直ちに《ボリス》を思い起こすでしょうが、カシチェイにもこのボリス的な面があるということに気付かされたのは大きな収穫でした。
悪の帝国の魔王といえども、常に孤独感に苛まれ(だから子守唄を歌ってくれと懇願する)、不死身であることが確かなものか不安で仕方ない───オペラの中でカシチェイが「近寄るな!近寄るな!」と叫ぶ場面がありますが、これもやはり《ボリス》を御存じの方であれば「あれ?同じようなことを」と気付かれるに違いありません。
もしかしたら、リムスキーも《ボリス》のパロディとして、カシチェイにこのような台詞を言わせたかったのかもしれませんね。

アンドレイ・ポポフ演じるカシチェイは、こうしたボリス的側面が前面に出たもので、かつてマリインスキー劇場で聴いたウラジーミル・ガルーシンのおとぼけ的なカシチェイとは全く異なり、同じ役でも演じる人によってこうも違うものかと、改めて知らされた思いでした。

《不死身のカシチェイ》公演~1

2008年08月28日 | 《不死身のカシチェイ》
《不死身のカシチェイ》の公演に行ってきました。(8月22日神奈川県民ホール)
その感想です。

シェバチカたん萌え───────つ!

このオペラのソリストで一番良かったのが、カシチェエヴナ役のアンジェリナ・シェバチカ(メゾ・ソプラノ)。
なぜって、美しいからですよ!
いや、もちろん歌も良かったですよ。
しかし彼女の容姿は、花をあしらった暗いトーンのドレス(これはカシチェエヴナの役を意識してのものでしょう。お見事!と拍手したくなりました)と相まって、このあまり知られていないオペラの公演の中でも一際輝くものでした。

私は公演中、彼女の暗く情熱を秘めた妖艶さにすっかり釘付けになってしまいました...。

リムスキー=コルサコフのオペラでは、しばしばタイトルロールではなく、その恋敵となるような女性が主役と言っても良い、重要な役割を担うことがあります。
つまり《雪娘》では、スネグローチカではなくクーパヴァに、《皇帝の花嫁》では、マルファではなくリュバーシャにむしろ作曲者が深い同情を寄せて歌わせている───そして今回の《不死身のカシチェイ》では、見飽きぬ美の女王ではなく、ましてやカシチェイでも嵐の勇士でもなく、カシチェエヴナこそがこのオペラの真の主役であると言ってもいいかもしれません。

アンジェリナ・シェバチカは、ウクライナ出身で、現在ウクライナ国立オペラ座のソリストとのことですが、正直なところ、私はこの公演まで彼女の名前は全然知りませんでした。
ググってもあまり出てこないようですが、一応プロフィール等は下記のページが参考になるでしょう。

http://www.zavarteclassic.com/angelina-shvachka
(ちなみにお約束ですが実物は写真よりも数倍綺麗です。)

ともあれ、今回の公演では、《不死身のカシチェイ》ならぬ《不死身のカシチェイの娘カシチェエヴナ》とでもいうべきオペラで、彼女がタイトルロールをつとめたことで、何かとても新鮮な、新しい発見がいくつかあり、私自身は非常に満足して会場を後にすることができたのでした。
(もっともその後は最終の新幹線に乗り遅れないように、ダッシュで地下鉄の駅に駆け込み、新横浜まで綱渡り的に乗り継がなければならなかったわけですけど...)